囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

勝負師一代 vol.2

2019年11月07日 | ●○●○雑観の森


コンケイ熱筆「囲碁専門棋士の実態」――筆が滑ったの項の巻】  
 
 
 
■芥川賞作家、近藤啓太郎の筆は意外にも柔らかい。
熱過ぎる棋士伝「勝負師一代」の中で、
囲碁仲間で直木賞作家の江崎誠致の「石の鼓動」から、こんな話を引用していた。
孫引きになるが、ご容赦願いたい。
 
 
■舞台は、1964年の第三期名人戦。
読売新聞主催の旧名人戦、坂田栄男三冠 VS 藤沢秀行九段。
坂田の連覇か、藤沢の返り咲きか。
注目の大一番である。
ここは、坂田が4-1で連覇した。
 
 
 
坂田が、相手に四線をはわせるという碁の法にない打ち回しや、
自分の白石を真っ二つに黒に突っ切らせるという奇策で、
第一局を押し切った。

翌朝の読売新聞は、次のような見出しで坂田勝利を報じた。

<坂田まず一勝>


これに藤沢が怒った。
 
彼はさっそく新聞社に電話を入れ、<まず一勝>とは何事かと文句をつけた。
藤沢にしてみれば、新聞社は坂田が勝つものと決めてかかっているので、
<まず一勝>にしたのだろうというわけだ。
真剣勝負に取り組んだばかりの第1局で、
こんな見出しをつけられては、我慢がならなかったのである。


■場面は変わって、コンケイ節が炸裂する。

「坂田は碁は強いが、人格が悪くて、駄目だ」

そのような批判をする人が少なくなかったが、私(近藤)はそうは思わなかった。
碁の弱い人格者など、棋士として何の価値もない。
切れ味鋭い天才的な碁を打つ坂田こそ棋士としての魅力がある。
坂田は天才的、個性的な棋士である故に、常軌を逸する傾向が強いであろう。
「天才と狂人は紙一重」であり、その感情的性向を凡人の常識で律することは見当はずれといってもよい。
 
(中略)
 
世の人格者と言われる人のほとんどが老人である点を見ても、
それは気力体力の衰弱による「止む負えざる品行方正」としか思えない。
青年の中に行いすました人格者がいるとすれば、
そのほとんどは人生に対して消極的な臆病者であろう。
積極的な求道者、人格者がいないわけではないが、稀有の現象と言ってよい。
日本人にはとかく、PTA的発言をする者が多いが、
島国根性であり、やっかみ根性であろう。

ろくな仕事をしない者に限って、
人の仕事に敬意を払うことは忘れ、その私生活をあげつらう傾向が強いようである。
 
世の批判を頭に置いて、坂田は私(コンケイ)に対してこう言ったことがある。

「藤沢秀行の競輪狂をとやかく言う人がいるけど、あたしはあれはあれでいいと思ってるんだ。秀行が競輪をやめちゃったら、碁も駄目になっちゃうよ」


■小説家とプロ棋士の二人は盤前、盤外を問わず、激しく火花を散らした。
だが、深いところで認め合い、憎み、愛し合っていた。
 
後日談一つ。

坂田は防衛した後、第4期に23歳の林海峰の挑戦を受ける。

予想は坂田が圧倒的有利。
七番勝負の初戦に勝った後、
「大坂田」から「20代の名人などありえない」の発言が飛び出す。

だが、林は盛り返して4勝2敗で名人位を奪い、大反響を巻き起こす。
林は68年に名人本因坊となり、坂田一強時代はここに終焉した。

 

と、ここで、以下の話を覚えておいてほしい。
次回投稿の伏線になっているためである。

 
坂田は高川の時と違って、藤沢に対しては敵意をむき出しにした。
藤沢もまた、坂田に対して激しい敵意を示した。
と言うことは、お互い当代の好敵手と認め合っていた証拠に他ならない。

藤沢と親しい棋士が囲碁雑誌に観戦記を書いたが、
それを読んだ坂田は大変に怒った。
「こういうことを書きやがるんだ」
と坂田は憤りのこもった目で私(コンケイ)を見守って言った。

「藤沢は勝負の終わった後、サラリとした気分で呑気に酒なんか飲んで騒ぐのに反して、坂田は碁の分からない旅館の女中をつかまえて、ひと晩中、泣き言を繰り返していたなんて、嘘っぱちを書きやがるんだ。あたしが女中相手に泣き言なんか言うものか。馬鹿にしてやがる。卑怯な奴らだ。藤沢の奴……!」

「だけど、藤沢が書いたんじゃないだろう?」

そう私(コンケイ)は言ったが、
坂田は返事をせず、一層怒りを凝らした目の色を示した。
どうやら、坂田は藤沢の差し金による記事だと思い込んでいるらしかった。


さて、第三期名人戦(旧名人戦)の時、
私に限らず坂田と親しい者の観戦は最初から断られた。

「みっともない話さ」と坂田は私へ言った。
 
「あたしと親しい玄人の観戦を断るなら分かるが、素人の観戦を断るとは。一体どんな気でいるんだい。藤沢もそう神経質じゃ、お話にならないや。あたしなんか、藤沢の応援が何人来ようと平気さ。第一、観戦を断るなんて、碁のためによくないよ。どんな勝負にも、見物はつきものなんだからね。なるべく大勢の人に見てもらって、碁の人気を高めなきゃあ、いけないんじゃないか」





名人 最高技能棋士に対する敬称。織田信長が一世本因坊算砂に対し「そちは、まことの名人なり」とほめたたえたことに由来するとされる。江戸期は、幕府の家元制度で碁界統括者「名人碁所」として確立。空席時は、本因坊家が碁家・将棋家のとりまとめ役を務めた。「九段=名人」を意味し、天下にただ一人と決まっていた。明治維新後は紆余曲折を経て、毎日新聞主催の本因坊戦など新たな棋戦の時代へ。将棋界では名人戦が創設されて人気を博し、囲碁でも同様棋戦が期待された。坂口安吾の「碁にも名人戦つくれ」(1949年毎日新聞)などの論評が新聞紙面を賑わせた。1961年に読売新聞主催(旧名人戦)で始まり、1976年からは朝日新聞社主催(新名人戦)で開催されている。


(つづく) 

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