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創価学会内部改革派 蘇生の選択 (9)

2011-03-03 15:30:21 | 日記

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rsdさんへ(手紙)(2)

 でも、日蓮宗富士派の信仰は元気になるのです。毎日が楽しいのです。うつ病性障害で苦しくても元気なのです。明日のことを思い煩うことはありません。
 以前、創価学会で10年間、うつ病性障害だったときも、苦しかったけど元気でした。身体は倦怠感で一杯でも心は元気で一杯なのです。朝、起きれなくても、心は元気なのです。そのためうつ病性障害ではないと誤診されてきました。前の脳外科の病院に勤めている頃です。
 
 慢性疲労症候群と自分で思っていろいろあまりに不必要なほど詳しく検査しました。保険にはもちろん通りませんが、院長は知らない振りをしてくれました。ウイルス検査はたくさんたくさん繰り返し行いました。そして当てはまったのが単純ヘルペスウイルス1型(herpes simplex virus type1)でした。実際に抗ヘルペスウイルス薬であるゾビラックス(aciclovir)やバルトレックス(varaciclovir)を服用すると劇的に軽症化していました。精神医学専門雑誌に投稿しましたが、そういうことがある訳がないと返送されてきました。先進的すぎる意見は否定されるのが現代精神医学です。保守的です。

 日蓮宗富士派の信仰には、そういう元気になるという特徴があります。そのためもあって分派が激しかったのだと思います。自己主張が強くなるのです。
 僕は保田妙本寺の信仰で2ヵ月間、うつ病性障害で苦しんできても、保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を否定することはできません。
 元気になっていました。心は清々しくなっていました。それをどう説明したら良いのか、やはり保田妙本寺の末法万年救護の大本尊の御威光というか力を否定することは絶対にできません。これは暗示なんかとは全く違うのです。やった人にしか分からないと思います。

 自分は、信仰をするべきか否か、どう生きれば良いか、分からないのです。この探求は一生続くと思います。

     by 三船敏郎  mon 5:50am Jan 24, 2011              

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創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎、保田妙本寺より離山する(1)
創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎は、親・創価学会として再出発することを宣言する。反池田派は隠す



(1月22日2011年   午前2時15分)     保田妙本寺より離山する

(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)

 僕は幼い頃から創価学会員として育ってきました。また、妻の一族は狂信的な創価学会一族です。創価学会を脱会することが許されないのです。幼い子供が2人います。

 保田妙本寺を創価学会内部改革派憂創同盟残党は一人離山する。一人、寂しく、寂しく。

 保田妙本寺の信仰を行うと自分はうつ病性障害が再燃するのです。ここ2ヶ月余り、うつ病性障害の再燃に苦しみました。創価学会内部改革派だ、と思うと僕のうつ病性障害は軽くなるのです。うつ病性障害の再燃は罪障を消しているんだと納得させていましたが、やはり苦しい。苦しさに僕は負けたのです。

 富士大石寺派にはやった人でなければ分からない歓喜が存在します。その歓喜は広布に駆ける一人一人の胸中に仏性として湧き上がってくるものと思います。日蓮大聖人は民衆救済を叫ばれました。創価学会にも日蓮正宗にも中枢部は分かりませんが末端には民衆救済の情熱があります。カルト指定されるほどの民衆救済の情熱があります。でも顕正会は僕は否定します。

 自分には学会っ子としての血が流れているのです。厳しい少年時代を日達上人の御本尊様と一緒に生きてきました。辛く苦しい少年時代でしたが、日達上人の御本尊様とともに育ってきたから負けませんでした。元気でした。泣きながら帰っても日達上人の御本尊様の前で一生懸命、題目を唱え、次の日には元気一杯に学校に行っていました。

(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)

 創価学会に反池田派だけど付いていこうと決心したのです。日蓮正宗は大御本尊を始め贋作教団と弾劾されていますから付いていきません。反日蓮正宗の立場を取らせて貰います。自分の保田妙本寺離脱は時期尚早であったかも知れません。でも、うつ病性障害の苦しさには適いませんでした。

 今も僕が創価学会員として戦っていると思っている宿命(統合失調症)に苦しみながらも戦っている昔の同志の年賀状に涙したのです。返事は未だ書いていません。
 宿命に苦しむ同志を裏切ることは自分にはできないのです。

(宇宙戦艦三船マン号は沈没しました。貴重な情報を流してくれていた人達、僕を応援していた人達、すみません。僕は疲れ果てました)

