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GABIBOの山日記 パピプペポ

歩き登った登山/ハイキング記録

ダブルストックも使い方しだい。 

2008年01月22日 | 日記

ダブル ストックは使いよう。

ダブルストックについては、大体肯定派が多いのではないかと思う。
しかし、ストックそのものを否定する人も多い。
脚力を含めて体力がある人はどちらかと言うと
否定論者ではないかとおもうが、
強者ともいえどもいずれ弱者に転落する。

何十年にもわたる登山人生を重ねたいなら、
膝痛にならないためにも、早いうちからシングルあるいは
ダブルストックの使用を勧めたい。

中高年の方には特に薦めたい。
中高年ともなるとバランス感覚の衰えと、
体力の衰えをカバ-する上でダブルストックは欠かせない。

1.ストックでバランスを補う。
試しに「開眼片足立ち」を行って欲しい。30秒以上、
開眼片足立ちが出来れば合格であるが、
さらに開眼でなくて閉眼した場合の片足立ちはどうだろうか。
閉眼片足立ちともなるとなかなか30秒は難しくなるのではないだろうか。
このテストは平衡感覚が正常であるか、

また筋力が衰えているか、のテストであり、
何年かに一度はテストして自らの平衡感覚と筋力のチェツクをしたいものです。
バランス感覚がすでに衰えている人は直ちにダブるストックを使う必要がある。

2.ストックで脚力を補う。
またダブルストックは筋力の衰えを感じている場合で、
登山する際には、脚力を両腕で補うことで、より推進力を得ることが出来る。
まさに両足と両腕で四駆状態で推進力を得ることが出来る。
脚力と腕力を使うことで全身運動にもなり、一挙両得でもある。


3.ダブルストックの長さの調節は常に行う。
使っていて違和感がある場合は、
こまめにストックの長さの調節を行う必要がある。
一般的には登りは短くする。
下りは長くする。
しかし、微調整は常に行い、一番使いやすい長さで使うのがいいだろう。

また、握るところもヘッドをつかんで押し当てるようにして推進力を得るか、
ノルディク スキ-のスケ-ティングに見られようにするか、
あるいは普段はストックの上部を握るか どちらかであるが、
握り方も、握る個ヵ所も常に斜面に対して、握りやすい握り方に変える。

4.冬山で使う。
冬山ではピッケルより、むしろダブルストックの出番が多い。
新雪期でも残雪期でもストックは必携である。
深い新雪ならダブルストックでないと前進は容易でない。
まさにダブルストックの四駆状態で推進することとなる。

ピッケルは堅い雪面では必要となるが、それまではダブルストックの
出番の方が多い。
スノ-シュ-にはダブルストックは欠かせない。



ただダブルストックも使い方次第で、危険な時がある。

岩場では通常ダブルストックもシングルストックもしまい込んで、
手足で岩場に直接触れて登り歩くのは当然である。
ストックをしまわないと岩場では、
ストックが邪魔になって危険な時がある。

また、急下降する狭い幅の山路を下降するときには、ダブルストックを
谷側に突く時、狭いが故に空(くう)をきり、転落の事態を招くことがあり、
充分注意したいものだ。

事例
金副隊長の山岳救助隊日誌 山は本当に危険が一杯
著者/金邦夫/角川学芸出版の
「天祖山の悲劇 Ⅱ」での連続して起きた
遭難二件の遭難者が、天祖山の最後の下りの狭く急下降する登山道でダブ
ルストックを使っていて遭難した事例が紹介されている。

1件目の遭難
「天祖神社の表参道であるハタゴヤ尾根を日原の八丁尾根に
下山中であった。ハタゴヤ尾根の末端から南側の急斜面に付けられた
九十九折れの登山道を八丁橋に下っていたところ、小尾根の稜線で
先頭から2番目を歩いていた遭難者Aさんの足がもつれ、
東側の急斜面を転落いき姿がみえなくなった。」
2件目の遭難
同じ場所で、金副隊長が1件目の遭難救助活動を行っていたときに、
「上の方から男性1名、女性2名のパーティーが下ってきた。
男性が先頭で、ダブルストックの女性は少し後れ気味であった。
私は道を開け、「もう少しで下に着きます。ここから急に
なりますからゆっくり気を付けて下りてください。いいですか、
気を抜かないでくださいよ。」と自分でも少ししつこいかと思うほど
注意を与えた。「わりました、気を付けます」と3人は下りていった。

