囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

新京極の古刹①安産

2019年12月29日 | インドア・アウトドアにて

囲碁サロンに行く前にの巻】

 

2019年12月28日(土)午前

阪急京都河原町駅で降り

新京極の寺社をぶらりーー

 

 

■染殿地蔵(そめどのじぞう)

http://somedonoin.com/iware.html

 

新京極は明治になって出来た新しい通り

明治天皇が江戸城跡に居を移したことにより

東京への人口移動が始まり、京の都の衰退が顕著となった

そこで、三条通ー四条通間の寺の境内の一部を買収し、

大きな繁華街をこしらえよう、となったのである

それまでは、豊臣秀吉が都大改造を進めた際に

寺院を集めた一帯の大通り・寺町通がメインだった

寺町通は、平安京の東の端っこにあった「東京極大路」にあたる

千二百年の都は、東へ東へと新たな人の賑わいを移してきた、

というわけである

 

さて、四条通と新京極の交わるところに小堂がある

気を付けて見なければ、通り過ぎてしまうような入口

時宗開祖一遍上人念仏賦算遺跡」の石碑がある

中に入ってみると分かるが

四条通に面した商店「林万昌堂」の中を通っても

境内に出入りできる

つまり東側と南側に出入口がある

 

ビルの谷間にあって埋もれた境内は薄暗く、訪れる人も少ない

一堂の灯りのなかに、安産祈願の地蔵菩薩がたたずんでいる

 

かつて一帯に寺域を広げていた時宗四条派本寺・金蓮寺の一子院だった

商店、料亭、見世物小屋が建ち始めて境内の切り売りが頻繁となり

新しい繁華街・新京極が出来てからは寺運が一層傾いてしまった

地蔵をまつった塔頭・染殿院のみを残し

昭和初期に新天地として北区・鷹峯に移転している

 

 

一遍(いっぺん、1239~89年) 鎌倉中期の僧。時宗の開祖。延暦寺に入り、太宰府で法然の孫弟子聖達に浄土教を学ぶ。のち熊野に参籠し、霊験により一遍と号し、他力念仏を唱えた。衆生済度のため、民衆に踊り念仏を勧め、全国を遊行した。

 

 



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