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GABIBOの山日記 パピプペポ

歩き登った登山/ハイキング記録

ゆるぎない山への思い。

2011年05月21日 | 日記
ゆるぎない山への思い。

このところ日記を書いていないので、書いてみた。
写真が入らない、文章をだらだらつづる私のブログは人気がない。
他人が読んでも読まなくてもいい、これは日記です。

今年はいくつ山にのぼっているのだろうか。
今年は出足から躓いた。
1月1日 仲間のスーサンと甲斐駒ヶ岳は駒津峰まで登ったが、
そこから先は体力に自信なくあえなく敗退。

1月9日は所属するハイキングクラブ 
アルコの仲間と新年山行を行った。
日向和田から三室山、日の出山、御嶽山と歩き、
ある人は御嶽神社に参拝し、全員で長尾平の日だまりで新年会を行った。

1月16日は私がリーダとなり、
アルコの仲間と今倉山から二十六夜山を歩いた。
寒かった。仲間のペットボトルが芯まで凍った。

1月30日はアルコの仲間と愛鷹山の内の越前岳を登った。

2月6日はアルコの仲間と中央線沿線の花咲山に登った。

3月6日この日は私がリーダーでアルコの仲間24名とバスに乗って、
柳沢峠まで行き、黒川山と鶏冠山に登った。雪道を久しぶりに歩いた。

そして3月11日の東北大震災を迎えた。
2時46分、渋谷区の某小学校の警備の仕事をしていて
1年生の下校を見送ったところに、
いままで経験したことのない大揺れに遭遇。
下校した筈の1年生5人が駆け戻ってきた。
すぐに近くの公園に連れて行きしばらく様子をみる。
静まったところで下校させたが、それから学校は大騒ぎであり、
生徒を校庭に全員集める。保護者が次から次へと駆けつける。
結局、集団下校していくが、学校の建物に被害がなく、
周辺にも被害がなく、とりあえずはよかった、よかった。

しかし、電車は完全に止まり、帰宅難民の一人となり、
渋谷区の小田急線某駅から4時間半、夜中、歩いて、
登戸の娘夫婦と孫の所に泊まらせてもらい、
翌朝、ようやく動き出した南武線の電車に乗って昭島駅に帰ったが
もう昼近くであった。

その日はちょうど12日であり、ハイキングクラブ アルコの
「山の写真展」2日目。主催者としては中止の声も聞いたが、
開催した以上は続けるということで、翌13日
アルコの総会の日まで続けてしまつた。

大震災の被害が甚大であり、不謹慎という声もあったが、
山の写真展と総会は開催してしまった。

知れば知るほど被害の大きさにびっくり。
妻の実家はあの南三陸町であり、田畑家財すべて消失してしまい、
生活基盤を失っていた。
親戚も似たりよったりであり、
命だけたすかったが、それ以外のすべてを失っていた。
親戚としてどう対応すべきか、支援するにしても長期戦となるのは必定。

アルコでも義援金の話が持ち上がり6月までの8回の
山 行で参加者各位から500円を集めて日赤などに託すことになり、
直ちに実行することになった。

震災に福島の原子力発電事故が加わり、
日本全国が鬱に入ったようで震撼としてしまった。

アルコでも3月中は山行中止となった。自粛不況とでもいうのか、
町もしずまりかえってしまった。
自粛ムードは浸透し消費は鈍って先行きが懸念された。

4月6日、私がリーダーであるアルコの計画/丹沢/檜洞丸は
なんとなく気分が乗らず中止とした。
その前日4月5日 これはお忍びで個人山行を企てスーサンと海沢の
三ッ釜滝、ねじれ滝、海沢大滝から沢を詰めて大岳山に登る。
ここで悪いことは出来ないもので、なんとアルコの会員ミータン、めんごチャベ、
フルフルの三人と頂上で遭遇、帰りは一緒する。

4月10日奥多摩笹尾根生籐山から登山再会、これには参加。

4月29日 アルコの計画である坪山に多数参加とのことであるが、
私は不参加。

5月08日 アルコの計画である鶴が戸屋山に登るべく、
大月駅よりタクシーにて近坂橋下車、
それから1時間くらい登ったところで体調不良の者1名に
付き添い下山する

5月15日(日)アルコは鹿倉山に17名の参加とのこと、盛況に万歳。

私はなぜかアルコに背を向けて一人、鳩ノ巣から花折戸尾根を歩き、
本仁田山から鋸尾根経由、川苔山に登り、赤杭尾根を降り、
8時間歩き通して古里駅に出る。
なぜかロングコースを歩きたかったのだ。

5月18日 市内A病院に行く。整形外科の診断では右足の親指から
内側7-8センチのところの豆状骨が割れている(骨折)とのこと。
アルコに背を向けて一人ロングコースを歩いた結果の天罰だろう。
痛み止めと湿布をもらう。
以前も同じところが痛みしばらくびっこで山歩きしていた。
そのときは痛風の発症とばかり思っていた。
今回も痛風の発症と思って病院にいったのだが、
レントゲンで骨が割れているのは歴然であり、
尿酸値はそれほどでなく、医師から痛風でなく骨折を宣言される。