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎、保田妙本寺より離山する(2)
創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎は、親・創価学会として再出発することを宣言する。反池田派は隠す



 いつもいつも創価学会の同志の家に行って夜遅くまで、ときには朝まで、インターネットしていました。結婚する前の独身時代の気ままな時です。僕は選挙反対、池田先生反対でしたが、それでも許してくれて、同志として扱ってくれる先輩がいました。男子部の頃は部長時代に常に折伏で県のトップを切っていた部の部長です。何度も聖教新聞に載りました。うつ病性障害とパニック障害で倒れましたが、倒れても勤行唱題を続けてきた部長でした。慕って付いてくる男子部員、壮年部員は多かったです。うつ病性障害を併発したパニック障害のため動けないから自宅を拠点として開放していました。壮年部に移行になってからは壮年部ブロック長となっていました。

 拠点となったアパートには様々な苦しみを抱えた人達が詰め掛けて来ました。うつ病性障害などの精神的病気で苦しむ人が多く、自然と精神科医である自分が必要になりました。うつ病性障害には勤行唱題は禁忌という指導が為されていない時代のことでした。東京の創価学会員専門の精神科クリニックではうつ病性障害の患者には「勤行唱題・学会活動の禁止」が言い渡されていることをインターネットで知っていましたから、そのように指導しますが、熱心な創価学会員には「勤行唱題・学会活動の禁止」ということが納得がいかないのです。

 このもの凄く信心強情な先輩のために僕は創価学会の信仰を続け、そのために一族が熱烈な創価学会のブタ子丸親方との結婚に至るのです。たしかに早く創価学会を辞めていたら、辞めないにせよ活動を中止していたら、と悲嘆に暮れます。早く創価学会を辞めていたら、辞めないにせよ活動を中止していたら、僕は綺麗な女の人と結婚して幸せな生活を今頃送っていたと思うと悲嘆に暮れます。

 あの頃は創価学会一辺倒で視野が狭くなっていたのです。創価学会員としか結婚できないと思っていたのです。
 一度目の結婚は普通の女性と結婚し、自分が週3、4回の当直と当直でない日は夜遅くまでの学会活動、アパートに帰ってきてからは勤行唱題ばかり、昼間は婦人部が「奥さんと面会したい」と毎日のように訪ねてくる、買い物に行けば婦人部が待ち受けている、そして一度目の結婚は破綻しました。一度目の女房はそうして実家に逃げ帰りました。

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎、保田妙本寺より離山する(3)
創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎は、親・創価学会として再出発することを宣言する。反池田派は隠す


 
 その先輩は発症当時は重篤で、ほとんど寝たり起きたりでした。パニック発作のため外に出ることはほとんどできませんでした。体力保持のため外に散歩に出るとパニック発作を起こし、救急車で運ばれることが何回か起きました。

 鉄筋コンクリートの市営アパートですから3LDKのマンションのような構造で、一部屋は広く、充分に会合が開けました。公明党の市議会議員の世話で生活保護になりました。発症当時は重篤でしたから、生活保護になる時に県で実質的にトップの人が来ましたが、その人に「もう死ぬかも知れません」と言われました。草創期から県のトップであった池田先生から直接電話が掛かってくるという人です。その人は「死んでも良いじゃないか」と返答されたそうです。そしてその先輩は死ぬ気で勤行唱題を再開され始めました。

 死ぬ気で勤行唱題をするようにしたと言っていました。もちろん、方便品自我解の勤行でした。それが限界でした。うつ病性障害の人は勤行しなくても良いという指導が徹底されていない時代のことです。うつ病性障害では方便品自我解の勤行でも調子の良い時でないと行うことは不可能です。しかし、その先輩は方便品自我解の勤行を始められました。

 中学生、高校生の男の子供が一人ずつ(あの頃は小学生、中学生だったと思います)、そして奥さんがいました。副支部婦人部長をしている信仰熱心な奥さんでした。

 自分もその頃、うつ病性障害のため一人で勤行唱題を行うことは不可能で、常にその先輩の家に行って勤行唱題していました。その先輩が勤行唱題するのに付き合ってくれるのです。すると方便品自我解だけの勤行唱題ですが、できます。一人ではとても勤行唱題はできませんでした。それがうつ病性障害です。

