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ふんばろう宮城プロジェクト

東日本大震災から発足した「ふんばろう東日本支援プロジェクト」公認団体として2013年4月から活動する復興支援プロジェクト

ふんばろうサポータークラブ通信 vol.13進呈します

2016-12-27 19:56:29 | お知らせ
 ふんばろう東日本支援プロジェクトの支援金(ふんばろうサポーターズクラブ会員からの寄付など)を管理してきた一般社団法人ふんばろう支援基金が今年9月に解散し、清算作業もほぼ完了したとの連絡を受けました。今月発行の「ふんばろうサポーターズクラブ通信vol.13」(最終号)に会計報告の詳細が報告されています。
 また、最終号には「被災地の今 インタビュー」という特集が組まれ、工藤賀子編集長たちがふんばろうの活動を通じて出会った8人の被災者を取材し、大震災から5年9カ月間のエピソード、そして今の暮らし、今後の展望などが掲載されています。
 

 冊数に限りがありますが、ご希望の方に「ふんばろうサポーターズクラブ通信vol.13」(最終号)を進呈します。下記のメールアドレスへ、お名前、ご住所、電話番号、ふんばろう宮城プロジェクトの活動へのご意見などをお送りください。
サポクラ通信ご希望の方はこちらのアドレスへ → koseki.k@gmail.com

 web版でも同じ内容のものを発信していますが、「手元に残しておきたい」という方はぜひ、ご連絡ください。(こせきかつや)
ふんばろうサポータークラブ通信 vol.13 WEB版
http://wallpaper.fumbaro.org/supporter/tsushin_web/vol.13

一般社団法人ふんばろう支援基金からの報告
 皆様、こんにちは。(社)ふんばろう支援基金の会計を担当しております漆間です。
 かねてお知らせしておりましたように、(社)ふんばろう支援基金は本年9月の臨時社員総会の決議を踏まえ、2016年9月末に解散いたしました。ここに第2期(最終決算期)の決算内容とともに、本年末を目標に清算作業に入っておりますことをご報告いたします。
 2011年5月の任意団体ふんばろう東日本支援プロジェクト設立以来、約5年半に亘り皆様より私共の活動に頂いた温かいご支援に対して、改めて厚く御礼を申し上げます。
1. (社)ふんばろう支援基金の第2期決算(最終期決算)の概要
○ 今期初の繰越収支(支援金残高+切手等) 約2,565万円の中から、各団体より提出された予算内容を慎重に審査の上、各団体・サークル等に対して2,030万円を支援金として配布いたしました。このうち大口の支援金支出先としては、12先に1,365万円、また、各団体の代表者により推薦のあったサークル・グループなど16先に対しては総額665万円、1先当たり20万円〜50万円程度のきめ細かい支援金を配布しております。さらに、4月に発生した熊本地震に際してブルーシートなどの緊急支援(総額150万円)を行いました。なお支援先の詳細なリストはHPに掲載しております。
○ この間、本部経費としては、事務所賃借料を早稲田大学に対し122万円を支払ったほか、管理費(サーバー管理費等)・支払手数料等を支出しております。
○ この結果、2016年9月末現在の正味財産額は、銀行預金137万円、貯蔵品(切手残高)134万円など、総額303万円となりました。
2. 清算作業の状況について
○ (社)ふんばろう支援基金の清算については、現在、解散及び清算人登記を完了し、10月31日付官報にて公告中です。これと並行して高木税理士事務所の方で清算に伴う経理作業を進めていただいております。最終的な残余財産額は確定しておりませんが、約60万円の現金と130万円弱の切手が、9月末の臨時総会の決議に従い、(社)スマートサバイバープロジェクト(SSPJ)に贈与されることになる見込みです。なお、清算作業の完了次第、再度の臨時総会を経て正式に社団の解散手続きが完了することとなります。
○ 最終的な残余財産額が確定し、清算作業が完了いたしましたら、(社)ふんばろう支援基金のホームページにてご報告をさせていただきます。なお当社団のホームページは清算後も2017年末までは公開を継続いたします。

ふんばろうの支援スタイルに共感・熊谷真実さんの支援は続く

2016-12-24 13:13:33 | 活動報告
 ふんばろう宮城プロジェクトの前身「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が、日本最大級のボランティア組織へと広がった背景には、支援者からの寄付や物資支援の行き先が明快で、被災者と支援者を直接結びつける取り組みが多くの方に信頼されたのだと思っています。