その直後、ダブルストックの女性は転落し遭難した。

そうして
「この2件の遭難に共通して言えるのは、2人とも登山経験の
長い中高年の女性でてる。
2つのパーティーは、どちらも2日間に渡る縦走で荷も重く、
相当健脚向きのコースであった。」

「ここで私が問題としたいのは、遭難した2人がダブルストック
を使っていたということである。
長期間の縦走などで、私もダブルストックを使うことがある。
登りでは大きな推進力となる。

しかし下りでは、相当なれないとバランスを崩しやすくなる。
疲れてくると、ついストックに頼ってしまう。
とくに急なガレ場、岩場などでは危険が伴う。

これがストックなければ疲れていても自分の両足で下るしかない
から、ゆっくり慎重になる。とっさの時に両手も使える。
賛否両論はあると思うが、私は急な下りでのダブルストック
には賛成できない。」金氏は言う。


私も、天祖山の林道から肩に上がるまでの九十九折れの、
その狭い急な山路をダブルストックで、登り下りした経験があり、
おまりに路が狭く、ダブルストックの突くところが限られていて、
不便を感じたことがあった。

その後、二件の遭難がここで起きている。
この2件の事故では、多分
ストックの突くところが狭くて、
谷側に突いた時、空をきり、
転落したのではないかと推測するものである。


時と所と場合を考えて、ダブルストックを使って
いきたいものである。 



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セイメイバンから岩殿山縦走

2008年01月18日 | 日記
ハイキングクラブ アルコの
1月20日の予定は
セイメイバンから岩殿山への縦走であり、この縦走は魅力的だ。

セイメイバンという山名も珍しい。
試しに日本山名辞典(三省堂)を見たがなんと載っていない。
安倍晴明伝説のある山が収録されていない。
ということは、編者の落ち度だろう。

中央線の山を歩く/藤井寿男著/新ハイキング社
を引用するとセイメイバンの言われは下記となる。

「およそ1000年もの昔、南麓の畑倉集落に立ち寄った
陰陽道の行者安倍晴明が、水利の便が悪くて作物が出来ない
という村人の嘆きを耳にし、では法力で明朝にはあふれんばかり
水をひいてやろう、と約束して山中に入った。
大岱山の裏側の菅沢から水路を導くべく、せっせと穴を掘り始めた。
だが、、そのさ中、いまだ深夜だというのに、
一番鶏の啼き声が聞こえた。
実は、これ岩殿山に巣くう鬼が、晴明の仕事をねたんでのいたずら
だつたのである。
しかし夜が明けたと錯覚した晴明は、すっかり落胆し、仕事を
ほうりだして、村人になんと良いわけしたらよいものか、と思い患う
のみだった。
一夜、明けて、村人が晴明のもとを訪ねてみると、本人は、仕事を
完成し得えなかったのを苦に、悶死を遂げていた。
村人たちは晴明のなきがらのあった峰をセイメイバン(バンは(盤、
転じて定規の意、と言う)と呼ぶようになった。」



たかだか1、006㍍の山だが、安倍晴明伝説があるとすれば
登ってみたいが、残念なことだが、角膜術後28日目であり
約3ヶ月は自重することにして、

春一番さんにリーダーを
お願いし、自宅で待機することにしたが、登ってみたい山だ。

時間が許せば岩殿山までの縦走であり、楽しい縦走ができるだろう。

春一番さんは、いろいろと
情報を集めてバツチリとリーダーを受けてくれて頼もしい。

20日はヤフーによると天気はあまり良くないらしいが、
春一番さんは、どんな天気でも、雪が降るくらいが、
楽しいとこころよくリーダーを受けてくれた。
頼もしいかぎりだ。

天気が悪いと、参加者がすくないだろうが、
逆に、こころゆくまで、セイメイバンから岩殿山までの
縦走を楽しんで欲しい。

ただ時間がなければ稚児落としから大月駅に下るとのことでもあった。
いい山旅を期待!!!