痛み止めを飲み湿布をはることで、歩るこうと思えば歩けるのが幸いである。

5月28日-29日は赤岳行が控えている。
一週間あり、なんとかなるだろう。

3月末に入札に破れた結果、学校警備の仕事は終わった。
4月に新しく某市営の競艇場の警備の仕事に就く。
極端な話、酔いどれギャンブラー相手の警備の仕事であり、
そこにいることに疑問を感じてしまい、
4月末に1ヶ月でその仕事を辞める。

登山資金かせぎの勤務であり、学校警備はよかった。
土曜日曜祭日が休めて、さらに夏休み秋休み、冬安ね、
春休みがあり、登山に行けた。

ところが競艇場は土日が稼ぎ時であり、
勤務が不規則であり、
登山の日程が組めない難点もあった。
ここにはない、なにか外にミッションがあるのではないかと思った。
そのミッションを捜すためいろいろと本をよんだり、
ネットで探索したりしている。

5月01日市の広報にアルコの新会員募集の記事が載る。
電話番をする。
70才の女性から最初の電話があった。
アルコは平均年齢62才を理由にお断りする。
72才の男性二人からも電話あるがお断りした。
65才までとして応募を待った。そのあと、
女性からの問い合わせが連続した。
入会案内も送った。
1名からはお試し山 行参加の返事をいただいた。
さらにということで待ち受けているが、いまのところまだ返事はない。

なにかミッションがあるはずであり、これからは、その探索の日々だ。

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最近のことども、パピプペポ

2008年05月05日 | 日記
1.このところの山
ハイキングクラブ アルコの仲間と賑々しく登るのが大好きで
あるが、このところいろいろとあって、間を置きがちである。
5月3日から5日に掛けての個人山行
残雪の槍ヶ岳行もアルバイトを始めた
ことから、体力的に疲労が重なり、
キャンセルして教養とした。
睡眠不足であり、3日は充分睡眠を取り、
4日は単独で奥多摩に出かけた。
鳩ノ巣駅-城山-鍋割山-大岳山-鋸尾根-奥多摩駅
を6時間で歩いた。
5月の奥多摩の新緑は素晴らしく奥多摩の山が青々としていた。
心癒される単独行であった。

2.アルバイトを始めた。
これがなんとも過酷なアルバイトである。
通勤時間往復4時間、実働時間12時間であり、なんだかんだ
16時間が消える。
週4回月火木金の勤務であり、体力的にチョツト厳しい。
週3日にしてもらおう。


3.左目角膜移植手術のその後
手術してからもう4ヶ月が経過した。
たしかに手術した左目は右目より明るく見えている。
ただ、ピントが会っていないのが残念だ。

このところ右目が昼間かすんでみえるようになり、
手術前の左目に近いかんじになりつつある。
両目とも角膜変性(混濁)という診断であり、右目もいずれは
手術と言うことになる可能性大である。
もし手術したらなんと亡くなった方お二人から角膜を
頂くことになる。
そうならないようにねがっていても右目の混濁は進んでいる。

右目は昼間は周囲が霞んで見えるのだ。
夜間はそれでもきちんと見えるのだ。
昼間は乱反射したように見えでよく見えない。
いずれ時間の問題で手術ということになるだろう。

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パソコンのメンテ

2008年04月12日 | 日記
パソコンの訪問サポートを受けた。
このところパソコンの調子が悪かった。
インターネットの接続不良で、接続がすぐに断線してしまい、
イライラのし通しであった。
ハード的なものか、ソフト的なものか、哀しいことに原因が
解らない。

結局、プロに依頼し、訪問サポートを受けた。
その結果、ソフト面では
ルーターの接続不良は、現行ソフトのバージョンアップすることで
接続が安定した。
また、セキュリテイーソフトが古く成ったので、これがバージョンアップ
を行った。

また、ハード面では
メインメモリー256メガバイトを1ギガに4倍の増設を行った。

結果的に言われるままに下記の支払いを行った。

基本診断料          9,000円
メモリー1ギガ       11,800円
ソフトのバージョンアップ  17,600円
           合計 38,400円

これが安いのか、高いのかは解らない。
プロの言われるままにしたら、確かにパソコンの不調は直ったし、
メモリーの増設でスピードが格段に上がり、
調子が良くなったことは確かだ。

サポート代が高いと思ったら自分で勉強し、自分で直したらいいのだが、
そうするとサポート代どころの話しでは無い教育投資が必要であろう。
そうなると、とても38,500円どころの教育投資では済まないだろう。
それはそれ分業で成り立っている世界、自分の分野ではないところは
他人様にお世話になるということで考えたら38,500円は決して高い
ものではないだろう。
イライラ解消した。
しかし、まだまだ問題はいろいろとある。
ハードディスクの容量不足であり、これの解決にもサポート代が掛かる。


パソコンの寿命は5年とサポートした彼は言っていたが、
現在のパソコンもあと2年で買い換え時期を迎える。
あぁ、、、、、。
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左目角膜移植手術後の視力