 現地のボランティアは被災者のニーズを選別しながら1件1件、避難所、在宅被災者宅を回って専用サイトへ必要な日用品を必要な個数だけアップし、支援者が直接被災された方の住所へ支援物資を送る。ふんばろうのメンバーは常に黒子に徹し、「支援者」の善意を預かって「届け役」に徹すること。このような支援スタイルに共感して、いまだに支援を続けてくれる方も少なくありません。
 
 女優・熊谷真実さんもその一人。彼女を県内の被災沿岸部へ案内したのは2011年11月のことでした。南三陸町や石巻市内の被災者された方へ支援物資を配るため、一緒に仮設住宅を数カ所回りました。旧大川小学校跡地にもお連れしました。「私にできることを続けます」と、その年から大川小の在校生へクリスマスプレゼントを送ってくれるようになりました。そしていまも、真実さんの支援は続いています。

 今年は(12/19)演歌歌手の華かほりさんと一緒に南三陸町にある町立保育所とあさひ幼稚園を訪問しました。一人ひとりの園児にクリスマスプレゼントを手渡し、ハイタッチをする真実さんとかほりさん。園児たちからは、お返しにと「ありがとう」のメッセージカードと歌のプレゼント(ありがとうの花)もありました。
 
 午後からは、旧大川小学校跡地(石巻市)で犠牲になった人たちに手を合わせ、同市の仮設住宅:大森第3団地(平成30年4月閉鎖予定)を慰問し、集まってくれた住民の方々とカラオケ大会で盛り上がりました。一緒にマイクを握り、写真撮影の要望にも笑顔で答える真実さんとかほりさん。被災地に向ける優しい心遣いに感謝です。(こせきかつや)

石巻エリアで開催された2つの秋祭り

2016-12-23 17:43:15 | 活動報告
 報告するのがだいぶ遅くなりましたが、今年も石巻地区で2つの地域イベントのお手伝いをしてきました。

 ふんばろう宮城プロジェクトでは、被災エリアの地域コミュニティ活性化を目的に秋祭りなどのイベントで「焼きそば」などを安価で提供し、その売上金をすべて主催する地域の自治会へ寄付しています。ふんばろう支援基金から提供を受けた支援金で食材を購入しますが、人件費などは発生させず、食材以外の費用はふんばろう宮城PJメンバーの協力で賄っています。

▽感謝の手紙を読むと「よし!また来年も」
 今年で6回目の開催となった石巻市鹿妻南地区の自治会が主催する「大お茶っこのみ会vol.6」が9月11日、鹿妻南コミュニティハウスで開催されました。
 震災直後から、ふんばろう東日本支援プロジェクトの支援物資の受け入れの拠点として協力をしてくれた西村しげさんとのご縁もあり、私たちも2年目から参加しています。
 今年は、新潟の悠久太鼓やエイサー石巻による沖縄の演舞など、ステージでの余興も素晴らしく、地域の皆さんから歓喜がわきました。

 ふんばろう宮城PJではフランクフルトと焼きとうもろこしを提供。何とかメンバー4人(オヤジーズ・カルテット)で完売しました。

 イベントが終わると西村さんから感謝の手紙が届きます。手紙をいただくのも5回目。手伝う側はこの手紙を読んで「よし!また来年も」と思うのです。

▽若手のチャレンジがお祭りの原動力に
 渡波西部地区秋祭りにもうかがいました。祭り当日(9月19日)はあいにくの雨模様でしたが、ふんばろう宮城PJの〝鉄板″焼きそばと焼き鳥を各300人分拵えました。

 渡波地区は商業施設の開設が進む一方、歴史的に地域イベントが盛んなエリアです。しかし、震災後すぐはなかなか歴史的なお祭りも再開できずにいたようです。そのあと押しをしたのが地元の若手たち。「伝統的な祭りを再開させる原動力は散り散りになった人たちを集めること」。5年前からはじまったイベントはカラオケ大会と抽選会が主な内容でしたが、回を重ねるごとに地域の人たちが、一人ひとりと携わり来場者も増えてきました。昨年から渡波エリアのほかの地区も独自に祭りを催すなど、地域ごとに動き出している様子がうかがえます。

 焼きそば完売後に手伝ってくれたふんばろう宮城PJメンバー全員でミニSLに試乗させていただきました。年甲斐もなく大はしゃぎする仲間の顔はとても輝いていました。(こせきかつや)

