囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

一芸に秀でる事

2020年11月21日 | 雑観の森/芸術・スポーツ

 

上達の極意 モノゴトは両面から観察せよ

 ~ 徒然草(吉田兼好)第百六十八段 の巻】

 

 

第百六十八段


年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、

「この人の後には、誰にか問はん」など言はるゝは、

老の方人にて、生けるも徒らならず。

さはあれど、それも廃れたる所のなきは、

一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。

「今は忘れにけり」と言ひてありなん。

大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、

さばかりの才にはあらぬにやと聞え、

おのづから誤りもありぬべし。

「さだかにも辨へ知らず」など言ひたるは、

なほ、まことに、道の主とも覚えぬべし。

まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、

もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、

「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。

 
 一芸に秀でた老人がいて、

 「この人が死んだら、この事を誰に聞いたらよいものか」

 と、言われるまでの高みに達するならば、

 年寄り冥利に尽き、生きてきた甲斐もある。

 しかし、才能を持て余し続けたとしたらどうかといえば、

 一生を芸に費やしたようで、みみっちくも感じる。

 隠居して「呆けてしまった」と、とぼけていればよい。

 おおよそ詳しく知る事でも、べラベラと言い散らせば、

 小者にしか見えず、時には間違えることもあるだろう。

 「詳しくは知らないのです」とか何とか謙虚に言っておけば

 本物らしく、その道のオーソリティにも思われるものを……。

 ところが、何も知らないくせに、得意顔で出鱈目を話す人もいる。

 老人が言うことだけに、誰も反撃できず、

 聞く人が「嘘をつけ」と思いながらも

 耐えているのを見るときには、おぞましくさえある

 

  

    

          ◇


ゲームが複雑系なら研鑽に長い時間を費やさねばならず

その積み重ねによってのみ高みに達することができる。

なのに、歳を取った時に

ただ一つのことしかやってこなかった感じは

なんかつまらないなあ、と言っている。

兼好というヒトは、褒めたと思えば、これである。

「ああいえばこういう」

「こういえばああいう」

といった物言いが屁理屈のようであり、

しかしなお、いやそうではなく

深みを感じさせるときがある。

こういう風に巧みに視点を反転させるところが

希代のジャーナリスト、兼好の持ち味であろう。

 

 



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