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ふなやすさんの数字と戦う生活

転職と同時にブログタイトルも少々変更ですよ。

キケンナシュウキョウ

2005年08月13日 17時56分29秒 | 歴史やら神社やら
もうかれこれ一ヶ月ぐらい前のニュースですがこんなニュースが、顕正会の2人を監禁で逮捕 神奈川県警、会館など捜索
私のまわりにもどうもこの宗教に引っかかったやつがいるみたいで学生時代一度なんか変な本が送られてきました。
なかにはファミレスに呼び出されて延々二時間ぐらい勧誘を受けた人もいたみたいです。
迷惑な話です。
当時は伊勢の某右翼宗教系大学四年生だった私、直接あっていたたら宗教的にぶちぶち言って目をつけられるなりしてそうでした。

さて顕正会 とはなんぞ大体ここ を見ればわかると思いますがそもそも脱出サイトが立っている時点でフツーの宗教ではありませんね

このサイトの本論のはじめに を読めば大体わかると思いますが一言で言うと

顕正会会長・浅井昭衛である。顕正会とは、元日蓮正宗の信徒(当時妙信講)で、暴力事件などを起こし、宗門から破門された教団である。
(以上引用)

だそうです。

危険なカルト系宗教が多いこの昨今皆様もお気をつけください。

ウィキペディア顕正会
宗教法人顕正会問題リンク集
カルトに傷ついたあなたへ
弁護士紀藤正樹さんのHP
心のリハビリしてますか
日本脱カルト協会

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八月十五日靖国参拝中止

2005年08月13日 16時47分29秒 | 歴史やら神社やら
予想通り小泉は靖国参拝を見送り
逆にこの時期だからこそ言ってほしかったのですが・・・

さて、今年は大東亜戦争終戦六十周年ですが同時に日露戦争から百周年にも当たります。
ビッグコミックで江川達也さんが日露戦争物語を連載しているなど多少 の動きは見られますが別にそれほど盛り上がっているわけではなさそうです。
 そこで提案、折角だからポーツマス条約が締結された九月五日に靖国に参拝してはいかがでしょ?これなら某隣国もうるさくない?かも知れませんし。
まあ問題は九月五日だとさらに選挙直前ってことですか、でも参拝してくれると面白いんですけどねえ・・・

日露戦争のページ
ウィキペディア日露戦争

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南志見水無月祭

2005年08月09日 15時16分14秒 | 歴史やら神社やら
以前の記事で能登旅行についてかきましたがその際に見物に行った夏祭りに書いてです。
七月三十日三十一日の二日間の祭りですが私の都合で三十日のみの見物となりました。
水無月とされていますが七月三十・三十一日おそらく旧暦に準じたものでしょう。流れとしては住吉神社を出たキリコと神輿が海岸へ行きそこで祓いをうけて南志見中学で暴れたのち住吉神社へと行った流れと思われます。なぜ払いとわかったのかですがかすかに神主が大祓詞を読んでいたのが聞こえたこと、さらにその後神輿が日本の竹の間に藁のようなものを渡した物の下をくぐらせたことからの推測です(茅の輪潜り(神社オンラインネットワークより) )、おそらく水無月祭りで月の終わりに開催ということでこれは本来水無月晦日の大祓だったのが地元の祭りとして発展していったものではないかと思われます。(祭りのすべての内容を見たわけではないので憶測ではあるが)本格的神事は三十一日ということでおそらく祓いを済ませた神人達がこの後なんらかのことをやったと思われます。(三十一日は見てないのでなんともいえませんが・・)

住吉神社前のキリコ

キリコと花火、当日はかなり盛大に花火を打ち上げていた。

南志見中学で整列したキリコ

※少子化などから神社で祭り自体が行われなくなることが多い昨今、あまり人口が多いとはいえない能登半島の先端でこれだけの人とお金(花火一つとって見ても相当なお金がかかっていると思われる。)が祭りに掛けられるのは結構珍しい(田舎だからかもしれないが)これからもこの規模の祭りを維持していってほしいものです。

南志見水無月祭り(輪島市観光課HPより)

キリコについてはここがくわしいです。

キリコはやはり能登独特のものみたいですね。
役割としては現在は山車と一緒、以外と期限は新しく江戸時代ぐらいからのもののようです。
キリコと山車の違いですがわかりやすく言うと山車はいろいろ飾り付けられて神様が依られた屋台、それに対してキリコは灯篭であるといったところでしょうか、