 また、その頃は今と異なり、週末に集中しての勤務ではなく、平日勤務でした。そのため、朝起きれず、勤務を休むことも良くありました。ある時より、事務長の計らいで、昼からの勤務と当直のみにして貰ってからは、うつ病性障害でも欠勤することはなくなりました。その頃は今の豪邸とは異なり、その先輩のアパートの近くのアパートに住んでいました。アパートからそのまま魚釣りができるというアパートです。

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎、保田妙本寺より離山する(4)
創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎は、親・創価学会として再出発することを宣言する。反池田派は隠す



(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)

 独立路線が正しいような気もします。宗門より破門された後の創価学会にも日達上人の御本尊には歓喜がありました。しかし、日寛上人の御本尊はいけません。現在の創価学会員は歓喜というものがどういうものであったのかを忘れていっているような気がします。昔は燃えるような歓喜がありました。今は日寛上人の御本尊に祈っても弱い薄い歓喜しかありません。

 どの御本尊を創価学会の御本尊にするか決め直すべきかもしれません。インターネットを見ていると昔のもの凄い御本尊の写真がたくさん出て来ます。この御本尊に祈ったらもの凄いだろうなあ、この御本尊に向かって勤行唱題したいな、と思う昔のもの凄い御本尊がたくさん出て来ます。日蓮大聖人直筆の御本尊もありますし、日興上人直筆の御本尊もあります。一番もの凄いのは不受不施派が受持していたという御本尊です。その家に代々受け継がれてきたという物です。

 やっぱり保田妙本寺を新しい本山にするべきかも知れません。自分には分かりません。
 一人一人の胸の中に仏性があります。御本尊無しでも遙拝勤行でも元気になります、歓喜が湧いてきます、でも御本尊を前にしての勤行唱題に比べると歓喜は弱い。御本尊の前に座り、御本尊を見つめるだけでも、日達上人の御本尊の場合は凄い。言葉でなんと表して良いのか分からない。

 髭を生やしたおっさん、信濃町大仏、仲間に入れてください。僕は幼い頃から御本尊様と創価学会の中で外を知らずに育ってきたのです。厳しい少年時代を日達上人の御本尊様と創価学会の中で外を全く知らずに育ってきたのです。
 煩悶しましたが、自分は創価学会に帰ります。勝手ながら、自分は創価学会に戻ります。僕は小さい頃から創価学会の中で育ってきたのです。創価学会の中で日達上人の御本尊様とともに厳しい少年時代を生き抜いてきたのです。
 煩悶しましたが、自分は勝手ながら創価学会に帰ります。暖かい創価学会に、懐かしい創価学会にもう一度帰りたいのです。
 もう一度、とても重かったけれど、創価学会の看板を背負って歩きたいのです。とても大変でしたけれども。でも、元気でした。元気一杯でした。懐かしいです。

     (完)

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎、保田妙本寺より離山する(補足1)
創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎は、親・創価学会として再出発することを宣言する。反池田派は隠す



 僕は中学生・高校生時代を机に池田先生の写真を立てかけて勉強していました。夜、12時までの勤行唱題のあとでした。2時半まで大変な勉強でした。しかし、池田先生の写真を机の上に飾っていましたから頑張り抜きました。でも、中国語を勉強していました。聖教新聞に中国との友好のことが書いてあり、そこの人に手紙を出したら創価学会員だったらしく日中友好のバッジを送ってくれました。語学の才能がないのでしょう。あれだけ勉強しても中国語はほとんどマスターできませんでした。

 中等部・高等部の頃は自分は病気との闘いの日々で毎日1時間40分唱題を上げて耐え抜きました。1時間40分で5千回になると計算していました。もちろん、五座三座の勤行をきちんと行っていました。気合いを入れて大声で行うこと、と中等部担当に人から指導されていましたから、その通りにやっていました。すると喉の病気になって苦しみ抜くことになりました。今も治っていません。小さな掠れた声しか出ないことは、若い頃は非常に辛いことでした。恋もできませんでした。

 他にも、ここでは書けない不幸なことが幾つもありますが、身元が特定されるため書きません。それらは涙無しでは書けないことです。

 医者になってから脳外科に進みましたから学会歌を心の中で歌いながら仕事や手術をしていました。中等部の頃の歌、そして「広布に走れ」、それらを心の中で歌いながら立って眠りながら仕事や手術をしていました。今こそ、女医が多くなり、脳外科の仕事も非常に楽になりましたが、その頃はもの凄く大変でした。勤行唱題はとてもできない睡眠時間を3時間に削っての大学病院に泊まり込みの毎日でした。大学病院は冷暖房完備ですから今が夏か秋か冬か春かの意識がなくなってしまいます。下着は医局の洗濯機で洗います。1回、着るものが無く、家に帰っていたら、居眠り運転で対向車と正面衝突をしました。数分後、三船は死なず、と立ち上がりました。

