
このブログを初めて約9年。
もう1年続けていれば、10周年を祝えるはずだったのだけれど、
どうやら、その前にフィナーレを迎えることになりそうだ。
こういう文体で、こういう心境で、
物事や心情を綴ることで、ワタシ自身を恐らく慰めていたのだろうし、
そうやって、心のリハビリをしていたと思うのだけど、
読み返してみれば、それは非常に押し付けがましいグチだったし、
客観的に自分自身を描写しつつ、感傷的になっていた。
そんな文章を、今に読み返すととても感慨深い。
ここ最近、そういった文体で久々にコラムを書こうと手を付けてみても、
どうしても筆が進まない。
何となく気付いていたのだけど、
昨年の歌手10周年が終わって、私の中で何かが変わった。
もちろんその前後には、変わる為のファクターがいくつかあり、
その一つが、ポリープを抱える苦しみ、そして、手術。
大好きなタバコもやめて、歌手という生き方をもう一度考え直したこと。
地味とも思えるような暮らしをしながら、
ただ一日一日、唄えるということ、働くということ、食べるということ、
そういったシンプルなことに気持ちを注いでいった。
自分のために生きることが、自分を強く持つことだと思っていたが、
それが実は間違いだったことにも気付いた。
すると、なんだろうか、
ハッキリと、ワタシの身の上に憑依していた「あるモノ」が、
スッと消えていったのが分かった。
今年の1月。
正月の飲み食いで胃を壊し、七草がゆを食べようかと、
わざわざ電車に乗って、SOUPSTOCKに行ってお粥を食べたとき、
これほどバカバカしいことはないなと悟り、
そこから、なんとなくウチでご飯くらいは炊こうと思った。
東京に来てから買った、15年ほど前の安い炊飯器で作るご飯はマズく、
それを理由に一切使っていなかったのだが、
そろそろワタシも大人だし、いい炊飯器でも買おうか…と、
ちょっと贅沢をして炊飯器を買った。
それをきっかけに、パスタを茹で、みそ汁なんかも作るようになった。
ヤバい…所帯染みてきたな…と頭を過ったが、何気に楽しかった。
そのまま夏が近づいてきて、
これもまた15年ほど前から変わっていない、
ちっとも冷たくならない冷蔵庫の中身がとうとう腐り始める季節となり、
いい加減大人だし…と、これまた買い替えた。
冷蔵庫の中は、今までにない風景へと変わった。
有機物が家の中に溢れていった。
そして、5月。
星屑スキャットでヤフオク!ドームのイベントに出演するついでに、
久々に実家へ帰った。
本当は、ドームで唄う姿を見てもらいたい所だったが、
今回の帰省理由は一切内緒にして両親に会った。
*****
話は変わって、6年前の2007年、
ワタシの店「夜間飛行」の開店のための契約をする際、
父親がわざわざ上京し、ワタシが店を出すことを強く咎めたことがあった。
この件に関して父は一切認めてくれず、
むしろ母親は、ワタシを福岡へ引き戻すことを考えていたらしく、
まさに今の時期と同じく8月の暑い日、
花園神社の境内で、苛立ちと悲しみがいったりきたりの喧嘩をした。
結果、ワタシは両親に勘当を申し出た。
すごく大袈裟な話だけど、そうするしか店を出す事が出来なかった。
そして、4年が経って、
初めて両親に、店を出していることを伝えた。
強引な形だけれども、そうやって店を出したことを認めてもらった。
それならばお前の店を見てみたい…と、
父親がワタシの店に初めて訪れたことがあった。
開店前ではあったが、父親が初めて夜間飛行の階段を上がった。
店内には、
ギャランティーク和恵という歌手のポスターがベタベタと貼ってある。
ワタシは、父親に一切のカミングアウトをする決意をしていた。
けれども、父親は、その事には何も触れずに帰っていった。
きっと、ワタシが女装をして唄っているという事実は、
見て見ぬ振りをしてくれてるのだろう、
と、その時は思った。
*****
そういう両親の気遣いもあるのだろうと、
5月の帰省では、一切自分から仕事の話はしなかったし、
両親も、今回の帰省の理由には触れてこなかった。
が、しかし。
いつものように晩酌をしながらお酒が入っていった頃、
父親が酔った勢いで、実はワタシがどんな活動をしているのか、
全て知っていることを打ち明けてきたのだった。
両親がその事を知ったのは1月。
星屑スキャットで出演していた、とある番組をたまたま見ていて、
その中で、ワタシが夜間飛行のオーナーとして話をしているシーンもあり、
どうやらワタシが「星屑スキャット」のメンバーということを知ったらしい。
しかもそこで唄っていた「マグネット・ジョーに気をつけろ」は、
発売当初の去年6月くらいから、ワタシの電話のメロディーコールになっていて、
ワタシに電話をしてきた母が、この歌を聴いて好きになってしまい、
「この曲知らない?」と口ずさんではしきりに母親の友人に訊ねていたという。
しかし、一向にその歌が「誰」の「何」であるか探し当てることが出来ずにいた所、
テレビでその歌が偶然流れてきたので、「コレだ!」と飛びついたはいいものの、
それを唄っているのが、どうやら女装した自分の息子だと知った時は、
さすがに動転したらしい。
それから、インターネットも使えない両親は、姉に調査依頼をして、
ワタシが星屑スキャットの一員であるかを調べてもらったらしく、
結果、色んなことが調べられてしまっていた。
何と、既に「マグネット・ジョーに気をつけろ」のCDまで購入していた!