2008年03月22日 | 日記

ラムさん、お久しぶりです。
このところ風邪を引いてしまい、毎日、だるくで熱っぽくて
ブログを書き込む元気がありませんでした。
風邪がようやくよくなりつつあり、ブログを書いてみる気になりつつあります。
それとインターネツトの接続が悪く、これもブログを書く意欲をなくしていた
ものです。
今、書き込んでいる原稿も接続できないかもしれません。

さて、手術後の視力ですが、全体的には明るくなり、手術して良かったと
感謝しています。
ただ、視力が思うように上がらないと言うことだけです。
原因はわかりません。
最悪は臓器移植の拒絶反応につながることです。
今のところはなんとも言えませんが、
この点は楽観しています。
自分自身に向かって拒絶反応などにはならないと断言しています。

今まで左目をとじて新聞などよんでいたせいかと思います。
左目の機能が退化?しているのかとも思います。

明日は我がハイキングクラブ アルコの総会です。
遊びの世界でも総会となると緊張して、いろいろと考えて発表
するべく考えています。

それてハイキングクラブ アルコの第一回山の写真展を開催しました。
作品は42点あつまり、ハイキングクラブが写真展を行うということで、
かなり好評です。
この準備のための忙しさもありました。

ということで、左目手術して良かったとおもいますが、
医師の期待ほどには成果が出ていないのですが、
まあ、何とかなるでしょう。呵々大笑。
コメント (1)
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左目角膜術後72日目

2008年03月01日 | 日記
左目角膜手術後、72日を経過した。
まだ安定していない。点眼薬を日に4回投与している。顔は洗うのではなく、
蒸しタオルを作って顔を拭いている。
風呂は入っているが顔は洗わない。頭は目に水が入らないようにしてシャンプーしている。
病院は月1回で、近場の眼科診療所に1週間に1回いくようにしている。
とにかくゴミ、ホコリに弱い。
したがつて今のように強風の吹くときは保護メガネを掛けて歩いている。
ゴーグル状のメガネであり、チヨット人目を引く。
作業現場で使う保護メガネであり、ワークマンで購入した。
やすい1,000円前後であり、子供達に言わせると高いメガネと言ってくれる。キッズルームで子供達と遊ぶ時は必ずかけている。
子供達と遊んでいるときは、目にショツクを与えないように注意しているが、子供達の動きは読めない。いきなり顔にサッカーボールなどが飛んできて目のあたりを直撃することがある。ヒヤリハットするときがある。

ところで街中の地下室などに入ると、左目がその場の空気の悪さを感知して左目が重くなるか痛くなる。
人混みとか、雑踏も今はあまり歩きたくない。むしろ登山、ハイキングで山に入るときは左目は元気だ。あきらかに空気がいいのだ。
左目の感知器が山の空気はいいといって言っている。
したがつて登山ハイキングでは木の枝で左目を傷つけないように保護メガネをして登っている。

さて、今後の課題は左目が先日の視力検査ではピントがズレていることが判明した。左目だけで視力検査表を見ると二重、三重に見える。
どうも新聞読むときに疲れる、疲れると思った。
これはいずれ調整すると医師は言う。

次の課題は臓器移植の一つである角膜移植であるから、拒絶反応がでるか、でないかである。手術した人の2割くらいに拒絶反応がでると言われている。
安全な8割でありたい。ただ祈るばかりである。

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人生いろいろ、山のバテ方いろいろ。

2008年02月13日 | 日記
人生いろいろ、山のバテ方いろいろ!! 

普段、格別なトレーニングを積んでいない週一ハイカーである
私たちとしては、ゆっくり歩いて山を楽しんでいる。

こんな弱者の中にトレーニングを積んだ強者が入り、
スピードをもって歩き、それに連れられて
急いだらたちまちにしてバテてしまう。

日本山岳耐久レースでのこと、週一ハイカーのGABI達は、ゆっくりと
登山靴だから走れない、マイペースで歩いた。
先を争う様にして、どんどん私たちを追い抜いていくランナー達は、
5時間も経つと、どんどん落後していった。
先を争う他者に引きずられてしまい、
マイペースを守れずにオバーワークとなり、
スタミナをロスして落後していった。


なぜマイペースを守り、ゆっくりと歩くのか。
いうまでもなく、バテないためです。
バテない歩き方とは、
酸素と水と食料(炭水化物と脂肪)とをバランスよく取り込むことである。

たとえてみれば、ガソリンエンジンは燃料であるガソリンをエンジンに送って、
酸素を加えて燃焼させ、焼けたエンジンを水で冷やすことで、
エンジンの効率よい回転をひきだしている。

人間の身体もエンジンと同じで、炭水化物と脂肪という燃料と
燃焼効率を上げるために酸素を取り込みエンジンという筋肉を動かしているが、
筋肉の熱を冷やすために水の摂取は不可欠である。

トレーニングしている身体は、少ない燃料と心肺能力を強化し、
酸素取り込み能力と熱発生がすくない身体となっており、
トレーニングすればするほど効率いい筋肉の
働きを引き出すこととなり、
トレーニングしていない人と比較するとバテ
方は少ないということになる。