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つくる会の教科書VS杉並のプロ市民系バカ区民(正体は中核派危険分子)

2005年08月04日 23時57分09秒 | 歴史やら神社やら
さて、今日ニュースでもやっていましたが杉並区で新しい教科書を作る会の教科書採択をめぐってデモが起こったみたいですね。
デモを起こしたのはこいつら↓
「つくる会」の教科書採択に反対する杉並・親の会
「子どもたちに与えたい教科書の対極にあるものだからです。私たちは子どもを「愛国心あふれる日本人」に育てようとは思っていません。侵略戦争を「アジア解放に役立った」などとうそを教えたくありません。「日本人は誰より優れた民族」などというプライドなど決して持ってほしくありません。
戦争放棄を持つ日本国憲法を誇りとし、自分と相手の基本的人権を同じように大切にし、それぞれの国や民族固有の文化を尊重する、子どもたちにはそのように育ってほしいと願っています。
私たち大人には子どもたちの自由と平和を守る責務があります。教育委員の皆さんには行政としての立場から子どもたちの人権を守る義務があります」(鉤括弧内引用)
>。「日本人は誰より優れた民族」などというプライドなど決して持ってほしくありません。
日本人が世界だ最も劣等民族と教えたいのはお前らだけです。

>戦争放棄を持つ日本国憲法を誇りとし
こんだけ日本人が拉致されても戦争放棄に誇りがもてるんですか?

この人たちは日本を滅ぼす教科書が欲しいみたいですね。
これだから日教組と人権派は嫌いです。
こいつら現実見えて無さすぎです。
ってかおまえらの作りたい教科書ってなんだ?対抗して作ってみろといいたいですね。
もしかしてあの採択するにはひどすぎる内容の朝鮮系の似非教科書ですかね?
こんな左翼系のババァとジジィの話なんてばかばかしいので無視すべきです。
とりあえずこいつら、絶対つくる会の教科書読んでないと思う・・・

さて、東京都では一部無事採択されたようですが新しい歴史教科書の採択問題は各地で起こっています。
最初のころの無視ップリを見てると今のこれだけの注目はありがたい限り、正直これでも甘いと思いますが今までの腐れ教科書を見てるとこれ以上有害な図書が出回らないためにもどんどん広まって欲しい限りです。

※なんて書いて他の人の記事を見ていたところ、逮捕者がでたとか、中核派だとか、・・・やっぱりろくなやつらじゃなかったんですね。

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五箇条の御誓文競売に

2005年07月08日 09時33分58秒 | 歴史やら神社やら
五箇条の御誓文競売に
競売に出されるそうです。何でかよくわからないですが・・・
草稿を作成した由利家にもともとあったものがどこかに流出、それを手に入れた人が競売に出した模様、由利公正は後に子爵になった人物、その家がこのような重要文化財クラスの文書を手放すというのは何かよっぽどの理由があったのでしょうか、以外と日本では伯爵家などの大物でも落ちぶれる人ってのは結構いるのでしょうか?
さて、入札価格の基準も二千万と破格のこの文書、やはり入れることが出来るのは古書業者のみ見たいですが、折角ですから福井(由利公正の出身地)の博物館などに寄贈して展示するのが一番いいと思うんですけどねえ
まあ、二千万も出すのです、きっちり価値のわかる人が落札すると思いますが・・・

五箇条の御誓文全文

一.広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ。

一.上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸(けいりん)ヲ行フベシ。

一.官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦(う)マザラシメンコトヲ要ス

一.旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ。

一.知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ。

我国未曽有ノ変革ヲ為サントシ,朕躬(ちんみずから)ヲ以テ衆ニ先ンジ,天地神明ニ誓ヒ,大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス。衆亦此旨趣ニ基キ協力努力セヨ。


高松塚古墳壁画の修復保存、石室の解体決定

2005年06月27日 19時59分48秒 | 歴史やら神社やら
高松塚古墳壁画の修復保存、石室の解体決定
あーあやっぱりね、
古墳の形を崩すということで出来ればやめてほしかったのですが仕方がないですね。
外にも十分価値はありましたが、高松塚古墳には中身に代わりのない価値があるものがあった、二社一択、しかたないこと、いっそのこと古墳を囲む雨よけを強化するのが一番よさ気ですが、おそらく現在の考古学の現場にそんな資金力ないと思われるのでこれ以外では手段はないかと思います。
折角ここまで犠牲にするのですプロジェクトXのねたになるぐらいの大手術の末一般公開できるぐらいのことをやってほしいものです。

やっぱりどうなるかわかってたんじゃねーの?