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幸いなるかな山ブロガー

2008年01月16日 | 日記
左目角膜移植後27日目
自宅にて安静にしている。
山に行きたいが、しばらくは自重しょう。

しかたなく、昔、山岳会にいたころの会報を引っ張り出して読んでみる。
なつかしい、昔が瞬時によみがえり、そのころの登山をあれこれ思い出す。
昔、といっても、
うん拾年前のことであるが、アルピニズムにかぶれきっていた頃である。

登山記録を残すとしたら自分で登山日記を書くか、
会報に記録をのせるかしかない時代であった。
カメラで写真を撮っても会報に1枚か、2枚のるていどであり、
数十枚、一挙掲載など、想像だにできないころであった。

印刷といっても、当時は謄写印刷であり、
いわゆるガリ版であり、
巧い人の謄写印刷は手づくり芸術品であったが、
まずい人のガリ版はのたうち回った文字が踊っていて
読めたしろものではなかった。

それに当時は原稿あつめが大変であり、
山岳会の会報をつくるのは半年がかりであり、
年に会報は1回、2回がやっとであった。

今の山ブロガーは、幸せ者である。
キーボードをたたくだけで、
腱鞘炎になる心配なく気軽に文章が作成でき、
いちいち辞書を引っ張る必要もなく、
また、字のうまい下手も関係なく
流れるように文章が仕上がる。
その上、デジカメで撮った数十枚の写真をブログに貼り付け、
文章を補完し、登山記録を素晴らしく仕上げる。
今のブロガーはブログを通して自己表現し、
結果的に自己実現を図っている。
山に登つたら登山記録はかかせない。

山ブロガ-よ、この幸いなるブログを使って、素晴らしい夢を実現してくれ。!!


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奥多摩は冬こそ素晴らしい

2008年01月13日 | 日記
左目角膜移植手術後、24日目である。
日常生活にはほとんど支障はない。
一日4回の点眼薬投与はややうっとうしいが、拒絶反応や、
合併症などを防ぐためには致し方ない。

今日、ハイキングクラブ アルコの山仲間は奥多摩 御岳山に、今年の
登山ハイキングの安全祈願と新春鍋大会を行うため、出かけている筈だ。

残念ながら、しばらく自重して自宅にいる。


奥多摩は低山から標高2,016㍍雲取山を有し亜高山帯まで幅広いが、
まあ、我々の歩く範囲は低山といえるだろう。

奥多摩登山に適するのは毎年10月から翌年5月くらいだろうか。
6月から7月、8月、9月は、むろん登山出来るが、
適期といえるか疑問がある。
この時期の奥多摩は高温多湿で、全身汗びっしょりで
むし風呂状態となり、快適とは言い難い。

その点10月から翌5月までは奥多摩登山適期といえる。
その中で、奥多摩は冬こそ登る山だと思う。
冬山と言っても奥多摩は冠雪することが少ない。
すくなくとも豪雪地帯ではない。
ストックと軽アイゼンがあれば、どこでも登山が可能である。
個人的好みでいえば奥多摩の冬登山が大好きである。

冬型の西高東低の気圧配置のもとでは、毎日、快晴が続き、
こんな時の奥多摩登山は碧い空、澄んだ空気、遠くまで見通せる眺望、
霜柱立つ登山路を静かに、
しずかに歩きゆく時ほど、登山者として幸せを感じる。

温暖化の影響で沢が凍るときはすくなく成ったのは淋しいことだ。

こんな奥多摩も関東平野を寒冷前線が通過するときなどは、雨が雪となり、
思わぬ深い雪に恵まれることがある。
こんな時は、あえて奥多摩に行き、雪山を楽しむ。

大岳山や、川苔山あたりでひざ上までの降雪をみることがあり、
人のすくない奥多摩を静かに楽しむには最もいい季節である。

アルコの仲間の酒盛りは、もう始まっているだろうか。
御岳長尾平の先端部のベンチあたりは、今年はどうかしらないが、
例年は日だまりで暖かい。
毎年、ここで新春鍋と焼酎お割りでもり上がっている。
が今年はどうだろか