バテ方にいろいろとあるが、つぎの3つの取り込みを欠いた
時にバテる。

その1は酸素の取り込み不足の場合である。

初心者にありがちである、「もう一歩も歩けない状態のバテ方」がある。
酸素取り込み不足の場合のバテかたは、筋肉の硬直や、痛みを伴い、
もう一歩も歩けないという状態となる。

筋肉にとっては酸素は必要不可欠であり、
初心者はこの酸素取り込みがうまく行かないで、筋肉が酸欠状態となり、
筋肉に疲労物質である乳酸が溜まり、筋肉から血液を通じて身体全体に
広がり、筋肉の痛みや硬直を起こし、さらに呼吸機能まで影響し、
息苦しくなり、ハアハア、ゼイゼイと苦しい呼吸となり、バテているのが、
一目瞭然となる。

これが、その人本来のペースで歩いているときは、無理なく歩けているが、
強引なリーダーがリーダー(強者)のペースで歩き、
初心者(弱者)がなんとか追いつこうと歩いているとき、
その人の限界点を超えてしまい、
もう一歩も歩けないというバテにつながる。

この限界点を専門用語で「無酸素性作業閾値(いきち)」といい、
略してATという。
この限界以下(A丁以下)でゆつくりと歩いている分には、
初心者はバテないで歩くことができる。

リーダーは、この点をわきまえて、リーダー(強者)のペースで歩くのではなく、
初心者(弱者)に会わせてパーティー全体のペースを、
ゆっくりとしたペースで歩くことが大切となる。

また、ロングコースを歩く場合は、ゆっくりマイペースを守って歩いていれば、
乳酸をため込まない、筋肉を硬化させずに、長時間歩き抜くことが出来る


その2は炭水化物の摂取不足でのバテ方で場合である。

運動する前に食べない、食べたくとも食べられない、
普段小食でいっぺんに食べられないで、燃料不足となるバテ方も多い。

エンジンもガス欠では走れない。
人間も運動するためには必要なものは淡水化物(グリコーゲン)と脂肪である。
脂肪を燃やすには、炭水化物が先に燃えて、次に脂肪が燃えて
筋肉を動かすこととなる。
脂肪は蓄えることが出来るが、炭水化物は蓄えることが出来ないので、
こまめに摂取する以外にない。
だれでも持参している食料、おにぎり、パン、飴、チョコレート、
餅などを用意して、運動前に摂取し、
運動中もこまめに摂取したい。

細身の人で、山に入ると休憩のたびに、こまめに炭水化物(食料)を摂取する
人は、見ていると、あまりバテないで歩ける。
夜行バスであるとか、深夜列車であるとかで、寝不足になって食べられない
、酸素取り込みもうまくいかない人などはバテてしまうことがよくある。

炭水化物は登山行動中、こまめに摂取するのがよく、
休憩時、昼食時にこだわらず摂取したい。
冬山に昼食時間などはない、零下20度の山頂で昼食などとい余裕はない。
したがつて行動食を常にすぐだせる状態にしておいて、
こまめに食べることでエネルギーを補給している。
冬山には餅が似合う。
朝食、夕食を問わず餅入りリゾットなどは、ご馳走である。

その3は水の摂取の不足でバテる場合がある。

運動することで、筋肉から発生した熱で体温が上昇する。
体温が42℃以上に上がると循環機能の低下で死に至ることも少なくない。
体温が急上昇しても死に至らないのは、発汗による放熱がアルからである。
それも水分を摂取していないと、効果的な発汗による放熱が得られないで、
極端な場合、死に至る。

夏山の直射日光のもと山歩きしている場合など、
運動する筋肉が発した熱で体温が上がり、
加えて直射日光を浴びてさらに体温が上昇し、
汗を多量にかいた場合などは脱水症状となり疲労、筋肉けいれん、
持久力低下、さらにひどい場合は熱中症となり動けなくなる。

これを防ぐために、休憩の度に、こまめに水の補給をしたい。
夏山なら2リットル以上は必要である。
冬山でも、吐く息で水分は失われる
こまめに補給することは夏でも冬でも変わらない。

某山岳会に入って新人で参加した
日本海側から朝日岳、白馬岳、五竜岳まで
夏山縦走したときのバテ方は、
会の制服である黒い長袖シャツに、
黒いズボンで夏山では一見しただけの暑苦しい服装で参加した。
上野発の深夜列車は寝られたものではなく、
全くの寝不足であり、食事もそれほど取らないで山に入った。
夏の事であり、アプローチでは暑い陽射しは容赦なく
照りつけていた。
全泊テントであり、
衣食住すべてを各自の重いキスリングに入れて、
背負わされ、たちまち水を飲みほしてしまった。
水場についても、水をくみにいく元気もなく、
そのまま、次の予定コースに進んだ。
重いキスリングは肩に食い込み、
午後2時過ぎになった頃から、
脱水症状から意識が朦朧となり出して、
ついに我慢出来なくなり、立ち止まってしまい、
その場に倒れ込んでしまった。