2005年06月18日 16時26分09秒 | 歴史やら神社やら
米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収

見せびらかしたい物・隠したい事、やつらにとっては原爆はそのようなものだったのでしょう。
国内でもおそらくこれがばれれば大統領支持率は急激にダウン、非常事態とはいえやつらもそれは避けたかったのでしょうか、おそらくやつらは放射能の被害はあまり気がついていなかったのかもしれません、とりあえずやつらに必要なのは派手なパフォーマンスだけだったのですから。
元日本国憲法のお手本の国の割には言論の自由はあまり守られていません、アメリカ人的には自由とは政治的にはこのようなものなのかもしれませんね。

・一つ確かなこと
トルーマンの脳内
黄色い人の命<<<<<<<<<大統領支持率



英語原文はこちら
気合でインフォシークマルチ翻訳で翻訳した和訳文
<60年後に発見された、アメリカ人の検閲された長崎原子爆弾報告書>
ロサンジェルス--論争の的になっている報告書および写真、長崎の1945年の原子の爆撃の余波上で生産された、ピューリツァー賞を受賞するアメリカ人ジャーナリスト、米軍検閲官が出版を禁止したほとんど60年後、発見された、Mainichiは学習しました。
前のジョージ・ウェラーは、それが1945年8月9日に原子の攻撃にさらされた後、長崎に到着する最初の外国人記者でした。しかし、占有検閲官は、都市、および放射線病を備えたものによって受けられた苦痛の条件について伝えた彼の話および写真の出版を許可することを拒絶しました。
その時の米国政府は、放射線が健康に持った影響を軽視し、ウェラーの物語がアメリカの世論に影響し、それが、恐らく核兵器開発競争の開発に影響した、のではないかと心配しました。古い95人が、よりよく2002年に死にました。彼の息子(アントニー)、マサチューセッツの作家、彼の父親が彼の人生の最後の数年に生きていたところで、この前の夏、ローマ・アパートに物語と絵を見つけました。
物語はタイプされ炭素コピーされました。それらが印刷された論文は茶色になりました。物語は約75のページ上にタイプで打たれ、約25,000単語を含みました。さらに爆撃の後に長崎にすぐに得られたさらに25の写真がありました。ウェラーは1945年9月6日に長崎に着きました。彼は、近くの鹿児島県の物語をカバーしていました。しかし、モーターボートに乗り列車に間に合うことによって、彼はAに爆撃された都市までたどり着きました。それはそのときすべての外国人記者に立ち入り禁止でした。ウェラーは彼の基礎として長崎を使用し、都市および九州の北部の出来事をカバーして、約2週を過ごしました。
ウェラーの長崎からの最初の物語は1945年9月6(、日付記入線)日に持っていました。日付記入線を備えた2日後にの物語では、ウェラーは、彼が会った人々が放射線によって影響されていたことを悟るようには見えませんでした。「ここ長崎の誰も、より広い範囲フラッシュおよびより強力な�mックアウト以外においては、任意の他のものと爆弾が異なることをまだ示すことができません」とウェラーは書きました。同じ日に、ウェラーは2つの長崎病院を訪れて、放射線中毒に特有の徴候を実現しました。彼は、最初に小さなやけどだけを受けた女性が今まだ話すことができなかったし、彼女の脚と腕が小さな赤いスポットで斑点があったことを理解することについて書きました。リポーター、のために、今、消滅したシカゴの毎日のニュースは、さらに同じ赤いスポットを持った少女に会いました。そして、鼻は彼らの髪の毛を失った子供でも血液でも凝結しました。この子供たちの誰も最初にやけどあるいは故障した四肢を報告していませんでした。ウェラーが会ったオランダの医者は彼らの条件を「疾病X」と評しました。翌日に、Yoshisada Nakashimaと呼ばれる医者は、「疾病X」が放射線の影響で、それが落とされたかなり後に、人々が爆弾で死に続けるだろうことをウェラーに説明して、福岡からの長崎を訪れました。ウェラーは、彼が長崎で取り引きした患者のうちの数人が放射線中毒に明白に苦しんでいたと言うNakashimaを引用しました。「これらの患者は、2週間正常に進歩する少しのやけどから始めます。それらは単純なやけどと異なります。しかし、それでは、患者は高熱を持っています。燃やされた皮膚エリアの3分の1もを持った熱のない患者は回復すると知られています。しかし、熱が2週後に存在する場合、やけどが急に直ることは停止します。また、それらはより悪くなります。それらは腐敗性の潰瘍に似るために来ます。「しかし、患者は大きく苦しんでいません」とウェラーが、5日よりほとんどのこれらの患者が後にもはや死ななかったと付け加えて書きました。ウェラーは付け加えました:「死の後のそれらの器官は健康の標準状態で見つかります。」ウェラーの息子は、彼の父親が占有総司令部へ彼の話を転送したと言いました。しかし、その検閲官は、出版のためにそれらを通ることを拒絶しました。検閲官はウェラーの物語を返しませんでした。また、彼は、彼がコピーを失ったと信じました。物語のオーストラリアのジャーナリスト、ウィルフレッドBurchettは1945年9月5日に英国の毎日の急行用にヒロシマで放射線中毒について書きました。それは、恐らくウェラーの物語の出版を禁止するように米国政府に促しました。ウェラーの息子は、それが彼のfを持っていたと言いました。それらがもとはファイルされた後まもなく、あったatherの物語は印刷しました。それらは放射線の危険に関する根底から揺さぶる意外な新事実になっていたでしょう。ウェラーは、攻撃されている潜水艦にいる間緊急盲腸炎手術を行なったアメリカの兵士の話のために1943年に名誉あるピューリツァー賞を受賞しました。(Sumire Kunieda、Mainichiによって)>