震災後2年間、学習支援に通った牡鹿を訪ねる

2016-09-22 17:59:01 | 東日本大震災
シリーズ「宮城・沿岸部探訪 被災地のいま―牡鹿半島編」
 
三陸海岸の最南端に位置する牡鹿半島は、リアス式海岸の独特な地形による豊かな自然をたたえた土地です。石巻市の中心部から、車でアップダウンの激しい道を越えて行く牡鹿半島の鮎川浜は、昔から鯨漁を中心とする漁師町として栄えてきました。
 ふんばろう宮城プロジェクトのメンバーは、津波の被害を受けた石巻市立牡鹿中学校への学習支援のため、震災後2年間にわたり牡鹿へ足を運んでいました。当時は被災したまま撤去されない建物など、震災の爪痕が生々しく残っていた牡鹿半島の「いま」を訪ねました。
 
 牡鹿半島の海岸沿いは地震による地盤沈下が起こり、震災直後は、風の強い日に車が波をかぶるほどでした。現在は土嚢が積まれています。
 歩くと砂が音を立てることで有名だった十八鳴(くぐなり)浜も、現在は沈下によりすっかり砂浜がなくなってしまいました。これから防潮堤を築くための工事が行われるところです。過去の風景の面影が消えてしまうのは寂しいような気もします。
  
 
 残念ながら今回は中学校には訪問できなかったのですが、支援活動の際によく昼食を食べに立ち寄らせていただいていた、復興商店街「おしかのれん街」の中のお店のご主人にお話をうかがいました。
 「ようやく復興住宅ができて、少しずつ仮設住宅の人が移転しはじめた」とのお話でした。牡鹿半島は高低差の激しい土地で平地が少ないため、戸数の少ない仮設住宅が島に点在しており、遠くの仮設からスクールバスで中学校へ通う生徒もいました。復興住宅への移転は安定した生活の第一歩であり、うれしいことですね。
 一方で、仮設商店街も6メートルかさ上げした土地に新しく作り替えられる計画だそうですが、その計画が2年も遅れているということでした。5年半前に失われた店舗の再建を心待ちにしている商店街の皆さんの思いが、一日も早く叶えられることを願います。
 
 
 おしかのれん街の近くには「石巻復興まちづくり情報交流館」という建物がオープン。ちょうど私たちが行った時には、捕鯨で賑わっていた頃の牡鹿の様子を伝える写真が展示されていました。だんだんと震災以前の風景の面影が薄れる中、昔の様子を知ることができる場所はとても貴重です。
 
 
 少しずつ復興の歩みを進める牡鹿半島。鮎川からは、奥州三大霊場の金華山や、猫の島として有名な田代島、美しい浜辺で海水浴が楽しめる網地島などへの船も出ています。また、商店街の再開にあわせ、運営休止中であったミュージアム「おしかホエールランド」もオープン予定とのことです。鯨をはじめとする美味しい海産物と自然の美しさに癒されに来てみませんか?(文・中島由美)

宮城・沿岸部探訪「被災地のいま」スタートします

2016-08-28 07:59:40 | 東日本大震災
 東日本大震災から5年半(8/30で2000日)が過ぎようとしています。

 甚大な被害を受けた宮城県沿岸部では、さまざまな形で復旧・復興に向かって前進しています。私たち、ふんばろう宮城プロジェクトもふんばろうサポーターズクラブの皆さんをはじめ、本当に多くの方々からのご支援をいただきながら、支援活動に取り組んできました。

 しかし、5年が過ぎて宮城の沿岸部が「いま」どうなっているのか―。どのように復興したのか、していないのかを考えています。
 ご支援をいただいた方々に対して発信するボランティアの数も減り、マスメディアでの扱いも5年を過ぎ、少なくなっていると感じます。他方、物資支援など緊急性の高い支援活動が縮小するに伴い、活動をしていた私たちも、「あの時は毎週のように足を運んでいたけれど、実は『いま』の様子についてはあまり知らない」ということに感慨を深くしています。

 そこで、宮城の「いま」について、あらためて現地に足を運んで復興の度合いを肌で感じ、被災された方々の話を聞き、多くのご支援をいただいた方々に発信していこうと思っています。私たちの視点で綴ってまいりますのでご一読いただけたら幸いです。