この時は寝ていない、食べない、水を必要量飲んでいない等
の複合要因でバテてしまい、
今で言う熱中症になってしまったもので、
苦い思い出となっている。

人生いろいろ、山のバテ方はいろいろとあるけど、
エネルギーのもとの食料(炭水化物/グリコーゲンと脂肪)と、
ゆっくり歩くことで酸素の必要量の取り込みと、
熱くなった身体(筋肉)を冷やすための水を必要量取り込み
バテない様にしたいものだ。

週一ハイカーなら注意して、食料、酸素、水の取り込みを図りながら
歩くなら夏の百名山ならバテ知らずで誰でも歩ける。

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登山の運動生理学百科
山本 正嘉
東京新聞出版局

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山への目覚め

2008年02月09日 | 日記
私はどちらかと言えば、取っつきにくいし、無愛想である。
聞かれたことしか応えないし、
こちらから話しかけるというタイプでもない。
通常なら、困ったタイプの人間だし、社会生活もおぼつかない
ところがあった。

しかし、趣味の路である、登山だけは違った。
登山を通じて偏屈な性格も前向きになって、友達も山仲間中心に
増えていった。

小学生の時から、インドアの遊びは苦手であったが、
アウトドアはスキであり、近場の丘陵、近場の雑木林などが、
遊び場であり、そうした遊びは立川市周辺にはいくらでも、当時はあって
退屈しなかった。

至る所に雑木林があった。
雑木林の周辺には縄文土器の破片がいくらでも、転がっていて
自然が沢山残っていて、日暮れまで遊んでいても楽しかった。

丘陵探検がやがて奥多摩の登山へとすすみ、それが面白くて、
もっと深く登山が知りたい、登りたいという気持ちが強くなり、
近所の幼な友達と中学時代に立川の山岳会に入会した。
そこの会長が甲斐駒ヶ岳の里の人であり、
たしか立川市で水道工事を自営していた方であり、
その人が南アルプス北岳に2泊3日で、近所の連中ともども、
連れて行ってくれた。

その会長しか知らない大武川から赤薙沢を辿り、広河原峠に登った。
今は、この路は廃道となっていて地図上にもないが、当時は
花崗岩の沢を巨岩を越えていく沢登りは、豪快であり、
痛快でもあった。

沢を詰めると広河原峠であった。
そこからも路なき路を行くようにして、
広河原に降り立ち小屋に入った。小屋と言っても当時の
小屋は、ごく簡単な小屋掛けであり、
工事現場の飯場みたいな小屋であった。

着くと、すぐに会長は釣り竿をもって広河原の沢にて釣り竿をもって
釣り始めた。なにが釣れるかと思うまもなく、
今ではあまりお目にかかれないような大きな岩魚(イワナ)であり、
人数分の4匹をつり上げて、
その日はいろりの回りで焼いた岩魚をご馳走になつた。
今の広河原からは、想像も出来ない静かさを保っていて、
だからこそ岩魚も釣れたのであろう。

翌日は快晴の中、会長に連れられて御池の小屋から草滑りを辿り、
北岳に登った。
展望は最高だし、山々のすばらしさを知って、
趣味としての登山を貫こうという自覚が目覚めたのは、
この時であったと思う。

中学3年の時のこの北岳の体験が合ったからこそ、今も山登りを
続けているのであり、北岳に連れて行ってくれた会長には今でも
感謝はしている。
しかし、その後の会長の消息は山岳会をかわったこともあって知らない。

今思い出しても楽しい思い出であり、比較的、早い時期に南アルプス北岳
の洗礼を受けられたのは幸運であった。

それからは山岳会遍歴を重ねた。


青春を山に賭けて (文春文庫 う 1-1)
植村 直己
文藝春秋

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恐羅漢スキー場/おそらかんスキー場

2008年02月05日 | 日記
恐羅漢スキー場で行方不明となっていた7人のボダーが発見された。
無事で良かった。

地元警察、消防団に自衛隊の出動や、ヘリコプターなどで
大捜索網で捜索した結果、
恐羅漢スキー場のある広島県側でなく、島根県益田市側に
下山してきたところを発見され、救助されたとのことである。
スキー場での事であり、ボダーたちはザックを背負わずに頂上
目指して登り、猛吹雪の中、下山中、方向感覚を失い、
反対側に下ってしまったと思ったが、そうではなくゲレンデの
外に新雪を求めて行って、道に迷ったようだ。
仕事小屋らしい廃屋を偶然見つけてたき火などして暖を取り、
悪天候の間、小屋で待機し、吹雪が収まって下山して
救助されたらしい。

恐羅漢スキー場と聞いて昔を思い出した。
広島市に転勤し5年間過ごした。
その間に恐羅漢スキー場に毎年通い、緩斜面のパラレルターンを
習得できたのは恐羅漢スキー場であった。
ここは標高1,500㍍以下の低山がおりなす中国山地であり、
日本海側から吹き付ける湿った風が中国山地にぶっかり、
大量に雪を降らすところであり、
恐羅漢スキー場は国設スキー場であり、
広島市民がよく行くスキー場で知られている。
付近には山梨の西沢渓谷に似た三段峡もあり、
広島時代に通ったところで懐かしい。