六十年も 日本の戦後 終わらずに

2005年05月27日 20時24分27秒 | 歴史やら神社やら
フィリピンで日本兵発見 最後に帰ってきた小野田寛郎 さんから三十一年も立っています。
正直なところ八十台に達する人がジャングルの中で生きていられることが一番すごいとおもってしまうのですが・・
現在も相当数の旧日本兵は海外に残っているらしいです。中には現地の女性を結婚し現地に住み着いてしまい帰国の意思のない方も結構いらっしゃるらしいようですが、このようなパターンがまだ残っていたのには本当に驚く限りです。
旧日本軍がタフなのか?執念か?
周りの人たちも大変でしょう、おそらくほとんどの知人は亡くなってしまい、六十年も昔にお墓まで用意した人が突然帰ってくるのだから・・・
そしてこの人たちは今の日本になじめるのか、小野田さんも当時の日本になじめず結局ブラジルに移住し牧場経営なさったようですが、この人たちはもう八十-九十才、どうあがいてもどうしようもない年齢、なじめない日本を見ながら過ごす余生、それが幸せなのか、もはやどうしようもないですがとりあえず日本に帰ると言う希望があるのですから何とか無事に日本に帰ってきてほしいです。

六十年も 日本語の戦後 終わらずに 時を奪うは 今か昔か

結局悪いのは無謀な自給作戦を行った旧日本軍か、ずさんな調査を行った厚生省かもはや何も攻めることは出来ないし、時は戻ってきません・・・
十月ごろにはすでに第一報は入ってきたということですが公表がこのように遅れてしまった辺りもはやいないという諦めからでしょうか?結構ずさんな対応な気がしますが・・・・

式年遷宮開始

2005年05月03日 02時24分13秒 | 歴史やら神社やら
山口祭が本日挙行されました。
これにより本格的に長きに渡る二十年に一度の式年遷宮が始まります。
次回の式年遷宮は平成25年、ここがすべてのスタートとなります。
辞書どおりの山口祭の説明ですが
まず、遷宮の御用材を伐る御杣山(みそまやま)の「山口」の神を祭り、伐採と搬出の安全を祈ります。
遷宮の御用材を調達する御杣山が神宮から離れたところに移った今も、山口祭は内宮と外宮それぞれの神宮林の山口で行われます。
そして今夜木本祭も行われました、これは・・・
木本祭は山口祭の夜に行われます。御正殿の床下に奉建する心の御柱の用材を伐採するにあたり、その木の本の神をお祭りします。
面倒だったから辞書コピペ・・・
ウィキペディアはこんな感じで記載されてます。
世の中便利になったもんだ・・・