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いや、一応文学部なんでね、食いついちゃうよ。

2006-08-20 00:13:14 | コラムだお(^ω^ )
車って日常的なものなのに、何でCMは非日常を売り出したものが大いのだろうね。と気付いてしまったので、違和感を隠せないよ。その点、カローラⅡにのっては神だったかもわからんね。


こんばんわ、買い物に出かけたら財布無いのに気付いてそのままドライブした者です。

たまには、俺のなまくら刀で時代でもぶった切ってみようかな。
ニュースです。



■「古文暗唱」小学国語に 中教審検討、漢文指導も

 学習指導要領の見直しを進めている中教審の教育課程部会は、小学校の国語の授業に
「暗唱と音読」を重視した古文・漢文など古典の指導を盛り込む方向で、18日までに本格的な
検討に入った。

 「やさしい文語調の文章に親しむ」ことを掲げた現在の指導要領よりも「文化の継承」を強調し、
古典重視の姿勢を鮮明にした。改定されれば全国の小学校で枕草子など古い時代の古文や論語、 漢詩などの漢文を暗唱する授業が実施されることになる。「復古調」と指摘する声もあり、議論を呼びそうだ。

 小学校での古典学習は現在、短歌や俳句、ことわざなどを音読させる指導が主流で、時代が古い
漢文や漢詩などは、全員が学ぶ必要のない「発展的内容」として扱われている。




というニュースです。【「復古調」と指摘する声もあり、議論を呼】んじゃう国賊は無視して、がつがつ書いてくぜ。


まだまだ議論の余地がある事柄では、有るけれど、英語を必修にするよりは大分賛同できますね。導入するなら小6からが良いだろうね。
源氏物語、徒然草、伊曽保物語と中学一年生レベルの古文を前倒しにするという形で。
もっと、言ったら、歌舞伎の口上や、落語とかバラエティに富んでも良いかと。

口語訳は、意訳したもので良いと思います。
一語一語丁寧に訳する、文法を理解するのは今まで通り中学からだな。


小学生の柔らかい頭に、古典に触れていただきたい。
そして、源流でありながらオリジナリティに富んだ日本語に触れて、言語分野での創造力を養っていただきたい。
左脳を高速スピンさせていただきたい。


子供は擬音大好きだからね。京都の祇園祭りなんて目じゃありません。


小学生が、びょうびょうとか(狂言での犬の鳴き声)とか使用した日には、お兄さんガンガンよ。


小学生低学年には、俳句とか、短歌の暗誦をもっと根付かせてほしいですな。

こどもの頃、母親に俳句を暗誦させられていました。
その時は何でこんなことやるのか意味が分からなかったんだけれど、暗誦する事によって心に強く、刻み込まれて、無意識下に沈殿されるんだよね。
子供なので、意味を理解することは出来ないけど、いつまでも言葉自体が持つ響きはの頭に残る。

理解するのは、大人になってからのふとした瞬間に、あぁ、この言葉はこういうことだったのかと理解する。
そうして、体に言葉が染み込んでいく。
それが、暗誦の意義なんだろうね。



久々に政府応援したくなりました。
どうせ、復古主義とかいう連中は、自国の歴史が浅い国賊の羨望からくる嫉妬なので無視して構いません。

頑張ってくださいな。

日本人は金稼ぎが向いてないんだから、こういう所で頑張らないと。

コラムに挑戦

2006-07-14 22:57:47 | コラムだお(^ω^ )
my友人から、お題が来ました。○○コンプレックスです。
んでは、挑戦いたします。


コンプレックス【complex】


(1)劣等感。
(2)〔心〕
精神分析の用語。強い感情やこだわりをもつ内容で,ふだんは意識下に抑圧されているもの。心のしこり。観念複合(体)。


れっとう-コンプレックス 8 【劣等―】


〔心〕〔inferiority complex〕劣等感が原因で生ずる、自分をよく見せようとしたり、逆に失敗して傷つくのを恐れたりする心のわだかまり。


と、まずは定義を明らかにした状態で、自分がどんなコンプレックスを持っているかと考えると、鬱になるほど枚挙に暇がない。

人が、意識下、無意識下に関係なく、コンプレックスを持ってしまった場合
どうするかっていうと、大抵は「その部分を補強する」「他の部分を増強する」に分かれると思います。
俺はどっちかと言うと、後者です。
じゃ、何で補っているかと言うと、「知識」だと思います。

思いますってういうのは、意識無意識の瀬戸際なので、やっぱり自分では判断しかねる部分が有るからって事です。
子供の頃、いじめられたり、からかわれたりした時、親に「勉強して見返しなさい」って事をよく言われていました。子供に、この言葉の重さって言うのは伝わらないんだろうけど、心の底に沈殿してて、それが鬱屈した形で、今表れているんだと思います。


だから、知ってることに対して優越感、無知なことへの劣等感、情報を収集してないと落ち着かない強迫観念ってのが、僕の心の中で常に渦巻いているんだと思います。



よく「無知が一番の敵だ」みたいな事を聞きます。病気・他民族への差別迫害と言う事にたいしては、それは当然のことなんだけど、最近思うのは、日常生活において「知識を増やすという事」と「敵を増やす事」っていうのは限りなく同義語になる可能性を秘めている存在と言う事です。

要は、ことわざにもある「知らぬが仏」。知らなかったら、嫌いになる理由もなかったって時も多々あると思うんです。

ただ、知ることを拒絶すると言う事は、人としてどうかと思うし、最近の風潮としては、「知識を結果としてみている」と思われます。「5時間で理解する中学英語」「10分で読む名作あらすじ」「入試などで、作家名と作品を繋げて暗記して、はい、終わり」などからも分かるかと。

何が言いたいかっていうと、知識っていうのは過程であり、結果ではないということです。
あらゆる面で応用できるのが知識の本質であり、それが出来ると人、本質を見抜けるっていうのが頭の良い人間と言う事です。
知ってるから偉い、知らないから駄目って事でもないんです。

現在の僕は情報はある程度もっているにしても、真偽を確かめるスキルがないってのが現状ですな。鬱屈した精神からくる知識コンプレックスも、人間としての向上の力となるなら、それはそれで良いんじゃないでしょうか。