はじめに…昨日は更新できなくてごめんなさいです!!
今日は頑張ったので、いじめにゃいでぇ…?
注意!今日の日記にはAIR映画版のネタバレがあります。
……といっても内容的な部分(こういうシーンがあって…どうとか)はあまり触れてはいきません。
そんなん見たないんじゃあー!!という方はすっ飛ばしてくださいルミ!
はいというわけで夕食がラーメンセット、でお馴染みのkumaだよっ!
AIRの映画見てきたよーー!!
ええとですね。今日は可憐先生にご一緒させていただきまして、
本日から公開の映画、「AIR」を見てまいりました。
前売り券を手にしていない私達は、当日券ゲットの任務、そして早く見たいという欲求から
暗いよッ!!
朝六時起き(!)で電車に飛び乗り、映画館に向かいました。
kuma「さすがに混雑してないだろう…。
こんな朝早くから行動できるオタクなんて…名古屋にそうたくさんいるものか」
そんなことを独りごちつつ、名古屋駅にて可憐先生と合流。
しかし、それはとても甘い考えだった。
談笑もほどほどにし、少し早いくらいの時間にチケット売り場へ出向く…すると
ええと…マジっすか。
kuma「え、え、え??」
可憐「いったいどういうことなnあwせdrftgyふじこ」
k「と、とりあえず落ち着こうっ!! な、並ぶんだ!」
可「は、はい…」
そこにはチケット売り場から伸びる、ちょっとした行列がありました。
どれくらいの長さかといえば…そうだなぁ、
冬コミの二日目、アージュの企業ブースくらいかなっ!(微妙!)
もうダメだ!と思うほど長く感じられないのは、
自分が歴戦の勇者となりつつあるからなのでしょうか??
それとも絶対数的にさほど多くもないから?
瞬間的に状況を察知したオタク二人は、すぐさま日本人の必殺技「とりあえず並びます」を決行!
そして、吹きすさぶ風の中一般人の方々の嘲笑にも耐えながら
(途中、PSPでTV版AIR見てテンション上げるのも忘れない)
やっとこさ
ゲットしたZeeeeeeeeeeeeeeeee!!
うんゲットした。
ゲットしたんよ。
でもね……。
上映時間、13:45分(現在の時刻08:00)
なんだろう。この寂寥感…。
なんというか、試合に勝って勝負に負けた…そんな感じ。
そんななか、「本日上映分のチケット完売」の文字が掲示されました。
k「……まぁ…今日見れるだけ、ラッキーか」
可「ですね」
そんなこんなでとりあえず時間をつぶしつつ
まったり待つことに。あと5時間か…。
アニメイト行ったりメロンブックス行ったりハンズ行ったり。
そうこうしている内に時間となりましたッ!
k「うしッ!いつでも泣く覚悟は出来てるンやでェ!!」
可「はいっ!」
:
:
:
:
(上映終了)
注意:ここからkumaの感想が始まります。
ネタバレはまずほとんど無いと思いますが、気になる方は飛ばしちゃってください。
なんというか…最初から最後まで、とても強い「違和感」に支配されていた……そんな気がする。
その原因はシナリオであり、音楽であり、演出であり――全てだった。
私はこの作品を見るに当たり、三つの予測を立てていた。勿論シナリオの話であるが――。
一つ目は、TV版AIRのように単純移植作(ある程度の改変を含む)となるもの。
二つ目は、原作のDREAM編とSUMMER編のふたつを織り交ぜた
「観鈴の死END」によるエンディングをもつもの。(問題提起的END)
そして最後に、「素材」のみを使ったまったく別のもの。
いずれにせよ、原作Air編はそこに組み込まれることはないと思っていた。
批評的に見て、というよりは単純な動機で申し訳ないのだが…それは有り得ないだろう
――主人公の作中交代を三回行うこと(DREAM→往人 SUMMER→柳也 AIR→そら(カラス))
は、構成的にもナンセンスだし、第一、そんなのは見たくなかった。
…結果として予測など見事に外れ(あたりまえであるが)、
二つ目と三つ目を足して二で割ったような、そんな感じのものになっていた。
キーキャラクターとして、<そら>も登場する。
しかし、そこには決して既存のレールをただひた走るだけのものに成り下がっている感はなかった。
まったくのオリジナルストーリー…そう思った。
これには衝撃を受けた。
TV版AIRがあまりにも完璧な移植(ストーリー、音楽、雰囲気…全ての良さをスポイルすることなく
完璧なダウンサイジングを果たしている)
をしていたため、私は「映画版もこのクオリティで踏襲される」と思いこんでいたからだ。
…正直な話をしよう。
私は、この作品は…AIRを知るものにとっては真なる「AIR」ではないと思った。
そう、これは監督・出崎統の描いたシミュラークル的「AIR」なのだと。
…監督の出崎氏は超絶有名なアニメーション監督で、
あの描き絵技術(「あしたのジョー」のジョーが真っ白に燃え尽きたときのあのシーンとか)や、
同じ絵を三回動かすことによってその心情や行動をより生々しく再現する技術などを考案した、
アニメ技術の父ともいうべき人である。
もちろん今作にもその技術はふんだんに用いられている。
絵を揺り動かすあの技術、入射光、描き絵…どれも無駄に使われているのではなく、
全てが効果的に作品を美しく緻密に見せようとしている。
そうすることで「出崎版AIR」が単なる移植ではなく、
また破綻した同人的作品でもないことをあらわしている。
しかし、その効果の数々が、我々の知る既存のAIRを変質させ、
出崎版AIRとして大きく再構築しているとすれば、どうだろう?
