南セントレア市合併自体が白紙に
今までは名古屋ねたで扱ってきたこのニュースですが全国的な扱いになってしまいました。
このネーミングとそれにつながる過程がばれてしまった今、もはや合併自体を指示する人がいなくなった、ということでしょうか、それとも全国的に恥ずかしい形での注目を浴びたからでしょうか、それとも市民の中には潜在的に合併を嫌がる風潮があったのか、もし合併自体を嫌がっていたのなら、まだ全国レベルで探したら合併辞退を嫌がっているところはあるような気がします。ここの合併はネーミングで全国的に注目を浴びて住民投票という形になりましたが、日本には住民の意思などお構いなしに行われた合併とか絶対ありそうな感じがするのですが、
さて、このニュースを全国的に扱ってみたのにはもう一つ意味があります。この合併白紙をうけてかどうか詳細はわかりませんがもう一つの歴史を無視した地名の市である「中央アルプス市 」も白紙になりました。
日本にカタカナの地名は他に北海道のニセコ町などありますがこちらは一応歴史的意義があるとおもわれるので尊重しますが、基本的にカタカナの地名は歴史的意義が薄い、地名として見栄えが悪すぎる、そもそもそこにすむとしたら恥ずかしすぎる、以上の理由から反対です。
私は合併というか市町村合併ということそのものに対して反対です。その地名に対する歴史的過程などを無視したものが多すぎるということです。たとえば本日決まった合併で愛知県一宮町と豊橋市の合併がありました、もしこのまま合併すると一宮(三河一宮は戸鹿神社)と言う地名がなくなります、本来この地名は各国の一宮があったところを示す地名、それが消えるのです、一宮町と豊川市が合併で豊川の名前が残る可能性はゼロに近いことからまた一つ歴史的に意味のあった地名が消えます(豊川という地名には歴史的意義はないとは言いませんが・・・)こうやって地名が消える、過去の歴史が薄れる、その土地に住む人たちに自分の住む土地がどのようなものであったか、それがわからなくなっていく、さびしい限りだと思うのですが・・・
地名というものは何らかの形でその土地の歴史を示しています。
たとえば神戸、(かんべ・こうべ)はそのとちがその近くの有力神社の社領だったことを示しています。(三重の神戸(かんべ)は伊勢神宮領)(兵庫県神戸市は住吉大社の領土)
今伊勢という地名は伊勢神宮領だったことを示します。
静岡県の焼津市は日本神話の日本武尊命がここで草薙の剣をつかって草を薙ぎ、港を火の海にしながら敵を倒したという話があったから、こちら葛飾区亀有公園前派出所で、おなじみの葛飾区の亀有という地名にも亀のような形の砂丘があったから亀有という地名になったそうです。
また愛知県の郡の名前ですが中島郡というのがあります。これは現在でこそ干拓が進んでそうはみえませんが昔はあのあたりまでほとんど海で大きな川(木曾三川)がながれるなどで島がいくつかあったことからこの名前が、また熱田神宮そばの地下鉄駅六番町や一番街などは江戸時代中期、干拓が進むに人が入植した順番などで付けられた名前と思われます。また名古屋市中心街の長者町などは現在は錦などとひっくるめられていますが呉服や長者町など昔呉服・繊維問屋がたくさんあったという地名の面影がかすかに残っています(錦という地名にもその面影は感じられますが)
(この記事は私見たっぷりです。)
今までは名古屋ねたで扱ってきたこのニュースですが全国的な扱いになってしまいました。
このネーミングとそれにつながる過程がばれてしまった今、もはや合併自体を指示する人がいなくなった、ということでしょうか、それとも全国的に恥ずかしい形での注目を浴びたからでしょうか、それとも市民の中には潜在的に合併を嫌がる風潮があったのか、もし合併自体を嫌がっていたのなら、まだ全国レベルで探したら合併辞退を嫌がっているところはあるような気がします。ここの合併はネーミングで全国的に注目を浴びて住民投票という形になりましたが、日本には住民の意思などお構いなしに行われた合併とか絶対ありそうな感じがするのですが、
さて、このニュースを全国的に扱ってみたのにはもう一つ意味があります。この合併白紙をうけてかどうか詳細はわかりませんがもう一つの歴史を無視した地名の市である「中央アルプス市 」も白紙になりました。
日本にカタカナの地名は他に北海道のニセコ町などありますがこちらは一応歴史的意義があるとおもわれるので尊重しますが、基本的にカタカナの地名は歴史的意義が薄い、地名として見栄えが悪すぎる、そもそもそこにすむとしたら恥ずかしすぎる、以上の理由から反対です。
私は合併というか市町村合併ということそのものに対して反対です。その地名に対する歴史的過程などを無視したものが多すぎるということです。たとえば本日決まった合併で愛知県一宮町と豊橋市の合併がありました、もしこのまま合併すると一宮(三河一宮は戸鹿神社)と言う地名がなくなります、本来この地名は各国の一宮があったところを示す地名、それが消えるのです、一宮町と豊川市が合併で豊川の名前が残る可能性はゼロに近いことからまた一つ歴史的に意味のあった地名が消えます(豊川という地名には歴史的意義はないとは言いませんが・・・)こうやって地名が消える、過去の歴史が薄れる、その土地に住む人たちに自分の住む土地がどのようなものであったか、それがわからなくなっていく、さびしい限りだと思うのですが・・・
地名というものは何らかの形でその土地の歴史を示しています。
たとえば神戸、(かんべ・こうべ)はそのとちがその近くの有力神社の社領だったことを示しています。(三重の神戸(かんべ)は伊勢神宮領)(兵庫県神戸市は住吉大社の領土)
今伊勢という地名は伊勢神宮領だったことを示します。
静岡県の焼津市は日本神話の日本武尊命がここで草薙の剣をつかって草を薙ぎ、港を火の海にしながら敵を倒したという話があったから、こちら葛飾区亀有公園前派出所で、おなじみの葛飾区の亀有という地名にも亀のような形の砂丘があったから亀有という地名になったそうです。
また愛知県の郡の名前ですが中島郡というのがあります。これは現在でこそ干拓が進んでそうはみえませんが昔はあのあたりまでほとんど海で大きな川(木曾三川)がながれるなどで島がいくつかあったことからこの名前が、また熱田神宮そばの地下鉄駅六番町や一番街などは江戸時代中期、干拓が進むに人が入植した順番などで付けられた名前と思われます。また名古屋市中心街の長者町などは現在は錦などとひっくるめられていますが呉服や長者町など昔呉服・繊維問屋がたくさんあったという地名の面影がかすかに残っています(錦という地名にもその面影は感じられますが)
(この記事は私見たっぷりです。)