心の音

日々感じたこと、思ったことなど、心の中で音を奏でたことや、心に残っている言葉等を書いてみたいと思います。

いい話を聞かせてもらうことは、いつまでも減らない福を贈られたと同じー幸田文の「材の命」より

2004-12-07 22:10:06 | Weblog
 小説家幸田露伴の次女として、生活全般にわたって露伴の厳しいしつけを受けた幸田文の著書「木」(1992年刊)の中に、斑鳩の古塔再建の話が出てきます。
 その塔工事の棟梁をつとめる西岡親子が先ず教えてくれたことは、「木は生きている」ということだそうです。大工さんのいう木は、立木ではなく、立木としての生命を終わったあとの、「材」をさします。西岡さんたちが言うには、木は、「立木のうちの命」と「材になってからの命」と二度の命をもつのだということです。法隆寺1200年の昔の材に、ひとかんな当てれば、生き生きとしたきめと光沢のある肌をを現し、芳香をたてる。湿気を吸えばふくよかに、乾燥すればしかむ。強風にはたわみ、地震にも歪むが、よく耐えてまた元に戻る。これはまさに生きているという証拠であると。
 ほかにもいくつかのいい話がこの本には書いてあります。幸田文氏は、古塔再建にかかわったからこそ、このような心にしみるいい話をいくつも聞く機会を得ることができたわけです。そこで「いい話を聞かせてもらうことは、いつまでも減らない福を贈られたも同じである」と言っています。あるいは、「先行き一生のぬくみ」という表現もしています。
 兼好法師も「徒然草」の中で、専門家のすばらしさを賛嘆しているところが、いくつかありますが、やはり何事でも1つの道に熟達した人の話というのは、重みがありますね。いろいろな人の話を謙虚に聞ける耳をもち、また積極的に聞こうとする姿勢を持ちつづけたいものです。
 

「いま、会いにゆきます」を見ましたー原作と違ったところもよかったですよ。

2004-12-07 22:09:47 | Weblog
 原作を読んでいたので、結末を知っているから、感動できるかという不安もあったのですが、素直に感動できました。自分は小学校2年の時に、母親を亡くしているので、小学校1年の祐司に感情移入した面もありました。やはり小さいころに母親がいないというのはつらいし、もし現われたりしたら、もうどこにもいかないでほしいというのは当たり前の感情です。それがかなわなかった祐司は少しかわいそうですが、3週間の奇蹟の間に感じられた母の愛が、たとえ母親がいなくても行き抜けるようなものを与えたと思います。自分が死ぬと分かってから、料理の仕方や洗濯の仕方を教える澪の行動が、すごくせつなかったです。
 病気のために、好きな澪をあきらめようとした秋穂巧の行動も見ていてつらかったですね。しかし、自分が死ぬとわかっていながら、自分の心に正直に生きた澪は何といっても素敵ですね。そして1度はあきらめていた、澪をその後、心から大切にした巧も。本当に愛がいっぱいにつまった映画でした。
 原作にはなかった、反対のてるてる坊主や、陸上記録会の照明が落ちるシーン、それから一面のひまわり、毎年贈られるバーズディケーキなども効果的でした。原作を読んでいる人もまた違った発見もあり、楽しめると思います。
 脚本は、岡田恵和(確かNHKの「ちゅらさん」の脚本家だと思います)、音楽は「劇的ビィフォア・アフター」の松谷卓です。これもすごくいいです。サントラを買おうかなと思いました。もちろん、最後の「花」もとてもいいですよ。