キャラクターはおなじみの面々だし、音楽もそこはかとなく似ている。
シナリオも踏襲するトコはしっかり踏んでいる。
だが、「違う」のだ。
キャラは同じでも、こんなことはしないんじゃないかなァというようなことを平気でやっていたり、
音楽は無理なアレンジ臭が時折鼻につくし、
シナリオに関しては…「やっぱり、私の思ってる原作のイメージとちがう」。
しかも、度重なる特殊演出が更に流れを掴みにくくしていた。
「納得できない」
映画館を出たとき、私はそう呟いた。
誤解のないように言っておくが、
これは作品の出来が悪いと思っての「納得できない」では断じてない。
彼の考えた方向性、作品の内容、示したかったもの。
出崎版AIRに込められたメッセージが、読み取れなかったためのそれなのだ。
だから、家に帰るまでの電車の中、家に帰って掃除をしている最中、飯を食っている最中、
ずっと悩んでいた。
わからなかった――そう、私には出崎版AIRが「わからなかった」。
そうして、悶々としながらコタツに入っていたときだ。
ふと作品のパンフレットの存在(1500円もする!)を思い出した。
折角なので読んでみることにした。
そこには美麗なイラスト達と一緒に、スタッフのコメントが書かれていた。
そのなかでも出崎氏のインタビューが、目をひいた。
そこには彼の描きたかった作品が、断片的に解説されていた。
私は唐突に理解した。そして、猛烈に恥ずかしくなった。
「違って」いたのは、私であると。
予想、想像、妄想、概念、信念、理想、欲求、批評。
既存のものにすがろうとするあまり、切り離すことに恐怖を覚えるあまり、
認めることに無知であるあまり、
私はこの「出崎版AIR」の本当の素晴らしさを自身の手で握りつぶしてしまうところだった。
表面的な作品の良さばかりをさがし、短絡的に成り下がっていた。
勿論パンフレットを読む前の感想は偽りではない。
だがこの作品を胸を張って評価しているものでは、決してない。
「もう一度、今度は真っ白な気持ちで見たい!」
そう強く思う。
そして、半端な姿勢でこの作品に向かおうとした自分を大いに恥じ、律したい。
鳥のように風を切り、どこまでも高みを目指し、
美しく限りない青空を往くように、雲の海を突き抜けるように、
AIRを――どんな作品であっても――感じることの出来る自分でありたいと思う。
私は、AIRという作品がまた一段と好きになりそうだ。
追伸: パンフレットは買っておいたほうがいいよ!
今日のkumaメモ
プリキュアマックスハートの略称
モエモエカフェさんとこの話によると「プリクマ」だそうです!
プリkuma!
ええ響やァ(崩壊気味)
あしたはフィーバーしまっせー!
AIRフィーバー!
なんか池袋ではフィルムが焼けて音だけになってしまったらしい。くわばらくわばら。
あした名古屋に見に行く方は、
朝7:00くらいには並ばないと無理でしょうね。おきをつけて。
いちおうリンク先はネタバレなしです。
逆転裁判DS正式発表!
やっべほしい!
一作目のリメイク…という噂ですが、真相やいかに。
あー……原稿やらなきゃ。頑張るぞっと…。
んでわ、バイニャン☆
今日は頑張ったので、いじめにゃいでぇ…?
