報告ときどきピアノ

開始日、経緯・前後関係と復旧無理な改竄があり、常にも仕上げ原文どおりでご覧になれません。困窮事情ご理解願います。

1つめのお話

2024-06-06 11:33:44 | 日記

  明治生まれの校長先生が、小1~中3までの生徒にしてくれたオトギ話。
(当時の私、小4かな?)

さすがに久しぶりなので言い回しやストーリーそのままは再現できませんが、主旨として覚えておりますので・・

2つの話は、類似点があります。

主人公があとで捉え方を間違える という点で。

 ただ、紹介にあたり、多少躊躇することがあります。

お話には、どうもとらえかたによっては、毒になってしまうことがあるようです。

悪の意図の支配が勝るこの世では特に。

まだここまで改竄/催眠術的応用が国レベルには達していないようなとき、

児童、生徒が、「この先、自分が注意すべき」という範囲で受けとめている当時には、

毒にはならなくても、

ものの例えをふまえず、そんな人がいるのか!などとそのままマに受けて他人を疑うようなタイプの人には、悪が催眠術利用して騙してしまうことになるのです。

' 物事に(真実を知るべき)疑問をもつべき 'とは思いますが、

かたや

' 人を疑う' と、悪い要素が本当は0%だった場合、

疑うことで悪が産み出される 
という、危険がわざわざ発生してしまうことに。

これに、' 根拠決めつけ' は、およそセットになっている から、猛毒になります。

そういうこともあって、私は偏見を持ち込まない必要性をビシッと感じてきています。

じゃあ、

' 人を信じる ' ことで、相手に悪い隠し事がある場合、つらいめをみるのは自分ですが、自分以外の人ではないだろう

ということで、

そういう基本選択を私は、あたりまえのようにしてきたわけですが、

悪魔は、それに挑戦してくるかのように、さまざまなことを私に突きつけてきたようです。

悪魔的存在が無ければ、たいがい私の人生選択で消化できたと思うのですが、なにせ相手は私よりはるかに長じていてムリヤリです。


と、また前置きばかりになってきました。

1つめのおはなしは、

隣村まで 1つ買ってくるお使いを頼まれたAさん(オトナ)が、
行く途中で何かに関わったり障害物にあうたび(3回)に、
「あれ?〇〇だったかいな?」と何を頼まれたのかを適当に名前変えてしまい、
着いた先でついには、「[物でもないの]をください」と言いましたとさ

これをちゃんと、場面設定してお話しになるので、そこそこ時間があります。
今一度、思い出していると、その話し方に意味がありました。

1回目は思い出すのに少しは慎重になっていて、なんか違う と思っていても
2回目では名称を当てはめてみることだけになっていて
3回目は、障害物といってもちょっとしたことだけでサッと変わってしまった・・

そもそもの発端は、「お使い」。

自分が要りようを感じての始まりではない というもの。

ちょっと違うことに関わるたび、本当にやろうとすることを手繰り寄せるのもやめてしまう

さすがに一個人の、半日程度では、となりますが、少しずつ規模を変えていくと、現在それが当たり前の社会です。
無関心構造に、悪しき側からの盛り込み事が随所にあれば、洗脳されていく
(復活のさせようも、鈍くなる・なくなる)
を、見事に表しておられたのです。 

悪しき側の操作(もちろん催眠術を含む)無しには、そんな大衆愚も作られません。
わかっている人が、口をちょっと挟むのすらさえぎられたり、
脅され風潮になることもありません。


つづきます。

 


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コメント (2)
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