Now Know No Limits.

なののり。日々のしょうもない書き散らし。

不穏な空気

2010-09-29 21:23:03 | 書き散らし
Aはかばんをぶらぶらさせつつ、ホーム上の立ち食い蕎麦屋へと歩み往く。もうすぐ午後三時になる。商談はやたらと時間が掛かった上、まとまらなかった。こんな時間だが、昼抜きの身体は腹が減ったことを強く主張する。
券売機で選ぶのは300円のソバである。あとで飲み物を買ってもワンコインでおつりが戻る。わるくない、わるくない。
午後の中途半端な時間帯ともあって店は混んでいなかった.客は他に一人しかいない。似たような年格好のサラリーマン。そいつはちょうど割り箸を手に取ったところだった。丼の中身が月見ソバであることにAは少し嫉妬する。いやいや、こんな時間にこんな場所で昼飯を食わなくちゃならないのだから、境遇は似たようなものだろう。
Aが食券をカウンターに置くと、無愛想なおばちゃん店員が「ソバね」と一言発して注文に取りかかった。

先客のサラリーマンが割り箸の先で卵の黄身を割った。
黄身が出汁にこぼれ出る。
Aは何をするでもなく、ソバを茹でる店員を眺めている。
サラリーマンがソバを喰いにかかる。
視界の片隅、サラリーマンの身にただならぬ緊張が走るのをAは感じた。

「あれ、なんで世紀末で人類滅亡してないの? おかしくね? 次の世紀末いつくるんだよ、おいおいどーすんだよこれあと百年近くかかるじゃねえか」
流れ出す黄身をじっと見つめたまま、サラリーマンが誰に向けてか口を開く。
つぶやきというには大きすぎる声にぎょっとして、Aはサラリーマンをまじまじと見る。
「どーすんだよこれ……」
サラリーマンは深刻な問題を見つけてしまったときの上司の表情で、丼の中、拡散する黄身を凝視している。
こいつは頭おかしいのだろうか。Aは顔を向けたことを後悔し、素知らぬ体を装おうべきかと思案する。
次の瞬間に、サラリーマンは猛烈な勢いでソバを食いはじめ、あっという間に麺を平らげ、丼を飲み干して、
「ごっそさん!」
と言って、引き戸を開けて店を飛び出る。
Aは何が起きたのかよく分からない。自分が、いま目の前で起きた奇妙な出来事にどのような感情を持てばいいのば良いのかが、よく分からない。

ぼけっとしているAの前に店員が丼をやや乱暴な手つきで置いた。
「はい、おまちどおさま」
頬にわずか撥ねた出汁の熱に反応して、Aはようやく我に返る。

閉じきっていない引き戸から、細い風が緩やかに流れ込む。

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