もう、緊張や動揺を通り越して、笑いが止まらなくなり、
あんなに後ろめたく、ワタシをずっと苦しめていたはずの両親への隠し事が、
こんな感じでケラケラと笑いながら話が出来ているなんて、不思議でならなかった。
「いや~ね、不思議なことに、
この番組が放送されたのが、貴方の誕生日の次の日だったのよ…」
何が不思議なことだろう??
と、その時は母親の言葉に意味を感じていなかったが、
気付くと、ワタシの年齢と、父親の年齢がちょうど2倍になっていた時で、
そういう瞬間は実はあまりなく、人生で一度きりのタイミングだけれど、
2倍という事が凄いというより、
ワタシの今の年齢と同じときに、
父親はワタシという息子に初めて出逢ったのだな…と思うと、
ワタシが今、父親のそれと同じ年齢になった瞬間、
今までとはまた違った形で、
両親に「初めまして」をしているような気がした…。
うまく言えないけれど、
それって凄いタイミングだなと思った。
そんなこんなで、
気付いたらワタシは、両親に歌手活動の全てを伝えると共に、
ゲイであることもカミングアウトしていた。
ずっと恐れていて、思い悩んでいて、苦しんできたことなのに、
こんなにもあっけなく、その日がやってきた。
東京へ帰る日、
両親が飛行場まで送ってくれた。
息子が女装をしていて、男の人が好きで…。
きっと二人は、
そんなことを受け入れることが簡単に出来るはずもないだろうが、
それよりも勝る、今までにない親近感を持ちながら、
出発時間までコーヒーを飲んでいたように思う。
東京に着き、そのまま夜間飛行に入った。
アンプの電源を入れると、自動的にCDが再生される。
前の日のスタッフが入れていたCDから流れてきたものは、
驚くことに、ワタシのオリジナル「もうひとりの私」だった。
♪言えないだけの ホントのことが
こんな形で 知れちゃうなんて
宿命的な曲が、自らの声で、
もうひとりのワタシを祝福してくれている。
(あぁ…この曲がワタシの人生と共に昇華されている…)
と、不思議な気持ちで聴いていた。
とりあえず、ワタシの中の「ひとつの時代」は終わったのだ。
*****
振り返ってこのコラムを読み返してみると、
「もうひとりの私」の呪縛に満ちた日々が沢山描かれている。
そんな呪縛が、このコラムを書かせる原動力だったりもした。
2004年7月、
相も変わらず、酒場で金を落としているワタシがいる。
やっていることは今とちっとも変わっていない。
散歩依存症は、昔ほどではないけれども続いている。
でも、昔とは大きく違う。
もう、ここで何かを書く必要は無くなったのかもしれない。
それは、とても幸せなことであるけれど、
ちょっぴり、淋しい…。
そんな気持ちを持ちつつも、
ここで一度「夜の七変化」は完結。
「愛おしき青き時代よ、さらば!」
*****
長い間、ご愛読くださり、
本当にありがとうございました!
和恵
(追記/その後2004年7月以前のブログ「夜の手帖」が発掘され、このブログに追加されています)