ココロの仏像

慈悲を見るか。美を視るか。心を観るか。

天平会 第773回例会

2012年02月19日 | てんぴょう
  
 2012年2月19日、天平会の例会に参加した。いつものように午後からの半日で奈良の仏像を三ヵ所訪ねるコースであった。今回は最初の移動にバスを利用するためか、集合時刻は近鉄奈良駅一階観光案内所前に12時20分、となった。いつものように記帳して見学費用をおさめ、参加者が揃うのを待った。
   

 バスは市内循環ルートを利用して「破石町」まで乗った。私の普段の奈良めぐりの移動手段は原付バイクなので、奈良交通のバスに乗る機会は稀である。市内循環ルートは何年ぶりだろうか。最近の市街再開発事業でルートが若干変わったらしいが、どこがどう変わったのかよく分からない。
    
 
 最初の見学地は不空院。奈良市高畑福井町に所在し、新薬師寺とは道をはさんで隣り合わせである。山号は春日山で、文字通り春日山を背にして境内地を構える古刹である。中世期に衰微して一時断絶したらしく、詳しい寺史は未詳という。
   
 
 不空院は、普段は非公開寺院である。2010年の遷都記念に際して秘仏公開を実施し、その時にも大和国コクジン衆仲間と訪れたことがあるので、本尊の不空羂索観音菩薩坐像(鎌倉期・国重文)に接するのは二度目であった。
   

 不空院の次は新薬師寺へ向かった。西隣なので移動距離は僅かであったが、高畑界隈の風情を楽しむには充分であった。この道をたどれば戦国期は水間越えルートに合流していたため、この近辺での攻防戦はかなり多かった。よく新薬師寺が巻き添えにならなかったものだと思った。
   

 新薬師寺の南門である。ここまでは従来と変わらない風景であったが、境内に入ると雰囲気が一変していた。園池の整備および境内の美化整理が進められていて、広々とした感じになっていた。注目の中世石造物群は新たに設けられた覆屋内に移動されてあった。
   

 見学に先立ち、天平期建築の本堂(国宝)の前で杉崎貴英さんの解説を聞いた。レジュメも要領よくまとめてあり、写真つきで分かり易い。仏像の勉強をするための見学会であるため、いたって真面目な説明に終始するが、そのわりには専門用語を控えているため、楽に聞くことが出来る。
   

 本堂内の諸像を拝見したのち、景清堂に移動して「景清地蔵」と呼ばれる鎌倉期の地蔵菩薩立像を見た。いわゆる裸形着装像の一種で、その後木製の衣を着せて通常像に変更している。昔は本堂内陣の後ろに安置されていたから、何度も見ていて親しみがある。
    

 三ヵ所目は興善寺であった。奈良市興善寺町に所在し、十輪院と隣り合う。本尊の鎌倉期の阿弥陀如来立像(国重文)は東山内の田原から天正年間に迎えられたという。戦国期に田原の阿弥陀寺が松永久秀軍に焼かれ、本尊像を山田順智が避難させて後に南都に移したという伝承があるが、その本尊像にあたるのだろうか。
   

 興善寺で見学会を終了し、解散となった。一部の方々は恒例の懇親会に向かわれたようだが、私は所用があったのでまっすぐ帰途についた。途中、大乗院門跡遺跡の北を通って、鬼薗山城跡(現奈良ホテル)の丘を見た。あの丘を巡って筒井成身院と古市播磨が戦ったのだな、と思い出した。 (了)


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