直近の100㎞は秋田を2回連続でリタイアしてしまっているし、前回のリタイアで「もうウルトラは止めようか」と思ったりもしたのですが、走ること自体は止めるつもりはなかったので、フルマラソンを走り続けながら「ウルトラ再挑戦の気持ちが出てきたら走ればいいや」と、河口湖→勝田→いわき→能登和倉→掛川と走り続けてきました。その中で体力の衰えは感じつつも、ゆっくり長く走ることのイメージができてきたこともあり、100㎞への再挑戦を決めました。
”なるべく東北を走りたい”とも考えていたので、レースはいわて銀河と決定。
毎度のことですが、忙しい毎日で、心の準備もできないうちに、あっという間にレース当日を迎えてしましました。実は不安で仕方なかったのですが、当日は偶然ランの師匠の九文字氏が同じレースに参加していたので、レース前には話し相手になってもらい、過度に緊張することなくスタートを迎えられました。入りのペースは最近走ってきたフルと同じよう感じなので、淡々と走ることができたかなと思います。
10㎞ 1時間10分12秒
20㎞ 2時間19分39秒 ラップ1時間09分27秒
30㎞ 3時間30分30秒 ラップ1時間10分51秒
40㎞ 4時間42分01秒 ラップ1時間11分31秒
特に予定ペースは決めていなかったのですが、40㎞までは、ほぼ想定通りというイメージを持てました。下調べの感覚よりはアップダウンが充実していたので、疲労感がかなりあり、40㎞過ぎのエイドで大休憩をとりました。ここからは上りが控えているので、ゆっくり上って、行けるとことまで行ってからその後のことは考えよう、という思考パターンでした。今思えば、逆に「なにがなんでも完走」とは思えなくなってきてました。次第に思考がネガティブに向かいつつありました。
50㎞ 6時間15分07秒 ラップ1時間33分06秒
ここで大きく時間を使いましたが、意識しての休憩時間と上りで一部歩きながらの休み時間ということなので、そのこと自体に特にがっかり感はありませんでした。この後にまだ急な上りがあることはわかっていたので、あまり頑張らないようにしてました。
52㎞を過ぎてからは勾配もきつくなってきたので、完全な歩きになりました。この間を利用してGMCの方から情報収集しました。「この後の上りはどれ位続く?その後のコースの様子は?」とにかく初参加なので、いろいろと聞きまくりました。その度に親切に答えてくださったGMCの方々に感謝です。その時の話を総合すると、今のタイムであればこの坂は歩いても、その後を9分/㎞で行けば完走できる。この坂の後は楽なコースである。・・・と、いうことで少しだけ安心できましたし、前向きにもなれました。
でもそうすんなりは行かないのがウルトラなのかなあ。登り切ったのはいいですが、強烈な下りで一気に脚にダメージが来てしまいました。気持ちを萎えさせる、刺されるような痛みが出てきてしまいました。マラソン初心者のころから悩まされ続けているあの痛みです。
60㎞ 7時間48分40秒 ラップ1時間33分33秒
60㎞までは何とか走れましたが、その後はまるで駄目。歩くのもつらい状態で、とぼとぼ歩きになってしまいました。
「やはり駄目だった」
「もうこれでマラソンは引退だな」
「どこでリタイアしようかな」
「早く楽になりたい」
完全なマイナス思考になって、62㎞のエイドまで完全に歩いてしまいました。
62㎞のエイドでゆっくり休んでいるランナーがいたので、少し話をさせてもらいました。
「今動けてる人は完走できそうですけど、ここで止まっちゃうとアウトですよね?」
「どうしますかねえ?」
「・・・・・・・」
「・・・次のレストステーションまで行って考えましょう。」
というように意見が一致して、二人してそこを出発することになりました。その方は走っていきましたが、私はもうリタイアする気満々だったので、歩いて出発しました。5㎞近くありますが、どうせリタイアするならばタイムは関係ありません。
とぼとぼ歩いていると、これまで並走してきて見覚えのあるランナーたちが横をすり抜けていきます。皆マイペース、完走ペースで走り続ける本当のウルトラランナー達です。「やっぱり自分は偽物なんだな。」敗北感に打ちのめされながらも、憧れの彼らの背中を追いかけてたくなり、「どうせなら最後のあがきとしてレストステーションまでは走ってみようか。」という気持ちが突然湧いてきました。
