囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

日本的な奥ゆかしさ

2021年08月18日 | 雑観の森/芸術・スポーツ

 

 



 

【囲碁は「打つ」、将棋は「指す」の話

 ~ 所作の細部に美学あり の巻】

 


織豊時代から〝親戚筋〟の囲碁と将棋。

信長、秀吉、家康の三英傑が好んだことから

この時代の技術が、現代と地続きになっている。

 

戦国時代後期に「名物」という言葉があり

それを「名人」と言い換えたのが信長である。

指南役の本因坊算砂は囲碁だけでなく

将棋にも通じており、いわゆる兵法家として

三英傑から畏敬を持たれていたと伝えられる。

 

碁将棋の名人や高手たちが

京都から江戸への転居を

徳川幕府に命じられたのが

17世紀の終わりだった。

それから家元に対し

幕府は士分と禄を与え

あつく庇護してきた。

 

序列は常に囲碁、将棋の順であり、

それが逆転することはなかった。

いまは、市井の人気のうえでは

将棋が優勢になっている。

世界的に囲碁人口は増えているが

日本では将棋優位が続いている。

この国の風土にあっているのか

他国に類似の芸があるためかは

分からないが……。

 

         ◇

 

戦略戦術を意思表示することを

囲碁では「打つ」といい、

将棋では「指す」というのは

前者が何もない盤上に石を置いていくのに対し

後者があらかじめ配置した駒を動かしていく

というルール上の違いから来ている。

 

わたしが感心しているのは

将棋の「駒の並べ方」である。

「大橋流」「伊藤流」の二種類があるが

主流は前者であり、時折後者の愛好者がいる。

 


大橋流は初代将棋名人の大橋宗桂(1555~1634年)が

伊藤流は三代将棋名人の伊藤宗看(1618~94年)が

それぞれ編み出した。

 


わたしは後者を好む。

 

最初に「玉」を置き

左金、右金、左銀、右銀、

左桂、右桂と並べ

香車、角行、飛車を最後に残し

歩兵を左から並べていく――。

 

それはなぜか、といえば

「歩のない状態で

香車などを盤上に並べてしまうと

その瞬間、敵陣に直射してしまうから」

である。

それでは礼に反するということだ。

名人・宗看の着眼の鋭さ、思いの深さが

四百年の時を超えて追体験できる。

 

つまり

日本的な奥ゆかしさ

こうした所作のなかに

さりげなく表現している

というワケである。

 

脚付きの将棋盤に駒台を寄せ

座布団に膝をたたんで対局する。

和服姿が絵になっている。

こうしたタイトル戦の光景は

失われつつある日本文化そのものである。

 

近現代の風潮を比較すれば

懐古趣味を頑なに守っているのは

長く格下扱いされてきた

将棋の反攻といえようか。

 

 



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