奥多摩の冬 御前山




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朗報 遭難から自力で生還

2008年01月12日 | 日記
豪雪地帯の吾妻山連峰の単独縦走に入って入山から12日目、
下山予定日から9日目に下山してきたという埼玉県の男性(55才)の
昨日のニュースは朗報である。
雪を食べたり、風邪薬を食べたりして餓えをしのいだという。
携帯電話は持って行かなかったという。
通信手段があれば、もつと早く発見されたであろうとも批判されていた。
宿泊予定の小屋から予定日になっても宿泊されないということで、
山小屋からの連絡があり、遭難ということになったようだ。

遭難というと、通常、家族にとっては、それはそれは大変なことだ。
本人への思い、心配やら、遭難救助にあたる県警、地もと救助隊との対応やらに、
忙殺される。
今回は家族がどう対応したか、解らない。

とにかく遭難現場はヘリコプター
は飛ぶやら、捜索隊が本人が歩いたであろうコースをトレースするやら、現地は
騒然とする。そのあたりの救助体制はどうだったのか。
今回はヘリ主体の捜索であったようだ。

さて、ニュースは簡単な情報しか、解らないが、本人が自力下山するまでの、いろいろな事が知りたい。

何故、どのようにして助かったのか。
夏山でも入山12日目下山というのは珍しいのら、寒気の厳しい冬山でどのようにして下山できたのか。

コースはどこからどこへ設定したのか。
登山計画書は提出されていたのか、
通常、冬山コースは夏にトレースしておくか、偵察山行してコースを
よく確認しておいて冬山でトレースする。
いきなりこのコースを冬あるいたのか。



寒気に耐え凍傷にならなかったようだが、装備はどんなものだつたのか。
ベース、ミツド、アウターレイヤーはどんなものを着用したのか。
両足が凍傷になったというが、登山靴はどんなものを利用したか

ピッケル、アイゼン、スノーシューは用意していったのか。

食料はどんなものを用意したのか。
4日間で食料はつきてしまい、風邪薬を食べたり、雪を食べたりしたというが、
予備食はなかったのか。

コンロや鍋は準備したのか、

テントなのか、ツエルトを用意したか、

雪崩対策はしたのか、

天気はどうだつたのか、
暴風雪に遭わなかったか、
尾根上を歩いたのか、
沢筋を歩いたのか、

とにかく12日間のすべてがしりたいものである。
遭難からいろいろと学ぶことが多いし、今回は遭難12日目にして生還という
朗報であり、詳細を知って、学べることは学びたいものである。

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登頂者の影にシェルパあり。

2008年01月11日 | 日記
今日、11日の夕刊では
11日午前中にあのエレヘスト(中国側からはチョモランマ、ネパール側からは
サガルマータ)8,848㍍を1953年5月29日初登頂したエドモンド ヒラリー氏が88才で死去とのニュースであった。
初登頂者の栄誉で英国エリザベス女王からナイトの称号を与えられて、ヒラリー卿
と呼ばれていたが、ネパールで病院や、学校を建てられ社会的貢献でも知られる。

このエベレスト登頂を支えたのがネパール人シエルパであるテンジン ノルゲイも
わすられない人であり、ヒラリー郷の名前が出ると必ず、この人の名前も出る。
逆に言うとテンジン ノルゲイの支えなくしては登れなかったろう。

今、エヘレスト多数回登頂者はシェルパである。あらゆるヒマラヤ遠征隊は、シェルパのお世話にならない者はない。高地人であるシェルパは生まれつき高所順応ができていて、高所登山では彼らの援助なくしては登れない。

彼らは英国隊や、フランス隊や、ドイツ隊などに当初参加したこともあって、簡単な英語、フランス語、ドイツ語なら解るという。
彼らなくしては日本隊のエレベスト遠征も成功しえなかったであろう。

