60歳からの前向き人生のすすめ 弘兼流 やめる生き方
本の表紙には
いい人、いい親、いい夫
肩書、プライド、過去の実績
年賀状、お中元、お歳暮、無駄な人づきあい
健康のため、お金の心配、世間体…
と書いてあります。
私も、あと数年で60ですが、表紙に書いてあることは、すでにやめています…。
前に読んだ「50歳からの死に方」や「いかに死んでみせるか」も読み直してみたら、考え方は弘兼さんと同じでした。
まとめて3冊が机に置いてあり、「死」だとか「やめる」とかの文字が目立つので…。
妻からは「死のことを考えているの?」と言われ…。
いや違う!
死を考えることは生きることを考えることなんだ!と言い返しました。
(弘兼さんの本にもそう書いてありましたし、とっさに言葉が出てきたのです)
まぁ~今回も楽しく読ませていただきましたが…。
この本の内容とはそれますが、この本の中に「やってみなはれ」の言葉に感動してしまいました。
「やってみなはれ」は松下さんの言葉だと思っていました…。
自分が会社を興すときに「経営」というものが分からず、松下さんの本を何冊か読ませていただきました。そこでこの「やってみなはれ」という言葉を知ることになります。
この言葉は、サントリーの創業者である鳥井信治郎さんが、ことあるごとに口にしたと言われている言葉です。
失敗を恐れずに挑戦し続ける姿勢を重んじ、チャレンジ精神が凝縮された言葉です。
二代目の佐治敬三さんから新浪剛史さんへ、サントリーの創業精神が今も引き継がれていますが、なぜ松下さんがこの言葉を使っていたのかがわかりませんでした。
松下幸之助さんは5才の時に、お父さんが米相場で失敗し破産します。尋常小学校4年で中退し、丁稚奉公に出されました。2店目の奉公先は舶来自転車を扱う店で、そこの上得意先に15歳年上の鳥井さんがいたのです。修理が終わった後、鳥井さんに届けに行き、そこで「よく来た」と迎えられ、温かい大きな手で頭を撫でられ、「坊、気張るんやで」と励まされたといいます。(いい話で、ここで涙…)
松下さんは、この出会いを一生忘れずに鳥井さんを尊敬し続け、事業を始めてからは何かと相談をしに鳥井さんを訪ねたということです。
戦後の不況で苦しい状況に追い込まれた松下電器産業は、鳥井さんによる多額の資金援助で救われたそうです。(涙がまた…)
鳥井さんが亡くなってから20年を控えた1981年、大阪の築港サントリープラント工場内に銅像が造られ除幕式があり、松下さんにも招待状が…。松下さんはこの時、会長職から相談役に就任した頃で87歳。体調も崩され、公の場に出ることもほとんどなく、今回も…。
ところが、鳥井さんの恩義を重んじていた松下さんは除幕式に出席し、自ら式典でスピーチを申し出て…
「私と鳥井さんが初めて、お会いしたのが今から丁度74年前の春のこと…」
このスピーチで丁稚奉公の時の出会いを話されたそうです。
松下さんは鳥井さんに対する尊敬の念もあって「やってみなはれ」という言葉をよく使ったのでしょう。
そんな、いい話の「やってみなはれ」から人生後半戦は「やめてみなはれ」と弘兼さんは説きます。
この続け方が、さすが弘兼さん!ここが弘兼流ですね。
やめる生き方、いいですね。
「やめてみなはれ!」
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