 眠る時間がないから手術中に助教授が顕微鏡で手術をしている時に立ちながら眠るのです。手を下げたら手袋が汚れるため手を挙げたまま眠らなければなりません。手を下げたら手袋にバイキンマンが付いて手洗いから再び始めなければなりません。


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創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎、保田妙本寺より離山する(補足2)
創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎は、親・創価学会として再出発することを宣言する。反池田派は隠す



 うつ病性障害に罹患し、脳外科を続けることが不可能となり、精神科に移りましたが、精神科は精神科なりの苦しさがありました。脳外科では味わったことのない人間関係の苦しさです。脳外科ではみんなからチヤホヤされていました。しかし精神科は誰でもできる楽な科であるためゴキブリ扱いでした。

 精神科に移ってからは勤行唱題はもちろん一日3時間の題目を唱えることができました。

 自分はつまり、創価学会の末端の素晴らしさを最後の砦としようと思っているのです。創価学会の末端は非常に純粋で熱心です。民衆救済のため広宣流布のため、という心意気と熱気があります。しかし、それもだんだんと消えかかっているような気がして寂しい気もするのですが。

 その非常に純粋で熱心だった末端は若くても60代です。ほとんどが70代以上です。しかし、まだまだ非常に純粋で熱心な末端は存在しています。髭のオッサン、信濃町大仏など存在しています(ここは医局でインターネットがないのです。名前が思い出せません)。

 民衆救済のため広宣流布のためという熱気の中に大聖人の魂は存在するのだと思います。形式ではないと思います。たとえ大聖人御真筆であっても民衆救済のため広宣流布のためという熱気がなければ大聖人の魂は存在しないと思います。

 再びあのお人好しばかりの揃った暖かい創価家族の中に戻りたいです。座談会にも再び参加しようと考えています。でも、座談会はほとんど金曜日の夜に行われているため、仕事で自分は参加できません。

 大聖人の御精神は民衆救済への燃えるような熱気の中にあるのです。

 自分が悩むのは祈るべき対象がないことです。自己の胸中の仏性に向かって祈ることでしょうか? 自己の胸中の仏性に向かって勤行唱題することでしょうか? 
 
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(大聖人の生命は民衆救済と広宣流布に駆ける人々の胸の中にある)
髭のオッサンと信濃町大仏へ(手紙)(1) 5:00am jan 23, 2111 by 三船敏郎

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 髭のオッサンと信濃町大仏へ
 ここは山の上の病院の医局でインターネットがありませんので、名前が分かりませんので適当に名付けさせて貰います。
 懐かしい創価学会に帰るとしても、自分が一番慕っていた先輩の家は今の豪邸(三船屋敷)とは少し離れた所にあります。でも、遊びに行こうかな、とも思っています。その先輩はもの凄く信仰熱心ですけれど決して強制はされません。以前、自分が選挙反対を表明していても許してくれていました。しかし、今から勤行しようか、と言うし、アパートに来たとき帰るとき、仏壇の前で形式的にせよ題目三唱しなかったら拙いという問題があります。今はクルマを乗り回しているようですからこっちに遊びに来ると思いますが、遊びに来られたら相手をするだけで疲れ果てます。とにかく話が長いのです。

 そして、その先輩は池田大作、命!!です。あの人はどうしている、あの人はどうしているという話だけです。以前、その先輩がうつ病性障害が酷かったときには1時間2時間と話に付き合わされました。あのときは大変でした。今は寛解状態のようです。また、付き合いだしたら、頻繁に電話が掛かってくるようになるので辞めておこうかな、と思っています。その先輩はとにかく電話が長いのです。生活保護で暇だからなのか、性格からなのか、困り果てるほど電話が長く、そして比較的、電話も頻繁なのです。だからその先輩には内緒に「創価学会に復活」をしようと思います。女房もその先輩が話がとても長いのに閉口していましたから、女房にも口止めしておこうと思います。というより女房は自分から口止めすると思います。
 こっちはいろいろと忙しいのです。その先輩は今、うつ病性障害で自宅療養している人達の処を回っているようです。とても良い先輩ですが、そういう話が長過ぎるという欠点があるのです。