注意!今日の日記にはAIR映画版のネタバレがあります。
……といっても内容的な部分(こういうシーンがあって…どうとか)はあまり触れてはいきません。
そんなん見たないんじゃあー!!という方はすっ飛ばしてくださいルミ!
はいというわけで夕食がラーメンセット、でお馴染みのkumaだよっ!
AIRの映画見てきたよーー!!
ええとですね。今日は可憐先生にご一緒させていただきまして、
本日から公開の映画、「AIR」を見てまいりました。
前売り券を手にしていない私達は、当日券ゲットの任務、そして早く見たいという欲求から
暗いよッ!!
朝六時起き(!)で電車に飛び乗り、映画館に向かいました。
kuma「さすがに混雑してないだろう…。
こんな朝早くから行動できるオタクなんて…名古屋にそうたくさんいるものか」
そんなことを独りごちつつ、名古屋駅にて可憐先生と合流。
しかし、それはとても甘い考えだった。
談笑もほどほどにし、少し早いくらいの時間にチケット売り場へ出向く…すると
ええと…マジっすか。
kuma「え、え、え??」
可憐「いったいどういうことなnあwせdrftgyふじこ」
k「と、とりあえず落ち着こうっ!! な、並ぶんだ!」
可「は、はい…」
そこにはチケット売り場から伸びる、ちょっとした行列がありました。
どれくらいの長さかといえば…そうだなぁ、
冬コミの二日目、アージュの企業ブースくらいかなっ!(微妙!)
もうダメだ!と思うほど長く感じられないのは、
自分が歴戦の勇者となりつつあるからなのでしょうか??
それとも絶対数的にさほど多くもないから?
瞬間的に状況を察知したオタク二人は、すぐさま日本人の必殺技「とりあえず並びます」を決行!
そして、吹きすさぶ風の中一般人の方々の嘲笑にも耐えながら
(途中、PSPでTV版AIR見てテンション上げるのも忘れない)
やっとこさ
ゲットしたZeeeeeeeeeeeeeeeee!!
うんゲットした。
ゲットしたんよ。
でもね……。
上映時間、13:45分(現在の時刻08:00)
なんだろう。この寂寥感…。
なんというか、試合に勝って勝負に負けた…そんな感じ。
そんななか、「本日上映分のチケット完売」の文字が掲示されました。
k「……まぁ…今日見れるだけ、ラッキーか」
可「ですね」
そんなこんなでとりあえず時間をつぶしつつ
まったり待つことに。あと5時間か…。
アニメイト行ったりメロンブックス行ったりハンズ行ったり。
そうこうしている内に時間となりましたッ!
k「うしッ!いつでも泣く覚悟は出来てるンやでェ!!」
可「はいっ!」
:
:
:
:
(上映終了)
注意:ここからkumaの感想が始まります。
ネタバレはまずほとんど無いと思いますが、気になる方は飛ばしちゃってください。
なんというか…最初から最後まで、とても強い「違和感」に支配されていた……そんな気がする。
その原因はシナリオであり、音楽であり、演出であり――全てだった。
私はこの作品を見るに当たり、三つの予測を立てていた。勿論シナリオの話であるが――。
一つ目は、TV版AIRのように単純移植作(ある程度の改変を含む)となるもの。
二つ目は、原作のDREAM編とSUMMER編のふたつを織り交ぜた
「観鈴の死END」によるエンディングをもつもの。(問題提起的END)
そして最後に、「素材」のみを使ったまったく別のもの。
いずれにせよ、原作Air編はそこに組み込まれることはないと思っていた。
批評的に見て、というよりは単純な動機で申し訳ないのだが…それは有り得ないだろう
――主人公の作中交代を三回行うこと(DREAM→往人 SUMMER→柳也 AIR→そら(カラス))
は、構成的にもナンセンスだし、第一、そんなのは見たくなかった。
…結果として予測など見事に外れ(あたりまえであるが)、
二つ目と三つ目を足して二で割ったような、そんな感じのものになっていた。
キーキャラクターとして、<そら>も登場する。
しかし、そこには決して既存のレールをただひた走るだけのものに成り下がっている感はなかった。
まったくのオリジナルストーリー…そう思った。
これには衝撃を受けた。
TV版AIRがあまりにも完璧な移植(ストーリー、音楽、雰囲気…全ての良さをスポイルすることなく
完璧なダウンサイジングを果たしている)
をしていたため、私は「映画版もこのクオリティで踏襲される」と思いこんでいたからだ。
…正直な話をしよう。
私は、この作品は…AIRを知るものにとっては真なる「AIR」ではないと思った。
そう、これは監督・出崎統の描いたシミュラークル的「AIR」なのだと。
…監督の出崎氏は超絶有名なアニメーション監督で、
あの描き絵技術(「あしたのジョー」のジョーが真っ白に燃え尽きたときのあのシーンとか)や、
同じ絵を三回動かすことによってその心情や行動をより生々しく再現する技術などを考案した、
アニメ技術の父ともいうべき人である。
もちろん今作にもその技術はふんだんに用いられている。
絵を揺り動かすあの技術、入射光、描き絵…どれも無駄に使われているのではなく、
全てが効果的に作品を美しく緻密に見せようとしている。
そうすることで「出崎版AIR」が単なる移植ではなく、
また破綻した同人的作品でもないことをあらわしている。
しかし、その効果の数々が、我々の知る既存のAIRを変質させ、
出崎版AIRとして大きく再構築しているとすれば、どうだろう?