いずれにしても助かって良かった。
冬山の猛吹雪は恐いし、天候が悪い中で、行動するとホワイトアウト状態
で、右左り、上下の間隔も白一色で解らなくなり迷よいう、
下山方向の確認も容易ではない。
地図など風に飛ばされて役に立たない。コンパスが合ったとしても
常時見ながら下ったとしても、一寸先の読めないホワイトアウトの中では、
コンパス通りに方向を掴んで下っている積もりでも、方向を確認する
山でも見えない限り、反対方向に下ってしまっていることなど多い。

通常は赤旗や、赤いテープを巻いたポールなど迷いそうなところに、
10㍍間隔くらいに張り巡らされていないと、正しい方向が取れないだろ。
ゲレンデ外を行くなら、赤旗のついた旗竿や、テープなどで方向を
示すことなどは最低限必要であろう。

雪山ではホワイトアウト対策としての
GPSの活躍する余地が増えてくるだろう。

遭難を非難することは出来ない、ただ遭難に学ぶことだ。

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玉川上水ウォーキングや、あれやこれ。

2008年02月04日 | 日記
約1日、降雪をみたが、快晴の朝を迎えた。
今日は市の主催のイキイキニコニコウォーキングで
参加した生徒さん7人とリーダーとサブリーダーの9人で歩く。

今日はリーダーであり、凍結した道路での転倒骨折などということを
心配し、生徒さんには歩巾を小さく、ゆっくりと歩くことを指示し
出来るだけゆつたりと歩くことにつとめた。
集合時間9時30分であり、日も高くあがり、
温度上昇し、昭島駅前歩道の凍結もゆるんでいた。

玉川上水に入ると、脇の小道は降雪がまだ固くバリバリと踏んで歩く。
滑るほどではない。安心して歩く。
美堀橋から拝島駅方向に歩く。
このところ上流に向けて歩くことが多い。
上水脇の昭和の森ゴルフ場は一面の銀世界であり、当分クローズだろう。
関東一円どこのゴルフ場もクローズであがったりだろう

空気が澄んでいて、気持ちいい。
歩く内に身体は温まり、反面、顔は冷気の中を進み、気持ちいい。
こんな日はいくら歩いても疲れない。
約2時間歩き、出発地に戻る。
やや物足りなそうな雰囲気であるが、やむなく帰る。

午後、拝島小学校の放課後、居残り教室、キッズルームに行く。
左目角膜移植手術後、46日目となり、
それまでは目を庇っていたが、今日は保護メガネを掛けて、
こわごわ行く。
今は保護メガネという便利なものがある。
1,000円前後から高いのでも3,000円前後であり、
分厚いプラスチック製であり、ショツクを受けても眼球を
保護されるので、子供達と遊ぶのにちょうどいい。

低学年が遊び相手であり、遊び遊ばれる仲である。
約1ヶ月合わなかったが、彼や彼女らは少し成長し、元気一杯であり、
当初は恐々応対していたが、
いつの間にか、手術前にもどったような気分で、ボール投げ
跳び箱、鬼ごっこなどして目一杯身体を動かし彼ら彼女らと遊んでいた。
今日、校庭は降雪後であり、どろどろで使用禁止、体育館内
で遊ぶが、なんだか空気が悪いせいか目か痛いような感じだった。

4時キッズルーム終了後、目か痛いようであり、いきつけの眼科に行く。
診察の結果は眼圧も平常であり、特に問題なしという。

自宅に戻って、ぐったりしてしまい、早々に風呂に飛び込み
プログをかいて寝ることにした。

今日は一日フル稼働であったことに感謝。

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遭難から学ぶ

2008年01月28日 | 日記
遭難を非難できない、遭難から学ぶしかない。

1月はニュースとして冬山遭難が多く報道された。
天気が悪いと報道されているのに、
何故登山したのか。
天気予報では雪崩注意報がでていたのに、
雪崩が起きるのが解っていたのに、なぜ行ったのか。
とかいう非難が起こる。

冬山は厳しい。
日本の冬山でトレーニングすればヨーロッパアルプスやヒマラヤ登山でも
通じるほどレベルは高い。
冬山にいくほどの人はそれなりのレベルと考えたい。
先般の槍ヶ岳の雪崩遭難でも、
つい直前にヒマラヤでの登攀を終えて
帰国したばかりという人も含まれていた。
雪崩も起きにくい場所とみられたところで起きている。
ニュースをみた位で非難はできない。
非難するとしたら、同レベルの登山者がそれ以上のレベルの
登山者にしてはじめて言えるのかも知れないが、
冬山未経験のレベルの人が、仮に非難するとしたら
幕下が横綱相撲を非難しているようなものだ。

交通事故はどんなに非難してもなくならない。
飲酒運転はなくならない。
工場の事故も安全対策を取っても減ることはあってもなくならない。
病気もなくならない。
犯罪もなくならない。
人間であるかぎり間違いは必ず起きる。