 電話して「創価学会に復活」を宣言すると、それに付き合わされることになります。自分はやはり日寛上人の御本尊に祈るのが恐いのです。
 以前、その先輩が子供のためにジャパネットでローンで最新型のパソコンを買うまでは、先輩のパソコンは僕のパソコンのお下がりばかりで良く壊れていましたから、そのパソコンの修理に僕が朝までということもありました。自分は今はウイルスを造ろうかと思っています。


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(学術上と信仰の次元は一致しないのだと思います)
髭のオッサンと信濃町大仏へ(手紙)(2) 5:44am jan 23, 2111 by 三船敏郎



 自分のうつ病性障害は保田妙本寺離山により完全に治りました。自分には保田妙本寺の信仰は向かなかったようです。rsdさんがとても熱心にとても熱心に勧めるから、うつ病性障害が再燃したと言ってもrsdさんがとても強く勧められますから保田妙本寺の信仰をしていたのです。過去のログを見られると分かると思います。非常に熱心に僕に保田妙本寺の信仰をするように言われていました。rsdさんがとても強く勧めますから仕方なく保田妙本寺の信仰をしていたように思います。2ヶ月間のうつ病性障害は苦しかった。どんな抗うつ薬もほとんど効きませんでした。抗うつ薬の副作用に耐える日々でした。

 学術上と信仰の次元は一致しないのだと思います。

 大聖人の生命は民衆救済と広宣流布に駆ける人々の胸の中にあるのだと思います。

 しかし、うつ病性障害が完全寛解状態に至ったにせよ、自分には祈る対象がない、という新しい厳しい現実に直面しています。つまり、心の支えにする物がないと言うことです。うつ病性障害にせよ心の支えにする物があったときの方が良かったような気もします。

 うつ病性障害の苦しさのときに創価学会に帰ることを決心しました。魚の回帰本能のような物だと思います。創価学会が懐かしいのです。
 自分は中学生・高校生時代、「御本尊様のために死ぬか?」と問われたら「死ぬ」と答えていたはずです。小さい頃から一度も御本尊様を少しも疑ったことのない中学生・高校生時代でした。御本尊一筋でした。今にして思えば熱心過ぎたと反省しています。よく涜神恐怖に襲われていました。

 中学・高校時代は勤行唱題のし過ぎで心因性の発熱をよく起こしていました。40度前後の発熱が頻繁に起こっていました。病院に行って体温を測ると平熱になっているのです。


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(寝坊して朝の勤行ができないようだと仮病を使って休んでいました。そして朝の勤行をしていました。)
髭のオッサンと信濃町大仏へ(手紙)(3) 6:26am jan 23, 2111 by 三船敏郎



 そのため中学校・高校は良く休んでいました。年に常に20日は休んでいました。寝坊して朝の勤行ができないようだと仮病を使って休んでいました。もう一度書きます。寝坊して朝の勤行ができないようだと仮病を使って休んでいました。そして朝の勤行をしていました。

 でも試験になると体外模試の数学ではいつも県では一番、国で何番でしたので訝られていました。全国模試で自分だけ数学が満点だったときも2度あります。常に数学は全国模試でも満点でした。地域の副会長からはとても良くして貰いました。(今ではそれが仇になっているような気がするのです。大事に育てられながらも反逆した自分です。でも帰巣本能というか戻りました。一時の気まぐれであったのです。)でも中間期末試験はいつもとても悪かったです。英語と国語はとても悪く進級を危ぶまれたときもありました。英語の勉強ばかりしていましたが英語はいつも最低点でした。

 信濃町大仏は創価学会本部職員で特命工作員と言うことですが仲間に入れてくれませんか? パソコンのウイルスを造ります。でもウイルスを造っても民衆救済と広宣流布のためには何の役にも立たないので造らないでいます。それに造る意欲がありません。
 僕はそのような「007ごっこ」が大好きです。

 創価学会員はお人好しばかりで大好きです。ただ、池田大作が嫌いで反旗を翻していただけです。激しい折伏にも頭に来ないで入会した人達がほとんどだから、こんなにお人好しばかりなのだと思います。また、日頃の勤行唱題と学会活動が心を美しくしているのだと思います。

