小説家幸田露伴の次女として、生活全般にわたって露伴の厳しいしつけを受けた幸田文の著書「木」(1992年刊)の中に、斑鳩の古塔再建の話が出てきます。
その塔工事の棟梁をつとめる西岡親子が先ず教えてくれたことは、「木は生きている」ということだそうです。大工さんのいう木は、立木ではなく、立木としての生命を終わったあとの、「材」をさします。西岡さんたちが言うには、木は、「立木のうちの命」と「材になってからの命」と二度の命をもつのだということです。法隆寺1200年の昔の材に、ひとかんな当てれば、生き生きとしたきめと光沢のある肌をを現し、芳香をたてる。湿気を吸えばふくよかに、乾燥すればしかむ。強風にはたわみ、地震にも歪むが、よく耐えてまた元に戻る。これはまさに生きているという証拠であると。
ほかにもいくつかのいい話がこの本には書いてあります。幸田文氏は、古塔再建にかかわったからこそ、このような心にしみるいい話をいくつも聞く機会を得ることができたわけです。そこで「いい話を聞かせてもらうことは、いつまでも減らない福を贈られたも同じである」と言っています。あるいは、「先行き一生のぬくみ」という表現もしています。
兼好法師も「徒然草」の中で、専門家のすばらしさを賛嘆しているところが、いくつかありますが、やはり何事でも1つの道に熟達した人の話というのは、重みがありますね。いろいろな人の話を謙虚に聞ける耳をもち、また積極的に聞こうとする姿勢を持ちつづけたいものです。
その塔工事の棟梁をつとめる西岡親子が先ず教えてくれたことは、「木は生きている」ということだそうです。大工さんのいう木は、立木ではなく、立木としての生命を終わったあとの、「材」をさします。西岡さんたちが言うには、木は、「立木のうちの命」と「材になってからの命」と二度の命をもつのだということです。法隆寺1200年の昔の材に、ひとかんな当てれば、生き生きとしたきめと光沢のある肌をを現し、芳香をたてる。湿気を吸えばふくよかに、乾燥すればしかむ。強風にはたわみ、地震にも歪むが、よく耐えてまた元に戻る。これはまさに生きているという証拠であると。
ほかにもいくつかのいい話がこの本には書いてあります。幸田文氏は、古塔再建にかかわったからこそ、このような心にしみるいい話をいくつも聞く機会を得ることができたわけです。そこで「いい話を聞かせてもらうことは、いつまでも減らない福を贈られたも同じである」と言っています。あるいは、「先行き一生のぬくみ」という表現もしています。
兼好法師も「徒然草」の中で、専門家のすばらしさを賛嘆しているところが、いくつかありますが、やはり何事でも1つの道に熟達した人の話というのは、重みがありますね。いろいろな人の話を謙虚に聞ける耳をもち、また積極的に聞こうとする姿勢を持ちつづけたいものです。