走ってみたら不思議なことに、痛みは感じませんでした。正確に言うと全身疲労しているし、脚も痛いのですが、普通の痛みしかありません。あの“気持ちを萎えさせる痛み”から解放されたのです。30分ぐらい歩いていたので、その間に復活したようです。ここで、残り時間と自分のペースで計算し直してみました。「行ける!」まだ間に合うことか分かったのです。
(脚は痛くない)X(計算上時間内にゴールできる)=ゴールを目指す
答えは出ました。再び走る決心をしました。
70㎞ 9時間30分27秒 ラップ1時間41分47秒
いろいろあったので、だいぶ時間を使ってしまいましたが、致命的になる前に復活できてよかったです。残りの距離も30㎞を切ると俄然元気が出てきます。ここからは緩やかな上りが多くて、私にとっては急な下りよりは走りやすくてよかったです。
80㎞ 10時間47分12秒 ラップ1時間16分45秒
残り20㎞を切って、制限時間まで3時間以上。やっと安心できるところまでやってきました。横を走るGMCの方とも話をさせてもらいましたが、「もう絶対リタイアはなしですよ」。私が弱音を吐きそうに見えたのでしょう。しっかり釘を刺されたこともあり、ますます「絶対完走する」との意を強くしました。しかし、ここからはまた苦手な強烈な下りです。もう二度とあの痛みがぶり返すのは御免なので、慎重に慎重に、時折歩きを混ぜながら慎重に下りました。途中86㎞の関門では「あと15分で閉鎖ですよ」などとせかされる場面もありましたが、何とか乗り切りました。
90㎞ 12時間14分30秒 ラップ1時間27分18秒
もうここまで来ると「早くゴールしたい!」の気持ちだけで突っ走りました。急な登り坂は歩きましたが、それ以外は歩き1、走り4ぐらいの割合で前進前進また前進。ゴールが近づくとどのエイドでもコーラがあって、疲れが蓄積されるどころか、エイドに寄る度に元気になっていく感じで楽しい残り10㎞でした。
100㎞ 13時間35分06秒 ラップ1時間20分36秒
途中の心の葛藤が大変なレースでした。なんだか思い出しただけでも疲れちゃいます。
久々の100㎞のゴールはそりゃまあうれしかったですよ。
でも喜んでばかりじゃだめですね。
とても走りやすい天候に恵まれました。
他のランナーに気力をもらいました。
地元の方、エイドの方に元気もらいました。
美味しいものもたくさんありました。
愛妻と愛犬は留守番で頑張ってもらいました。
すべてのことにありがとう。
”なるべく東北を走りたい”とも考えていたので、レースはいわて銀河と決定。
毎度のことですが、忙しい毎日で、心の準備もできないうちに、あっという間にレース当日を迎えてしましました。実は不安で仕方なかったのですが、当日は偶然ランの師匠の九文字氏が同じレースに参加していたので、レース前には話し相手になってもらい、過度に緊張することなくスタートを迎えられました。入りのペースは最近走ってきたフルと同じよう感じなので、淡々と走ることができたかなと思います。
10㎞ 1時間10分12秒
20㎞ 2時間19分39秒 ラップ1時間09分27秒
30㎞ 3時間30分30秒 ラップ1時間10分51秒
40㎞ 4時間42分01秒 ラップ1時間11分31秒
特に予定ペースは決めていなかったのですが、40㎞までは、ほぼ想定通りというイメージを持てました。下調べの感覚よりはアップダウンが充実していたので、疲労感がかなりあり、40㎞過ぎのエイドで大休憩をとりました。ここからは上りが控えているので、ゆっくり上って、行けるとことまで行ってからその後のことは考えよう、という思考パターンでした。今思えば、逆に「なにがなんでも完走」とは思えなくなってきてました。次第に思考がネガティブに向かいつつありました。
50㎞ 6時間15分07秒 ラップ1時間33分06秒
ここで大きく時間を使いましたが、意識しての休憩時間と上りで一部歩きながらの休み時間ということなので、そのこと自体に特にがっかり感はありませんでした。この後にまだ急な上りがあることはわかっていたので、あまり頑張らないようにしてました。
52㎞を過ぎてからは勾配もきつくなってきたので、完全な歩きになりました。この間を利用してGMCの方から情報収集しました。「この後の上りはどれ位続く?その後のコースの様子は?」とにかく初参加なので、いろいろと聞きまくりました。その度に親切に答えてくださったGMCの方々に感謝です。その時の話を総合すると、今のタイムであればこの坂は歩いても、その後を9分/㎞で行けば完走できる。この坂の後は楽なコースである。・・・と、いうことで少しだけ安心できましたし、前向きにもなれました。