 髭のオッサンと信濃町大仏が仲がとても悪いようなのでとても心配しています。仲間割れは良くないです。

 頭が爆発しそうになってきましたのでここで辞めます。髭のオッサンと信濃町大仏、仲間に入れてください。

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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     信濃町大仏考  (jan 1, 2011 5:35am)
                           by 三船敏郎

(このようなものがハードデスクの中にあった。正月に書かれたものと成っている)



 信濃町大仏は創価学会本部より派遣されてきた工作員と名乗るが、何か心許ないと思うのは筆者のみではなかろう。工作員たるものが自分が持って来たお餅姫ウイルスを標的としていたrsd爺に呑み込ませたのは成功したが、自分も呑み込んでしまうとは非常に心許ない。
 自分の手元にはお餅姫ウイルスバスターがあるため、rsd爺に送ろうと考えたが、住所が分からない。これは僕、三船敏郎が病院の病理組織室(CT室の隣にあり、水虫君菌などの判定を行う。CT室からの放射線が良く入ってくるためにウイルスが突然変異し、お餅姫ウイルスが出来上がった。お餅姫ウイルスの祖先は水虫君なのかも知れない。その可能性は極めて高い。そして僕、三船敏郎が最初に感染した。また、お餅姫ウイルスバスターの培養にも成功した)で培養に成功したもので、製造番号など何も書いていない。ただ、錠剤化には成功した。錠剤化に成功したから非常に飲みやすくなっている。後、二十五錠しか残っていない。僕、三船敏郎が多量に服用したからだ。
 そして病院の病理組織室は事務長から見つかって閉鎖となったから、これ以上、造ることはできない。
 これをrsd爺のもとへ送りたいが住所が分からない。仲介者がいない。

 僕、三船敏郎は今度から反創価学会活動は止めます。僕、三船敏郎は自身を守らなければならないとrsd爺の手紙にあったからです。

 このお餅姫ウイルスは呼吸器系、中枢神経系など比較的広範囲に感染性がある。rsd爺はおそらく呼吸器系に、信濃町大仏は中枢神経系に感染した。僕、三船敏郎も中枢神経系に感染した。今度の標的はお餅姫ことお萩姫になるが、現在、海外逃亡中である。キンマンコ君にも感染させたい。いや、もう感染したのかも知れない。最近、姿が見えない。
 なお、このお餅姫ウイルスバスターは後、二十五錠と少ないため、信濃町大仏には与えられない。病院の病理組織室が閉鎖されたため自宅で作らねばならないが道具が不足している。その作り方は僕、三船敏郎の頭の中にしかない。

       (完)
 
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創価学会反池田派またの名を三船敏郎
保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会員は救われる、と確信する者です。
宇宙戦艦エビ飛ぶ姫、命!!

(宇宙戦艦エビ飛ぶ姫、命!!などから正月に書かれたもので間違いない。なお、お餅姫ウイルスバスターは三船敏郎がすべて飲んでしまった。あまり効かなかった。)

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 押木次郎さんへ (no.2)



 押木次郎さん、自分は立ちません。革命の日は近づいているかも知れませんが、僕は一家4人の幸せの方を取ります。女房はどうでも良いけれど子供達が可愛いです。

笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。

 確信がないのです。信仰への確信がないのです。全てを犠牲にしてまでも行うべきかの確信がないのです。
 それに宗門の大御本尊が後世の贋作であることは決定的になっています。以前は懐疑に留まっていたものですが、今ではデジタルアナライザーでの分析も行われました。文献的にも100%贋作であることは明らかだと思います。すでに文献的に明治時代には贋作であるとされていたのです。それへの認識がみんなに欠けていたのです。

 また、自分一人が立っても創価学会の流れを変えることは出来ないという諦観があるのです。革命は不可能です。潰されるだけです。僕は卑怯かも知れませんが安全策をとります。安全策をとって創価学会の中に生き残っている方が創価学会を良くするためには良いのではないかという考えもあるのです。その方が創価学会を良くするのに良い考えではないかという想いがあるのです。

 これは卑怯な考えではありません。隠れるのです。今は地下に潜るのです。そして本当に革命が可能になる日を待つのです。今は革命は不可能です。今は時期尚早と自分は思います。
 創価学会員を救わなければ。池田大作により歪まされた創価学会を正しくして創価学会員を救わなければ、という想いは不変ではあります。
 でも今は時期尚早です。改革派として隠れて残ります。本当に改革派として隠れて残ります。


笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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同志、信濃町大仏、削除されたという機密情報を僕、三船敏郎に流してくださらないでしょうか?
すなわち、僕、三船敏郎が来世で結婚する誓いをしているお萩姫などの機密情報です。
誰も送ってくれません。
メール先はホームページに書いてあります。
ccc998@infoseek.jp です。
Yahoo に知られることはないと思います。
同志、信濃町大仏、お頼み申し上げます。
近いうち、一緒に養命酒を飲みましょう。僕はお酒は養命酒しか飲みません。お餅姫ウイルスは入れません。
では、このテープは自動的に消滅する。成功を祈る。ジューッ。

by 三船敏郎

☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆11


 池田大作が権力の魅惑に囚われてしまって広宣流布と民衆救済を見失ってしまっただけです。池田大作が間違ってしまって創価学会員に不幸が立て続けに起こるようになって広宣流布が頓挫したのです。
 創価学会を立て直せば良いのです。創価学会は権力志向を捨てなければなりません。政治は戸田先生の仰られていた通り参議院に限定するべきです。総体革命は捨てなければなりません。戸田先生の純粋だった創価学会に戻すべきです。戸田先生の講演集を御書のようにして行けば良いと思います。公明党、民音、博文堂など存在価値が全く理解できない余計な物は解散するべきです。それらの存在意義は無いと思います。しかし、宗門にも腐敗は存在すると思います。
 創価学会は独立して世界広布に向かっていっても良いと思います。しかし、このことは世界広布を考えると確かに一考しなければいけないと思います。難しい問題です。ただ、池田大作はたしかに完全に間違っていたと思います。


今の創価学会には選挙と財務だけで広宣流布、民衆救済の情熱が薄れています。創価学会は折伏をしなくなっています。これは改めるべきことです。

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rsdさんへ(手紙)


 rsdさん、病床のrsdさんにこんなことを言って申し訳ないですけど、信仰とは理屈では割り切れない所があるのではないかと思います。
信仰とはオカルトだと思います。人智を越えた所に存在するのだと思います。精神障害が理由もなく悪くなったり良くなったりする所があるように(とくに入院中の患者ではそうです)、信仰とは人智を越えた所にあるのではないかと思います。学術上のことと信仰は別次元ではないのかと思います。

 僕は保田妙本寺の信仰をすると不思議にもうつ病性障害が再燃します。何故だか全く分かりません。学術上、絶対的に正統なはずなのに僕のうつ病性障害は再燃します、悪化します。ここ2ヵ月間、苦しみました。学術上、理屈上は正統なはずなのに何故だ、と苦しみました。これは、こういう宿命、宿業を持った自分だからだったのかも知れません。保田妙本寺に向かって勤行唱題するととても心が洗われるようになっていました。元気になっていました。でも、うつ病性障害が再燃、悪化するのです。

 自分の過去の罪業が消えて行く過程だ、と自分に言い聞かせても、うつ病性障害の苦しみにはやはり勝てませんでした。rsdさんが非常に勧められた保田妙本寺の信仰は自分には合わないのだと自分は思おうと思います。うつ病性障害が再燃する、悪化するのは、“魔”の跳梁かも知れません。でも苦しいのです。保田妙本寺に向かって遙拝勤行するととても心が洗われるようになるのに、とても元気になるのに、僕は保田妙本寺の信仰を捨てる決意をしました。一生、保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に向かって遙拝勤行しようと決意していたのにです。

 馬鹿な決意なのかも知れません。でも学術上は贋作と決まっている富士大石寺の大御本尊に向かって遙拝勤行をしていたとき、富士大石寺のお寺に行って勤行唱題をしていたときが調子が良かったのです。理屈や理論では割り切れない処が信仰にはあると僕は思うに至ったのです。 
 心がとても清められる感じがするのに、とても元気になるのに、うつ病性障害の苦しみには勝てませんでした。

 僕は保田妙本寺を離山します。これしか方法はありません。

 僕は古巣の創価学会に戻って、大人しく信仰して行こうと思います。信仰とは何か?という思いもあります。信仰とは人の道を正しく生きて行くことではないかとこの頃は思うのです。釈迦が説いたのは、それではないかと思うのです。

 信仰とは人の道を正しく生きて行くことではないかと思うのです。
  
     by 三船敏郎  mon 3:00am Jan 24, 2011

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rsdさんへ(手紙)(2)