非難しても始まらない、起きた間違いに学ぶしかない。
それも後日の検証をもって事実を確認した上で、
はじめて学ぶことが出来るのかもしれない。

山岳雑誌の遭難記事はなくならないし、それはそれで有用であり、
記事を読むことから多くを学ぶことが出来る。
詳細な検証をした事実から学ぶことは多い。

失敗学が学問として確立しつつあるという、
失敗からしか学べないことが多いということだろう。

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週一登山か、日々ウォーキングか。

2008年01月27日 | 日記
今日は快晴、ハイキングクラブ アルコの仲間
男7人と女3人の10人はJR藤野駅から
陣場山に登って堂所山から関場峠を経て、夕焼け小焼けの里に下山し、
八王子駅に出たとのことである。
今年は先日の降雪で、
登山道は雪が多かったということで、慎重に歩いたという。

こちらは左目角膜移植手術後、38日目であり、しばらく養生のため
自重していたが、歩きたかった。

私自身は昨年(07年)、アルコの例会とそれ以外の個人山行を含めて55日
山に入っていた。
これは365日を7日で割ると52週となるので、私の登山は
週に一回は登山していたことになる。

アルコの例会も複数のリーダーで週一の計画を入れている。
週一回の計画で全部参加すれば52週参加ということになる。
計画は52週入っていても、いろいろな事情で参加できないのは
致し方ないとしても、
週一回の計画があるということは、いつでも参加できる
環境があるということで、アルコの仲間にとっては嬉しいことだ。

月1回くらいの登山では登山の効用である健康増進に寄与することが
できるかどうか疑問だ。

職場でのストレス、それを解消しようと多量飲酒に走り、加えて
不規則な食生活、運動不足、睡眠不足など生活習慣の悪循環は
肥満、高血圧、高血糖、脂質異常などを経て脳、心臓、血管の諸疾病を
呼ぶとのことである。

適切な運動としては日々ウォーキングがいいと言われる。
しかし、日々ウォーキングが出来ればいいが、
朝早く出勤、夜遅く帰宅ではなかなか思うようにいかないだろう。

そうなると週一登山が望ましい姿となる。
アルコは、その週一登山を実現しているということが出来る。
週一登山を実現している人は格別なトレーニングは不要だと思う。
週一がトレーニングとなつているからである

週一登山もなかなか難しい人でも、週一の計画を見て、
好きなときに登山に出かければいい。そうすることで、
週一は無理でも月2回とか3回出かけることで、いい線をいくことになる。
出かけられるメリットは大きい。

登山もハイキングも、家計の負担になるということであれば、
近場の登山ハイキングの計画を増やして、すこしでも負担軽減の
方向で考えていき、すこしでも多く週一登山に近づけたいものである。

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チギリ絵

2008年01月26日 | 日記
今日はチギリ絵作家Kさん宅を訪問した。
Kさんは日本伝統工芸巧技ソサエテイ美術展に毎年出展されていて、
入選入賞の常連である。

チギリ絵と言っても、一見すると洋画と見間違うほどであり、
紙と糊をどろどろに溶かして貼り付けていく技法は、
Kさんならではの技法であり、他者にはなかなかマネの出来ない
技術のようだ。

制作に3ヶ月とか、4ヶ月かかり、辛抱とか、忍耐とかを要する
もので、構図を決めて虚と実の融合をはかる技、心を一点に集中し
続け、徹底して打ち込む体力などの心技体の充実を
要する命がけの作業と言われる。

毎年、大作は一点つくり、美術展に出展し、入選入賞を続けている。

今年の出展は藤棚の藤の花であり、5月26日から一週間、
出展されるとのことであり、見にいこうと思う。

身近にK氏のような作家がいて、
その話を聞くことができるのは幸いであり、
作品を沢山披露いただき、目の保養となった。
滝、桜、富士山、雪景色などなどである。

ハイキングクラブ アルコの第1回山の写真展には参考出展として、
大作「カナディアンロッキー」をお願いした。

大きすぎて、他の人の山の写真が霞んでしまう恐れもあるが、
やはり数少ない本物を見るにはいい機会と見られる。


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山の写真展

2008年01月25日 | 日記
ハイキングクラブ アルコは創立
10周年を迎えるに至った。

これを機会に山の写真展を
企画し、今年3月21日から3日間、
第一回山の写真展を開催する。

山歩きのかたわら、撮りたいと心からの衝動にかられた写真、
あるいはなにげなく撮った写真、記念写真などなどであり、
写真としての出来具合は、山歩きの片手間で撮ったものであり、
褒められたものではないが、山で受けた感動を写真を通じて、
見ていただく人と共有できたら第一回山の写真展は成功だろう。

いざ山の写真展を開催となって、過去の写真を整理するが、
いい写真はない。
山の仲間である、
山仲間も、
いざとなると満足する写真はすくないであろうが、
とにかく参加することに意義がある。

参加することで、今後はいい写真を撮ろうと思うだけで、
これから、第2回、第3回と続ける写真展がどんどん充実した
写真となっていくことは間違いない。
露出がどうの、ピントがどうのは次の問題であり、今回は量的に
展示できる数が集まれば成功したと見られる。