しかし遠征隊や日本人登頂者の名前は公表しても、同時に登って援助してくれたシェルパの名前が出てこないのは何故だろう。
たとえば 田部井潤子のエレベスト登頂時の同行シェルパはだれなんだろう。



私ことGABIBOも、2000年11月に6189㍍アイランドピーク/現地名イムジャ ツェに登頂したが、その時のシェルパはダ サンゲ シェルパとニマ カジ シェルパの親子であった。
もとより彼らの力なくしては登れなかった。

本当に毎日、毎日標高差で400㍍とか、500㍍登っては、すぐテントを張り宿泊となる。高所順応のためには仕方がない宿泊であり、少しずつ少しずつ高所に順応しながら10日後、5,500㍍のカラタパールに登り、さらに一週間後、アイランドピークに登った。

今、地球温暖化の影響で、現地は大変だという。
氷河が崩壊しイムジャ湖に水があふれていて危険と言わている。

左目角膜移植後22日目、今日も外出する。
まぶしいことに変わりはないが、右目より手術した左目の方が明るくみえる。
やばい右目も、その内、手術か、早く、万能細胞の実用化が望まれる。

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臓器移植から万能細胞へ。

2008年01月10日 | 日記
今日は、点眼薬投与を寝ながらしていて、聞くともなくニュースを聞いていたら京都大学で研究している
万能細胞の再生医療への実用化に向けて4つの研究機関で、さらに精力的に
研究をすすめ世界水準を維持しようとしている動きがあるという。

自分の皮膚の細胞から作る万能細胞が実用化されたら、
他人様からいただいた臓器移植のようなも拒絶反応のない
再生医療が可能だということで、早く実用化が望まれる。

現在の最先端医療技術である眼科の角膜移植で、なくなられた方より、いい目をいただき、明るい希望をもっているが、拒絶反応が怖い。祈るばかりである。

あと10年もしたら万能細胞で再生医療がおこなわれているのかも知れない。 

今日で角膜移植手術より、21日目である。
いろいろと気にかけてくれる人がいてありがたい。

今、かんがえていることは、大好きな山登りにいつ戻れるかということであり、
アクセルとブレーキで旨くコントロールして、早く復帰することにしたい。

フレーキとは医者の注意をよく聞いて、守ること、
アクセルとは、少しずつ活動の幅を広げていくこと。

パソコン画面がまぶしい。
サングラスをかけてパソコンにむかっている。

疲れやすい。20分くらいで休憩する。

しばらくは、こんな調子だろう。

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山仲間からの賀状整理

2008年01月09日 | 日記
角膜移植手術後、今日で20日目である。
用事があり、車の運転をした。
サングラスを掛けていても、まぶしい、まぶしい。
こんなににまぶしいのかと思うくらいまぶしい。
通常、サンクラスを掛けていればおさまるはずだか、、、、。

当初、100円のサングラスをかけていてまぶしいので、
安物だからなのかと思った。
しかし、10,000円以上するブランドもののサングラスでも同じであった。
なんとか車で用事は済んだ。

角膜移植後であり、定着するまで慎重に行動することも必要だろうが、
妙にとじこもってもいけないので、
アクセルとブレーキを使い分けしていこうと思う。

帰宅後、むしタオルで顔をぬぐい、点眼薬投与。

そして賀状を整理する。

印象に残った賀状の文面

その1.良き仲間に支えられて40日ほど山登りを楽しむことが出来ました。

その2.ハイキングクラブ アルコに入会させて頂き楽しみが増え、いろいろな人
と触れあいがあり、とても人生の幅が拡ろがったような気がします。

一人で登る山もいいけど、仲間と登る山はすばらしい。
二通の年賀状は昨年の活動がいかに充実していたか
を如実にしらしめてくれている。

山よ、谷よ、丘よ、ハイキングクラブ アルコよ、万歳!!
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大岩壁登攀