でもそうすんなりは行かないのがウルトラなのかなあ。登り切ったのはいいですが、強烈な下りで一気に脚にダメージが来てしまいました。気持ちを萎えさせる、刺されるような痛みが出てきてしまいました。マラソン初心者のころから悩まされ続けているあの痛みです。
60㎞ 7時間48分40秒 ラップ1時間33分33秒
60㎞までは何とか走れましたが、その後はまるで駄目。歩くのもつらい状態で、とぼとぼ歩きになってしまいました。
「やはり駄目だった」
「もうこれでマラソンは引退だな」
「どこでリタイアしようかな」
「早く楽になりたい」
完全なマイナス思考になって、62㎞のエイドまで完全に歩いてしまいました。
62㎞のエイドでゆっくり休んでいるランナーがいたので、少し話をさせてもらいました。
「今動けてる人は完走できそうですけど、ここで止まっちゃうとアウトですよね?」
「どうしますかねえ?」
「・・・・・・・」
「・・・次のレストステーションまで行って考えましょう。」
というように意見が一致して、二人してそこを出発することになりました。その方は走っていきましたが、私はもうリタイアする気満々だったので、歩いて出発しました。5㎞近くありますが、どうせリタイアするならばタイムは関係ありません。
とぼとぼ歩いていると、これまで並走してきて見覚えのあるランナーたちが横をすり抜けていきます。皆マイペース、完走ペースで走り続ける本当のウルトラランナー達です。「やっぱり自分は偽物なんだな。」敗北感に打ちのめされながらも、憧れの彼らの背中を追いかけてたくなり、「どうせなら最後のあがきとしてレストステーションまでは走ってみようか。」という気持ちが突然湧いてきました。
走ってみたら不思議なことに、痛みは感じませんでした。正確に言うと全身疲労しているし、脚も痛いのですが、普通の痛みしかありません。あの“気持ちを萎えさせる痛み”から解放されたのです。30分ぐらい歩いていたので、その間に復活したようです。ここで、残り時間と自分のペースで計算し直してみました。「行ける!」まだ間に合うことか分かったのです。
(脚は痛くない)X(計算上時間内にゴールできる)=ゴールを目指す
答えは出ました。再び走る決心をしました。
70㎞ 9時間30分27秒 ラップ1時間41分47秒
いろいろあったので、だいぶ時間を使ってしまいましたが、致命的になる前に復活できてよかったです。残りの距離も30㎞を切ると俄然元気が出てきます。ここからは緩やかな上りが多くて、私にとっては急な下りよりは走りやすくてよかったです。
80㎞ 10時間47分12秒 ラップ1時間16分45秒
残り20㎞を切って、制限時間まで3時間以上。やっと安心できるところまでやってきました。横を走るGMCの方とも話をさせてもらいましたが、「もう絶対リタイアはなしですよ」。私が弱音を吐きそうに見えたのでしょう。しっかり釘を刺されたこともあり、ますます「絶対完走する」との意を強くしました。しかし、ここからはまた苦手な強烈な下りです。もう二度とあの痛みがぶり返すのは御免なので、慎重に慎重に、時折歩きを混ぜながら慎重に下りました。途中86㎞の関門では「あと15分で閉鎖ですよ」などとせかされる場面もありましたが、何とか乗り切りました。
90㎞ 12時間14分30秒 ラップ1時間27分18秒
もうここまで来ると「早くゴールしたい!」の気持ちだけで突っ走りました。急な登り坂は歩きましたが、それ以外は歩き1、走り4ぐらいの割合で前進前進また前進。ゴールが近づくとどのエイドでもコーラがあって、疲れが蓄積されるどころか、エイドに寄る度に元気になっていく感じで楽しい残り10㎞でした。
100㎞ 13時間35分06秒 ラップ1時間20分36秒
途中の心の葛藤が大変なレースでした。なんだか思い出しただけでも疲れちゃいます。
久々の100㎞のゴールはそりゃまあうれしかったですよ。
でも喜んでばかりじゃだめですね。
とても走りやすい天候に恵まれました。
他のランナーに気力をもらいました。
地元の方、エイドの方に元気もらいました。
美味しいものもたくさんありました。
愛妻と愛犬は留守番で頑張ってもらいました。
すべてのことにありがとう。