写真の仲間でなく、山の仲間の写真展であり、
小難しい写真より、笑える写真のほうがいいと思う。、

写真展はアナログだと思う。
デジタル世代が多くなったが、まだアナログ世代も多く、アナログ
世代に向けての展示であり、
反面、デジタルだけでは表現に限界を感じている人にとって、
アナログな写真展で、大きな表現するのもいいのではないかと思う。

今日は写真展を開く参考とするため、
西多摩百景写真展3/23--3/27
福生駅プチギャラリ-
を見てきた。
見慣れたふるさと西多摩の風景と風土を撮った写真を見ていて
なかなか充実した時間を持てた。
しかし、山屋の習性で、山、渓谷、滝などを無意識に追っていた。
やはりイヤされるのは山の写真であると思った。

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燃え尽き症候群とか抜け殻とか!!

2008年01月23日 | 日記
昨日の日経夕刊「心のサプリメント」を読んでいたら、
定年後、夫は抜け殻となり、夫の無気力な日々をを見ていて、
「離婚か別居」まで追い詰められていてと、カウンセラーに
相談があった。

カウンセラーは、おおきな目標を立てないで、
日常、小さなことでもいいから出来ることを書き出して、
少しずつ実行することを指導したところ、
1年後は友人とマラソングループを作るなどして活躍しているとの記事
があった。

定年後の燃え尽き症候群は、誰にでもある。
しかし、定年後がまちどうしくて待ち遠しくてしかたがない人は
大抵、定年後、自らの目標を実現するために
定年後、すぐ、自分の目標に向けて走り出すが、

新聞記事にあったように、したいことがない人はチョツト問題だ。
キッカケさえあれば、すぐにたちあがれるだろうが、
キッカケをとうみつけるかだと思う。

私達が行っているハイキングクラブ アルコも、そうした
キッカケの一つであり、
毎週のように低山歩き、ハイキング、慣れてくれば夏山は北アルプスや、
南アルプスなどに出かけて、第2,第3の青春を取り戻している。

もし、興味があるならアルコに参加大歓迎。
興味ある人はハイキングクラブ アルコのホームページを
見て欲しい。40代以上、特に歓迎!!


すこしだけ踏み出すことが出来れば、おおいなる活動の場が広がっている。

山は素晴らしい。

山登りを計画する段階から楽しい。
あれこれシュミレーションし、イメージしてみる。
あの山に行こうときめたら、あらゆる情報をネツトで
収集したり、計画書を作成したり、費用対効果を考えたり、
楽しいことが多い。

登山実施段階もイメージと異なることも多いが、山に出かけると
楽しい。

山に出かける前は、
くよくよ考えているばかりで、心を酷使していた人も山で
身体を使うことで、反って心が解放され、心身のバランスが
とれて心身ともに健康となる。
メタボ症候群も、毎週たてられる計画に従って山に行き、毎食の
米飯をすこし減らすだけで画期的な効果が得られる。

山から帰っても楽しみは多い。
ホームページに向けて、山行報告を書き、写真を載せるなどして
思い出がどんどん積み上がつていく。
また、年に一度の写真展もあり、カメラ好きはさらに山を二度も
三度も味合いつくすことが出来る。

登山は芸術活動にも結びつく、写真も、その一つだが、絵画に走ることも
可能だし、楽しみは多い。

幸いなことに、日本は素晴らしい山々に恵まれている。
山紫水明の自然を、
ごく普通に楽しめる日本に生まれたことを感謝したい。

燃え尽き症候群とか抜け殻とか、言われたくない人集まれ!!

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コメントあったラムさんへの回答/ 角膜移植後1ヶ月経過

2008年01月22日 | 日記
ラムさんからコメントありましたが、ラムさんも
角膜変性とのことであり、同病同苦する仲間ということになる。
先日、術後の経過が知りたいということであり、
報告します。


角膜移植後、今日で33日目である。
今日は地元のI眼科で見て貰う。
ここの先生が、これは角膜変性と診断したのであり、
手術した方がよいと
KY大病院付属医学部眼科を紹介してくれた。
I先生の見立てがよくて、結局、約2年掛かったが、
昨年12月20日に手術したものである。

手術したKY大の若い先生も仕上がりがきれいだと、自分の手術の仕上がりを
自画自賛していたが、I眼科のI医師も、きれいだと言ってくれたし、
撮影した画像も見せてくれた。
たしかに細かい縫い目が整然としていて仕上がりがよいようであり、
とりあえずは大成功のようである。

第2段階は拒絶反応との闘いであり、
現在はクラビツトとビンデロンという点眼薬を1日4回投与して、
10日に一回、I眼科と大学病院に通院する予定である。

手術した左目は右目より明るく、ハッキリと見えるが、
文字をみるとすこしズレて見えている。
このズレは乱視なのか、次回診察できいてみよう。
今度は右目が弱く感じられるようになった。
両眼角膜変性(混濁)と診断されていたので、いずれは
右目も角膜移植手術を覚悟しいる。


左は大成功だが、まだ完全に定着した訳ではなく、左目にショツクを
与えないようにとの注意があり、守りたい。
コメント (1)
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