2008年01月08日 | 日記
昨夜のNHK10時放送の大岩壁登攀を見た。
奥多摩町に住む山野井夫妻には驚きだ。
山野井泰史42才、山野井妙子51才
夫妻とも両手両足が過去の過酷な登攀で、その大半を
凍傷で失っていた。
それでも、尚、あくなき1300㍍の垂直の大岩壁登攀に駆り立てる、
かの夫妻の情熱はすごい。
それは「極める、究める」ということに行き着くだろう。

分野は違うが古くは宮本武蔵、
今ではイチローと松井や武道家の甲野善紀などに
共通する技の探求に近い感覚であろう。
道こそ違え、あらゆる分野の達人は「極める、究める」の感覚を
もっているのだろう。

ハイキングも毎週のように山に出かけていてもあきることがなく、
また、性こりもなく山にでかける、
凡人である我々も楽しみながら、
なにかを極めようとしているのかも知れない。
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眼球という臓器の提供者(DONOR ドナー)

2008年01月06日 | 日記
すばらしい角膜を提供くださったDONORドナーはどなたか興味がある。
昨年12月半ばで亡くなられた方であることは間違いない。

なくなられてすぐ眼球は摘出さり、あらゆる検査をして
移植に適合することが可能と判断されて、摘出後一週間以内に角膜
移植手術が行われる。
ドナーは男性か、女性か解らない。
病室でふっと頭に浮かんだ「さとし」という名前と、その後「わかさ」という
姓が浮かんだので「わかささとし」様と勝手によばさせていただいている。
日に一回は感謝ということにしている。

さて眼球は二つ提供された筈であり、もう一つは誰に移植されたのかも興味が
あるが、それは大体誰か解った。
医者はドナー情報を絶対に公表しないが、もうひとつの角膜のいくへは
同じ時期に医大病院の病棟におなじ眼帯をしている女性がいて、この人も
角膜手術したのだと思い、聞いてみる、やはり角膜手術とのことであり、
時間的に考えてもう一つの角膜の行方は、この女性ではないかと思われる。

先生も一緒なら、診察時間も一緒であり、多分間違いがない。
「わかささとし」さまの眼球は二人の人間を救った。

角膜移植の実情はどうなつているのだろう。

財団法人日本アイバンク協会のデータによると
平成17年では下記となっている。
アイバンク登録者数 17,782名
献眼者数         917名
利用個数(眼)    1,404
角膜待機患者数    3、924名 

有志の方が20,000名近くいるとは心強い。
私もなにかしなければいけないと、このごろ思う。
献体でも登録しておこうか。 
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新年初投稿 退院自宅療養

2008年01月05日 | 日記
角膜移植手手術より8日目の暮れの28日退院し暮れと正月は自宅療養し、
昨日、通院したところ医者から順調ですとの太鼓判を押される。
手術してくれた先生は若い。平成11年医大卒ということであり、
まだ30代の新進気鋭の医師であり、体力と腕に自信が有るようで頼もしい。
そうで無ければドナー提供の角膜移植手術正味2時間、それも午後9時半から11時半までの2時間の手術で集注力を絶やさず巧く手術すること出来なかったろう。
いい先生といい角膜をいただき感謝、感謝だ。

12月19日KY大医学部病院に入院、20日午後9時すぎ手術室に入る。
手術は最初眼球の局所麻酔ではじまった。
麻酔注射は曲がっていて眼球のうしろに注射するが、一度、二度と失敗、固いといいながら3度目か4度目に成功し、しばらく風船状のもので眼球を押さえて麻酔を効かせた上で手術となる。
麻酔の効いた眼球はグレー一色でなにも見えない。
かすかに音がするだけであり、静かにしているだけができることだ。
30分、1時間
すぎても終わらない。ひたすら同一姿勢をとり続けるが首がこってきて動きたくなり、少し動かすと、鋭い医師の声「どうされました。動くときは声で伝達してから、動かないと危険です。」と注意される。
それからは微動だにしない姿勢をとり続けた。
自身のやんだ混濁した角膜をとり、臓器提供者から提供された貴重な角膜を移植する技術である。顕微鏡下でおこなわれている手術であり、ぢたばたしても始まらない。とにかく2時間頑張って手術終了、病室に戻ったときは21日零時すぎであった。
麻酔が効かなくなると同時に痛みが始まり、ジンジンと痛んでくる。
たまらず痛み止めをいただく。
手術した左目を薄く開けるとボンヤリと見える。感激。
他人様の目をいただき、その目がしっかりと役立ていることに感動。
有り難い、感謝、感謝だ。
21日朝、早速診察、痛いこともあって気分が悪くなり、診察室手前でソファ-に
横になり、耐える。
病室にもどつてからは目を開けないようにして寝る。ひたすら寝る。
点滴、一日4回の点眼薬投与。
以後、毎日がそれの繰り返しである。