シリーズ「宮城・沿岸部探訪 被災地のいま―気仙沼編」
 「フカヒレの産地」として有名な宮城県気仙沼市は、カツオの水揚げ19年連続日本一を誇る水産業が盛んな港町。震災直後、一晩中「火の海」と化した気仙沼は水産業が活気を取り戻しているものの、そこで暮らす人々は防潮堤の建設計画など行政主導の復興計画をどのように捉え、これからの町づくりに何を期待しているのか。気仙沼みなとまつりに沸く8月7日、同市を訪ねた。
▽復興公営住宅の建設はまだこれから
 気仙沼港を目指して車を進める。すれ違うダンプカーがけたたましく砂埃をあげる。車窓から見える真新しい復興公営住宅だけを見れば、町が再生していく息吹を感じるものの、新しい町づくりの全容はまったくイメージできない。やっと区画整理が終えて「これから」という段階のように映る。
 南気仙沼地区の区画整理事業は、復興公営住宅は数棟完成しているものの空き室も目立つ。個人の住宅再建はまだ手付かずで、掲げられた「将来のまちなみイメージ図」の1割程度しか進んでいないように感じた。






▽自然環境を守って、防災・減災に取り組むべき
 気仙沼市本吉町前浜に住む佐藤俊夫さん(63)に話を聞いた。佐藤さんの自宅は海抜16mにあるが、津波で1階天井まで浸水した。109世帯あった前浜地区は佐藤さんの自宅海側の約30世帯が流出。現在も危険区域に指定されている。
 佐藤さんたちは気仙沼市が進める高さ9・8mの防潮堤計画よりも道路の10mへのかさ上げなどを訴える。当初計画ありきの行政側の姿勢に「地域住民とのギャップがありすぎる」と疑問を呈す。

 「目に見えるところは(復興が)進んでいるけれど、そうでないところとの格差が広がっている。まだプレハブ仮設住宅に住む人も少なくないしね」と佐藤さん。前浜地区は住民同士の団結が強い地域だったが、震災後は若者らが地区外に流出し、絆が弱まってきていることを危惧していた。しかし、支援団体などが足を運び、新たな人とのつながりが増えて大きな励みになったという。前浜地区に残っている人たちの多くは(支援してもらった方々に)恩返しがしたいという気持ちが心の支えにもなっていると実感した。
 佐藤さんたちは、目白大社会学部専任講師・廣重剛史氏や早稲田大学ボランティアセンターの協力を得ながら、危険区域の土地を借り上げて「椿の森プロジェクト」に取り組んでいる。「津波に負けない前浜地区の椿を植樹して、灰色のコンクリートの壁に囲まれた津波防災ではなく、風光明媚な三陸の自然を生かした津波減災」というコンセプトが佐藤さんたちの心に響いた。椿の種の採取から育苗、植樹までの工程を学生ボランティアが担うこのプロジェクトはこれからも続く。

 最後に佐藤さんは「自然と共存共栄しながらこの地域で生活してきた。防潮堤は自然を壊してしまう。アワビやウニが採れる豊かな海(磯場)を守って行きたい」と語ってくれた。

▽SNSを駆使し、若い世代でのまちづくりをけん引
 「20代がきてます!」と熱く語る小山裕隆さん(38)に話を聞いた。被災を機に若い世代でまちづくりをしよう―との雰囲気が出てきたと語る小山さんは、いわば気仙沼の若手リーダー的存在だ。県外からの移住者の影響か、気仙沼は20代の人口が微増しているという。
 自ら営む菓子店は130年続く老舗で小山さんは5代目。店は津波で浸水した。
 気仙沼の若者たちは行政側が進める復興計画をどのように見ているのか。よいところを聞くと「大きく失敗していないところ」と笑いながら答えてくれたが、舌鋒は鋭い。「沿岸部の区画整理が進んでいないが、鹿折地区や南気仙沼地区に住んでいた被災者へのアンケートでは、帰る予定の人が10%だった。計画されている復興公営住宅のうち、2棟分は空き家になると分かっているのになぜ建てるのか理解に苦しむこともある」と語る。補助金を使って繰り広げられる復興計画には多くの疑問も投げかけられているようだ。

 行政側と意見交換する機会はないのかを問うと、「既にまちづくりの議論は終わっている。気仙沼市民の7割は水産業に関わって生活している。その地域性を生かして水産、観光業を資源にするとの方向は一致している」という。観光センターの再構築や気仙沼の魅力を伝えるツアーを「ば!ば!ば!プロジェクト」を立ち上げ、定期的に実施している。
 小山さんを中心とした若手の活躍が、今後の気仙沼のまちづくりに大きく影響してくるだろう。応援していきたい。(文:こせきかつや)
 
▽気仙沼市震災復興サイト
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1375178463618/
▽気仙沼市被害の状況
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1300452011135/