キャラクターはおなじみの面々だし、音楽もそこはかとなく似ている。
シナリオも踏襲するトコはしっかり踏んでいる。
だが、「違う」のだ。
キャラは同じでも、こんなことはしないんじゃないかなァというようなことを平気でやっていたり、
音楽は無理なアレンジ臭が時折鼻につくし、
シナリオに関しては…「やっぱり、私の思ってる原作のイメージとちがう」。
しかも、度重なる特殊演出が更に流れを掴みにくくしていた。
「納得できない」
映画館を出たとき、私はそう呟いた。
誤解のないように言っておくが、
これは作品の出来が悪いと思っての「納得できない」では断じてない。
彼の考えた方向性、作品の内容、示したかったもの。
出崎版AIRに込められたメッセージが、読み取れなかったためのそれなのだ。
だから、家に帰るまでの電車の中、家に帰って掃除をしている最中、飯を食っている最中、
ずっと悩んでいた。
わからなかった――そう、私には出崎版AIRが「わからなかった」。
そうして、悶々としながらコタツに入っていたときだ。
ふと作品のパンフレットの存在(1500円もする!)を思い出した。
折角なので読んでみることにした。
そこには美麗なイラスト達と一緒に、スタッフのコメントが書かれていた。
そのなかでも出崎氏のインタビューが、目をひいた。
そこには彼の描きたかった作品が、断片的に解説されていた。
私は唐突に理解した。そして、猛烈に恥ずかしくなった。
「違って」いたのは、私であると。
予想、想像、妄想、概念、信念、理想、欲求、批評。
既存のものにすがろうとするあまり、切り離すことに恐怖を覚えるあまり、
認めることに無知であるあまり、
私はこの「出崎版AIR」の本当の素晴らしさを自身の手で握りつぶしてしまうところだった。
表面的な作品の良さばかりをさがし、短絡的に成り下がっていた。
勿論パンフレットを読む前の感想は偽りではない。
だがこの作品を胸を張って評価しているものでは、決してない。
「もう一度、今度は真っ白な気持ちで見たい!」
そう強く思う。
そして、半端な姿勢でこの作品に向かおうとした自分を大いに恥じ、律したい。
鳥のように風を切り、どこまでも高みを目指し、
美しく限りない青空を往くように、雲の海を突き抜けるように、
AIRを――どんな作品であっても――感じることの出来る自分でありたいと思う。
私は、AIRという作品がまた一段と好きになりそうだ。
追伸: パンフレットは買っておいたほうがいいよ!
今日のkumaメモ
プリキュアマックスハートの略称
モエモエカフェさんとこの話によると「プリクマ」だそうです!
プリkuma!
ええ響やァ(崩壊気味)
あしたはフィーバーしまっせー!
AIRフィーバー!
なんか池袋ではフィルムが焼けて音だけになってしまったらしい。くわばらくわばら。
あした名古屋に見に行く方は、
朝7:00くらいには並ばないと無理でしょうね。おきをつけて。
いちおうリンク先はネタバレなしです。
逆転裁判DS正式発表!
やっべほしい!
一作目のリメイク…という噂ですが、真相やいかに。
あー……原稿やらなきゃ。頑張るぞっと…。
んでわ、バイニャン☆