どこのどなたからいただいた角膜か解らないが、
ふっと浮かんできた名前が「若狭聡わかささとし」であり、この名前の方がとうか
解らないが、感謝感謝で祈る。

手術後5日経過してようやくゴロゴロ感や痛みがなくなる。
しかし、まぶしい。まぶしい。目があけていられない。異常なまぶしさであり、
それは退院した28日も変わりなかった。
病院が年末年始に入るとこもあり、手術後8日目で退院できた。最短日数で退院であり、有り難い。

自宅療養に入るがまぶしい。ちらつと見るテレビの画面があかるすぎるほど明るい。まぶしい。あかるすぎるからまぶしい。
しばらくサングラスは離せない。

一日4回の点眼薬投与、10日に一回の通院は欠かせないが、第一段階は大成功であり、第2段階は臓器移植特有の拒絶反応との闘いである。
毎日グッド アジャスメントと言ってみる。
驚異的回復とも言って見る。
自身の細胞とわかささとし様の細胞との融合を願っている。




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山男ついに入院

2007年12月18日 | 日記
左目が角膜変性という病であり、角膜移植の必要があり、
角膜提供者(ドナ-)のあらわれるのを1年半待ちましたが、
ようやく順番が回ってきた。
それは突然きた。
17日夜の10時に病院から電話があってドナーから角膜の提供があり、
明日かあさって手術したいとのことであり、
19日(水)に入院することにした。

手術そのものは1時間くらいで済み、
70年前から行われていたもので安全性高いが術後の
経過が肝心であり、
明日から2週間入院し退院は大晦日あたりです。

しばらくアルコの活動を休止しますので、よろしくお願いします。
まだ年賀状を作っていなかったので、欠礼します。
ハイキング予定も入れていましたが、年内は休止、
正月の日の出山ご来光ハイクも休止です。
角膜定着のため安静が必要であり、

お見舞いなど一切無用にお願いします。

明日は入院だと言うけれど、
今時の病院はなんでもありで、足りなければ売店にいけばいいし、
お金の必要あれば残高があるかぎり、病院内でおろせるし、
自分で歩いていける限り何の問題もない。
この間、イータッチくんと約束した青梅市立美術館にいき
絵画の鑑賞としゃれた。
小島善太郎の絵画を収蔵していることもあっていろいろと見たが、
気に入った作品も善太郎で良かった。
機会がありましたら出かける価値ありです。

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仲間との忘年会は楽しい!!

