歴史秘話ヒストリア NHK大阪放送局制作の歴史情報番組で、逸話を中心に展開・解説した。2021年3月17日で終了し、12年の歴史に幕を閉じた。
【長期にわたって権力構造が変わらなかった時代から学ぶこと
~ 本当に、失われた十年、とはいつのことか の巻】
幕末の実話を、おひとつ――
才名高き小花和(おがわ)某なる侍が
徒士頭(かちがしら)のお役に就いた。
現代の会社の役職でいえば
係長クラスであろうか。
友人が昇進に当たっての心得を
こう説いて注意した。
「むかしから一職の長となったものは
老中や若年寄の邸宅にうかがい、名刺を出し、
お礼まいりをせねばならぬ。
これより、お世話になるエライ方には
品物を持ってゴキゲンを取らねばならぬ」
すると、小花和はニコリ笑って
「拙者の職は将軍様から命ぜられたもの。
相手がたとえ大老であったとしても
私邸に出向き礼を言う必要などない。
ことに贈り物はワイロと同じであって
武士として最も慎むべきことではないか。
だが幕府の『しきたり』であるなら
いたしかたあるまい」と言った。
早速、見事な大マグロ数本を釣台に載せ
大老や老中など要職の玄関にいたり
これを仲間(ちゅうげん)にかつがせては
一匹ずつ名刺をつけて
<常例によってワイロを差し上げます>
と大声で挨拶して歩いた。
当時の大老は、赤鬼の異名を獲る井伊直弼。
徹底的な「悪弊撲滅」を目指しており
これを聞いて いたく感服し
彼を日光奉行に大抜擢した。
さらに内膳正(ないぜんのしょう)に任じ
重用した。
ところが「桜田門外の変」が起こり
井伊大老は暗殺され、
小花和は要職を外された。
その後、官職には就かず
もっぱら風月を愉しんで
穏やかな日々を送った
と伝えられる。
◇
粛清(安政の大獄)を断行し
暗殺(桜田門外の変)された。
かの大老の人物評はさまざまであり、
定説が今一つ定まらない。
徳川慶喜は回想録「昔夢会筆記」で
「才略に乏しいが、
決断力のある人物」
と評している。
いまでも決断力、突破力は
なかなかあなどれない。
◇
中国古典「中庸」のなかに
隠れたるより見(あら)はるるはなく
微(かす)かなるより顕(あきら)かなるはなく
ゆゑに君子はその独(ひとり)を慎むなり
とある。
この「隠」とは幽暗の地、
すなわりヒトの見ていない場所。
また「微」とは零細の事柄を指した。
たとえば
ヒトのいる所では
如何に体裁を繕うていても
ヒトの見ていない裏に回れば
随分と道理に背いた心を出して
醜い態度をするものだ、というワケ。
また
大きな問題に対しては
相当深く注意するけれども
些細な事柄については
自分の勝手な理屈を付け
悪いこととは知っていながら
平気でやってのける。
そこで、この言葉については
君子は、
その邪念悪行の兆しを防いで
陰日向なく、よく独り慎むところに
成功の秘訣がある、
と解さている。
◇
現代のこの十年、
いや一年を振り返ろう。
支持率の上下の動きではなく
透徹した歴史観にて
誠実か否か
信任できるか否か
そこを見極めたいもの。
碁でいうところの
大局観というヤツである。