G家★Thug Life 4ever

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最愛の人・永遠の別れ

2006-06-30 09:52:27 | 日記・出来事 

      6月28日この日、朝から和歌山の従姉のあっちゃんからの携帯が鳴った
      ・・・嫌な予感がした。
       『今朝なぁ、おばあちゃん亡くなってん・・・』 やっぱり・・・
     誰しもいつかこんな日が来るのは判ってるつもりでも、やはりもう存在してないというのを
     素直には受け入れられない。仕事を夕方までに済ませ急いで和歌山に向った。
     すぐに通夜だと聞かされた。車を走らせ大阪市内を抜け和歌山を目指した、
     大阪の空は、とてもドンヨリしてる
           
     会場に着くと久しぶりに逢う伯父さんが入り口に立って迎えてくれていた。
     少し後に実家の親父達家族も広島から到着した。和歌山、大阪の親戚達はもう来てた。
     今年読んだリリーフランキー著『東京タワー』、島田洋七著『がばいばあちゃん』
     に似た心境になった。今年の初め頃に自分に当てはめながら読んでた
     家庭問題のあった
自分は幼少から少年期は、当時祖父・祖母・従兄達が住む下関市にいた
     おばあちゃんに預けられて育てて頂いた。親父の生家である・・・
     小学校の帰りはいつもおばあちゃんのパート先に立ち寄り終わるのを待って一緒に帰った。
     色々な事を教わり、時には竹刀を持って追いかけ回されもした。
     色んなトコに連れて行ってくれた、早朝から散歩やといいながら4キロ先の唐戸市場まで
     よく歩かされわざわざ朝飯を食べに連れて行かれた・・・
     親戚の多い和歌山へは自分が21歳の時に移り住み祖父、祖母は新たな人生の生涯を
     和歌山で送る事となった。
     自分にとっては今まで母親以上でいつも接してきた為に想い出も限りなく多い
     彼女も自分の事を孫というよりは息子同然に思ってくれてた・・・
     自分はおばあちゃんっ子なんやな、いつもそう思ってた今も昔も・・・
     大人になってからも何度も逢いに下関・和歌山には足を運んだ。
     横になったおばあちゃんを見ると後悔の気持ちに溢れた、
     もっともっとたくさん逢いに来てたら良かった・・・

     たくさんの、孫、
ひ孫にも恵まれ94歳という長寿を全うし幸せだったのだと思う。
     でももう話す事ま出来ない、気持ちは納得いかないまま通夜を迎えた。
     終わると皆で飲んだ、従姉や親父と朝まで飲んだ。いくら飲んでも酔い切れなかった
     歳よりも若く見え皆に優しく皆にしたわれ尊敬される存在だったそんな祖母はもういない。
           
     翌日、10時から葬儀が行われた、よく晴れた暑い1日。
     火葬場で本当の別れが来た。
     初七日も同じ日に行い、四十九日は初盆になる。
     本当なら今年95歳を迎える歳でした。故・鶴子94歳
     もっと歳であるおじいちゃんは痴呆の為
     おばあちゃんが亡くなったことさえ分からない・・・七十年連れ添った最期なのに
     その事を思うともっと悲しくなった・・・永遠の別れ誰にでもある事かもしれないけど

     色々御心配と、ご配慮頂いた方々には、この場をお借りし感謝と御礼を申し上げます。