2007年12月18日 | 日記
日の出山から石尾根 六ツ石山 鷹ノ巣山にほんブログ村 アウトドアブログ 登山・ハイキングへ


忘年会ハイキング アタゴ尾根から日の出山902㍍
平成19年12月16日(晴れ)
参加17名

ハイキングクラブ アルコでは忘年会の前にハイキングするのが恒例となっている。
今年も12月16日(日)忘年会の当日となった。軽いハイキングとして日の出山に至る
アタゴ尾根を登ることにした。
今年一番の寒気ということである。
が、子供の頃の寒さに比べたら、まだまだ暖かい。
道も凍ったというわけでもないし、
つららが軒下に吊りさがつていることでもないし、手袋さえいらない、とにかく暖かい。
無人駅の二俣尾駅に降りる。天気はよい。雲量が2割以下であれば快晴ということであり、今日は快晴の部類に入る。時間を掛けてストレッチを充分に行い、歩き出す。
多摩川にかかる橋は奥多摩橋である。ここから本仁田山1225㍍がよく見える。この本仁田山は青梅を出ていしがみ前駅と二俣尾駅との間の車窓から大きく見えていて堂々たる山である。この道は吉川英治記念館に向かう道であるが、我々は愛宕神社から山道に入った。しっかりとした山道であり、あたご尾根を四国八十八カ所の札所に見立てて、随所にここは何番の札所という石碑があり、お参りする人もいて、道はしっかりと刻まれていのだろう。尾根の登りは北から登ることとなり、日陰であり、寒い。多少風もある。それでも日向に出ると暖かい。結構きつい登りであり、登るほどに汗をかく。道は奥の院まで登り、また多少下り、また三室山までは登る。時間を節約するため三室山山頂には出ないで、まき道に入り縦走路にでる。
ここからは平坦な道むだ。仲間の話し声が活発となる。日の出山に向かって歩く。ふと見ると左下に、これまでは見たことのない林道が走っている。いつ誰がなんの目的でこの林道を造ったのか。観光道路でもないだろう、林業のためだろうか、林業のためと言っても林業は盛んではない。なんのためにの疑問は消えない。平坦な道も日の出山手前15分くらいのところで登りとなり、一汗かくと頂上に出る。日の出山は展望がいい。今日は晴であり、なおいい。
頂上で昼食をとり、下山にかかる。当初の予定である御岳から大塚山に出て古里駅に下るコースを考えるが、日頃、歩いていない人が参加していることねあり、無理は禁物であり、
安全コースである御岳ケーブルカーで下山し、御岳駅まで歩き、青梅線で忘年会場のある立川駅に向かった。


忘年会
平成19年12月16日(日)
伊勢丹8階バンケットルーム
参加31名

今年の忘年会は伊勢丹立川店のイセタンダイニングのバンケットルームで行われた。
広い会場で明るい空間であり、開放感のある宴会場でもある。3つのテーブルに、それぞれ10名が着席し、フリードリンクに中華前菜練り合わせ、ほか7点などがいろどりを添えた。
司会の進行で始まり、形どおりのあいさつや乾杯で歓談に入る。
あれこれおしゃべりの最中にイベントの案内が司会よりあった。思い掛けないことにプロによるテーブルマジックが正面テーブルで行われた。マジシャンは琉球王国が放った琉球忍者シ-サ-であり、30才前後であろうか、手際よい、リズムのあるマジックが次から次へと展開された。完全にその手業(てわざ)にほんろうされてしまった。トリックがあるはずなのだが、瞬間技であり、そのトリックも見抜けない。結局、彼のなすがままに愉快にすごした30分があっという間に過ぎた。その後は3,000円(一人百円×30名)争奪じゃんけん大会、自己紹介、歓談に時間を過ごし、二次会のカラオケ(ビッグエコー)へと流れたまでは覚えているが、その後は全く記憶がない。
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明日は山仲間との 忘年会

2007年12月15日 | 日記
明日はハイキングクラブの仲間と忘年会だ。
ふるさとの奥多摩で軽くハイキングして、立川駅で忘年会だ。
メタボ対策のため、忘年会だけでなく、軽いハイキングで
しっかり体調を整えてから午後3時半から忘年会に臨む。
所属するクラブは80名近く、
その半数はホームページを見た人が共に歩きたいと入会してきた人達だ。
その内、31名が参加するという。
賑やかになる。
仕切りが大変だ。
司会にすべてお任せして、フリードリンクで呑めるだけのもう。
と言っても、限界がある。
フリードリンクという飲み放題のシステムは、
お店側にとって採算が合うのかと心配してしまうが、
どんなに呑める人でね限界がある。
呑める人、あまり呑めない人、ほとんど呑めない人があり、
平均すると採算ラインに達しているのだろう。
忘年会が終わればカラオケで二次会だ。
ハイキングに参加した人がカラオケ参加すれば三次会ということになる。
本当によく遊ぶハイキングクラブだ。
飲み過ぎに注意することで参加だ。
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