【上達の極意 モノゴトは両面から観察せよ
~ 徒然草(吉田兼好)第百八十七段 の巻】
第百八十七段
よろづの道の人、たとひ不堪なりといへども、
堪能の非家の人にならぶ時、必ず勝る事は、
たゆみなく慎みて軽々しくせぬと、
ひとへに自由なるとの等しからぬなり。
芸能・所作のみにあらず、
大方のふるまひ・心づかひも、愚かにして慎めるは得の本なり。
巧みにしてほしきままなるは、失の本なり
あらゆる道の専門家は、たとえ未熟であっても、
巧みな専門外の素人と並んだ時、必ず勝っている。
たゆみなく慎重にことを進め軽々しく行わないのと、
ひたすら好き放題にやるのとは、
等しくないということである。
芸能や所作のみの話ではない。
大方のふるまい、心配りにおいても、
愚鈍であっても慎重にやるのは、成功の元である。
巧みでも、好き放題にやるのは、失敗の元である。
◇
上手なアマより、下手なプロが、よっぽどまし、
と、兼好は言っている。
器用に見えたとしても、素人のきまぐれは
いずれ墓穴を掘る、ということであるか。
しょせんアマだから、何をしても構わない
とばかり、いい加減な所作の「高段者」もいる。
まことに始末が悪い。
級位・低段の手本になるべきなのに、
カッコ悪いなあ、わたしは内心思う。
初二段や三段までに多いのだが、
「(上達は)これぐらいで十分……」とか
「いまさら、うまくなっても……」とか
諦めのことばを吐く御仁のおじゃる。
「教えておくれ」とおっしゃるから
指南もうしあげたのだから、
それはないであろう、人生の先輩。
人間は死ぬまで生きている!
だから遊びは真剣にいきゃれ、舐めてはならぬ!