報告ときどきピアノ

開始日、経緯・前後関係と復旧無理な改竄があり、常にも仕上げ原文どおりでご覧になれません。困窮事情ご理解願います。

チンギスハンの苦い思い出

2024-04-07 00:12:58 | 日記

チンギスハン初聞きはおそらく、小学校5年のとき、かなり高齢の校長先生の朝礼のお話だったと。 そういう、先生のお話ってちゃーんと聞いてる子でした。
でも、チンギスハンが出てきた長ーいお話は、どうも聞きづらく、趣旨や筋もみえてこなかったのです。 あらー、まいっか・・
なんて時に限って! 後にも先にもただ1回、感想文書いてくださーい。
え… いやあんなに気合入れて喋ってくれて、わかりませんの一文じゃだめだし
と、何とか文を捻出、
すると、あろうことか、この学年(クラス)で2人、学校誌かなにか に載せるから、
あれをもっと長文にして書き直してください の1人に ( ゚Д゚)

もう1人は男の子 。 お母さんがおしゃべりさんだったから、こういうの鍛えられてるのかしら・・ってかってに思いつつ、部屋で居残りみたいに離れて座ってた彼の様子をちらちら。

ああ、書けるみたいね、、、

で私、書くには書きましたが、なにせ話の理解度5%で、何を書いたのかわかりません。

載っけられてしまって、母に、「何書いてるかわからなかったでしょ? 」ときくと、

「そうだねわからなかったね」で済ましてくれたけど「

ちなみに男の子が書いて載ってたうち、これだけ覚えてる・・

「チンギスカンはえらいけれど、」 でした。 

もしや私の書き方に影響与えてる? 

 

で済ますつもりだったこの記事。

 例によって、辿り着く前になんだかんだに。 でもよろしかったら是非続けてお読みください。 

 

モンゴル・・・蒙古・・・

蒙古斑が自分に有ったかどうか確認した覚えがもうひとつ無いのですが、たぶん、妹に比べ早めに消えたのでしょう。 ぜんぜん違う話。

違う話ついでに、蒙古襲来神風というのは予告ワードです。

まあ、天気系統も勝手にやってるのはもう、、、で、

後者はいまさら。

前者も、予告的にはもういらない感。
歴史に着目させようというのは、他にも予告ワードがあります。

予告ワード側が、先の事を示したものは、騙し的なものがあるとはいえ、すべて手のうち。

いっぽうで、過去、歴史について、あちら側として、見てきたようなことであるのか、情報を採りつくしての範囲内なのか、別に誤解させようとしているのか、わかりません。

私は、子どもの頃はともかく、高2ぐらいから(ある臨時国語教師の話の影響もあって)教科書に書いてあるからといっての歴史を、たいてい鵜呑みにはしていません。

40年位前に比べ、いや、つい2,3年前に比べ、

今はあっという間に、大陸と傍(そば)の島(日本列島を含む)との距離は縮まってしまいました。

だから、その蒙古襲来とした年、大陸から日本列島へは海洋距離があったはずです。

 

日本(大和? )に辿り着く前に船が沈没してラッキーダッた? ことについて、

その船が襲撃を目的としていたと、言いきってしまっていいのか 

と、のっけから疑問だった私でした。

(本当に風が原因か? もあるけど、置いときまして。 )

 

母の父、私の祖父は(も?)、自慢にしていた見事な日本刀を、あっさりとられてしまわれ、(母が言うにはそのショックで)倒れたと。 職人的なすごさもありながら、柔道もとても高い段をもっていたと小さい頃聞かされていたり、どうも武なイメージが強かったらしい。

だから言い訳 というわけでもないけれど、

刀というものは、必ずしも武器だけではないと言えると思うのです。

自分が手に持って、近い範囲、じかに襲われるのを防ぐ範囲でしか有効ではなく、

なにか争いとて、およそ1対1で名乗りをあげるというもの

スパっと切れた傷は、鈍い複雑な傷より癒えやすい

で、母は、「結婚は我慢だ」と言いきっていました。

話が色々ぶっ飛んでいるように思われますね。

どうも、日本人気質というか、武士は食わねど気質というか、、、

不言実行の、行き過ぎた不言というか・・・


こんな母に、わかってかわからずか沿おうとしていた私だから ど昭和の一癖二癖になるのか。

で起こることは全部皮肉だから、母や私の望まぬ私の歩みのミバエに。

すべてを結集して考え抜かれていた日本国憲法ができた頃は、
まだ武士がいた頃に近かった・・

古来、人類が「個」に内在させていること、必定と思われていた事は、

現代、とりあつかわれるより、はるかに高度だったと。


少なくとも、誰もが人間(にんげん)としての向上心が当然だったと。


刀は、自分は我慢当然にしているけど、もうこれ以上はというところで、

サっと、一線ひきますよ


という、なかば必需品的な、物言わぬ見せ示す衣服 という感覚 であったのかなと。


日本国憲法も似ているように思えてきた・・・

どんな我慢たって、自分やお互いのことで

平等性を欠いて、見極められなくなるような事ではいけないし、

誰かが生きれなくなるようなことにならないか

ちゃんと確かめていくんだよ

という

限界ラインを示す、刀のラインの代わりの法 

 

そんなの、なにがしかの書物の言ってるのと一緒やんって思われた方、すみませんが、私はそれを読まず、身近なことで感じさせられてきたことを、ここで書いております。


日本国憲法こそは と思った私・・・
動物と日本人のはしくれの私

の実感は、この由来なのです。

 

話もどしまして、
刀を携えた人々でも、蒙古が船で日本に向かって転覆したのが正しいとしても、

どんな野蛮な動物が潜んでるかわからない場所に船を着けてまず人を襲っていこうと思っていたかどうか

ということでして。

で、こういうことは、逆の、秀吉の時期のことにも当てはまるのではと。


私の子どもの頃は、まだどの土地もそんなに明確な管理下イメージはありませんでした。

山であり、川であり、空き地であっても。


今はよくもわるくも、どこ行っても何か制限を感じないといけないような作り

だから想像しがたいのでしょうけど


昔はそんなに何かの所有を気にしなくても、人間が自由に地球上を渡り歩けると思う人が大半だったのではないでしょうか。

また、島国根性より、土地ならいくらでもの場所で、「あ、ここを整備して住みたいの?いいよ、やってよ」と受け入れられた経緯もあったのではないかと、ちらほら思ったりするのです、いろいろな残り方を見ていると。

 こんな短時間に人口が増えた? のに、焦り、
でも何とかできていたのに次は地球さんが太陽系どのが、小さくなっちゃって。

住める場所や相手が変になって、いがみ合いを気にしているうちにね。。。

 

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