【ウソを教えるなかれ ~ 常識という名の「まやかし」】
先般の「初段を目指す特訓研究会」での出来事
ある級位者から、こんな質問がありました
「『勝つ見込みがない碁を打ち続けるのは
相手に失礼である』と、ある有段者にいわれました
ホントに、これは、正しい考え方ですか?」
わたしは
「間違っています」と即答しました
どういうことかといえば、まず第一に
勝負を途中で放棄するかどうかは
「礼儀とは全く無関係である」からです
しかしながら問題と思えるのは
棋力下位者の多くは
形勢判断をしていないことにあります
30目も50目も離されているうえ
相手の石のつながりにキズがなく
逆転の見込みが全くない――など
こういう場合は、試合続行でも
逆転の可能性は限りなくゼロに近い
ですが、滅多にあるものではありません
少しでも逆転の可能性があれば
粘るのが勝負というものです
しかし、あまりにも大差で、
勝てる見込みが1㌫もない
よって戦意喪失してしまった
それなら仕方がありません
いさぎよくギブアップしましょう
でも、
「勝てる見込みが1㌫もない」とは
どうして分かるのでしょう
そう、
あなたは形勢判断できている
ではありませんか!
▲素人に見せてナンボのはずのプロの碁
このごろ「中押し勝ち」が多すぎます
最後まで打つ「数え碁」がみられない
芸を見せるより勝ち負けのみじゃあ碁が廃るはずです
形を作って討ち取られるのも、いかがなものかと思うが
粘り腰で逆転することがないとも言い切れない
カッコ悪くとも最後まで粘って打ってみてはどうか
プロの碁は誰に見せるために打っているのか、よく考えてもみよ
日本棋院囲碁規約(昭和24年10月2日制定)
第37条 対局中において、対局者のいずれか一方が敗勢を認め、又は前条第一項(注)に定める事由以外の事由によりその着手を放棄した場合も終局とする。この場合は、着手を放棄した者の相手方をもって勝とし、「中押勝」と称する。
(注)第36条第一項 終局について双方意見が一致しないときは、終局したことを認める方は、自己の着手を放棄して、相手方に着手させることができる。