 でも、日蓮宗富士派の信仰は元気になるのです。毎日が楽しいのです。うつ病性障害で苦しくても元気なのです。明日のことを思い煩うことはありません。
 以前、創価学会で10年間、うつ病性障害だったときも、苦しかったけど元気でした。身体は倦怠感で一杯でも心は元気で一杯なのです。朝、起きれなくても、心は元気なのです。そのためうつ病性障害ではないと誤診されてきました。前の脳外科の病院に勤めている頃です。
 
 慢性疲労症候群と自分で思っていろいろあまりに不必要なほど詳しく検査しました。保険にはもちろん通りませんが、院長は知らない振りをしてくれました。ウイルス検査はたくさんたくさん繰り返し行いました。そして当てはまったのが単純ヘルペスウイルス1型(herpes simplex virus type1)でした。実際に抗ヘルペスウイルス薬であるゾビラックス(aciclovir)やバルトレックス(varaciclovir)を服用すると劇的に軽症化していました。精神医学専門雑誌に投稿しましたが、そういうことがある訳がないと返送されてきました。先進的すぎる意見は否定されるのが現代精神医学です。保守的です。

 日蓮宗富士派の信仰には、そういう元気になるという特徴があります。そのためもあって分派が激しかったのだと思います。自己主張が強くなるのです。
 僕は保田妙本寺の信仰で2ヵ月間、うつ病性障害で苦しんできても、保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を否定することはできません。
 元気になっていました。心は清々しくなっていました。それをどう説明したら良いのか、やはり保田妙本寺の末法万年救護の大本尊の御威光というか力を否定することは絶対にできません。これは暗示なんかとは全く違うのです。やった人にしか分からないと思います。

 自分は、信仰をするべきか否か、どう生きれば良いか、分からないのです。この探求は一生続くと思います。

     by 三船敏郎  mon 5:50am Jan 24, 2011              

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創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎、保田妙本寺より離山する(1)
創価学会内部改革派憂創同盟残党三船敏郎は、親・創価学会として再出発することを宣言する。反池田派は隠す



(1月22日2011年   午前2時15分)     保田妙本寺より離山する

(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)

 僕は幼い頃から創価学会員として育ってきました。また、妻の一族は狂信的な創価学会一族です。創価学会を脱会することが許されないのです。幼い子供が2人います。

 保田妙本寺を創価学会内部改革派憂創同盟残党は一人離山する。一人、寂しく、寂しく。

 保田妙本寺の信仰を行うと自分はうつ病性障害が再燃するのです。ここ2ヶ月余り、うつ病性障害の再燃に苦しみました。創価学会内部改革派だ、と思うと僕のうつ病性障害は軽くなるのです。うつ病性障害の再燃は罪障を消しているんだと納得させていましたが、やはり苦しい。苦しさに僕は負けたのです。

 富士大石寺派にはやった人でなければ分からない歓喜が存在します。その歓喜は広布に駆ける一人一人の胸中に仏性として湧き上がってくるものと思います。日蓮大聖人は民衆救済を叫ばれました。創価学会にも日蓮正宗にも中枢部は分かりませんが末端には民衆救済の情熱があります。カルト指定されるほどの民衆救済の情熱があります。でも顕正会は僕は否定します。

 自分には学会っ子としての血が流れているのです。厳しい少年時代を日達上人の御本尊様と一緒に生きてきました。辛く苦しい少年時代でしたが、日達上人の御本尊様とともに育ってきたから負けませんでした。元気でした。泣きながら帰っても日達上人の御本尊様の前で一生懸命、題目を唱え、次の日には元気一杯に学校に行っていました。

(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)

 創価学会に反池田派だけど付いていこうと決心したのです。日蓮正宗は大御本尊を始め贋作教団と弾劾されていますから付いていきません。反日蓮正宗の立場を取らせて貰います。自分の保田妙本寺離脱は時期尚早であったかも知れません。でも、うつ病性障害の苦しさには適いませんでした。

 今も僕が創価学会員として戦っていると思っている宿命(統合失調症)に苦しみながらも戦っている昔の同志の年賀状に涙したのです。返事は未だ書いていません。
 宿命に苦しむ同志を裏切ることは自分にはできないのです。

(宇宙戦艦三船マン号は沈没しました。貴重な情報を流してくれていた人達、僕を応援していた人達、すみません。僕は疲れ果てました)

―?

http://sky.geocities.jp/mifune0008/
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