ふんばろう宮城プロジェクト

東日本大震災から発足した「ふんばろう東日本支援プロジェクト」公認団体として2013年4月から活動する復興支援プロジェクト

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ボランティアとしての学びと、自身のケアの助けに/悲嘆講座を受けて

2012-12-25 08:12:54 | 活動報告
 仙台グリーフケア研究会・JDGSプロジェクト主催による5回連続の「悲嘆講座」に参加しました。
 会場の仙台市シルバーセンターを会場に行われた講座は9月から始まり、職場から急いで駆けつけたと思える人たちが毎回、熱心に聞き入る講座となりました。

 演台には、初日の講師である高橋聡美さんがスタンバイしています。高橋さんはツイッターで積極的に情報発信している方で、NHK「クローズアップ現代」でも震災遺児への支援を訴えるなど、震災後の子どもたちの心のケアをされてきました。「悲嘆(グリーフ)の基礎知識〜支援の前に押さえておきたいこと〜」というタイトルでした。
 私は入り口まで行ったのですが、急用があり受講することができませんでした(残念)。でも、ふんばろうの他のメンバーがしっかり受講していました。以下、印象に残った主な講座の概要について簡単に紹介させていただきます。

 10月は「遺族のグループサポートの方法とそのコツ」と題する、龍谷短大の黒川雅代子さんのお話を伺いました。黒川先生は、阪神淡路大震災のころから、遺族会を運営し活動してこられた方です。「17年間やって『うまくいったな』と思えることは一回もない」というお話を伺いましたが、どのように配慮を尽くしてもゴールがない大変な活動のように感じました。
 大空を群れになってVの字に飛ぶ渡り鳥の写真を示しながら聞いた話がとても印象に残りました。この形は空気抵抗が少ない効率的な飛び方ではあるのですが「いつも先頭を飛び続けるのはしんどい。時々交代をしながら行うことが大切だと思います」という言葉に、遺族会を引っ張ってこられたご苦労を感じました。また組織で活動している人に対するメッセージのように響きました。

 11月は「遺族が医療機関を利用する時〜心療内科医の経験から〜」と題する神戸赤十字病院の村上典子さんのお話でしたが、悲嘆反応のプロセス、ご遺族の心情を理解するうえで中身の濃い内容でした。
 中でも強く感じたのは、言葉の持つ力についてです。怒りであったり自分を責めたり、悲しんだり受け入れたり…遺された人たちは自分なりの「喪の作業」を行う中で、最後に「ある種の納得」に至るのだそうです。自分が語ることで「心におちる」と。気持ちを言葉に表現していくことが、どれほど重要かと思いました。そうなるまでには長い時間がかかるのだろうと思いますが…。

 12月は「支援者の共感性疲労への対処〜長期の支援に役立つスキル〜」として甲南女子大の瀬藤乃理子さんのお話です。始まってすぐ「あれ?」と思いました。9月から毎回司会進行されていた人が瀬藤さんご本人だったのです。
 兵庫の瀬藤さんは東日本大震災のあと、岩沼市に半年間滞在し被災者ケアをされてきた方です。心なしか、いつもの司会の時よりも声が震え、まるで涙声のように聞こえます。自己紹介の中で、中学時代の悲しい体験、グリーフサポートを志すようになったきっかけを話され、ご自身の心の琴線に触れたからかも知れません。被災した方が被災者支援を行うと、自分も揺さぶられてしまう。支援者と被支援者は一定の距離を意識的に保つ必要があるそうです。そして支援者のセルフケアは欠かせません。
 ワークショップの中で教わった丹田呼吸をここで紹介します。丹田に意識を置き、鼻から息を吸い、口から吐く。気のめぐりがよくなりお腹があたたかくなるそうです。不安でたまらない時、試してみてください(ボランティアにも実践してもらいたいメソッドです)。
 自らバーンアウト体験を話す瀬藤さんのセルフケアは、とても説得力がありました。マインドフルネスは「今、ここ」の自分に集中し感情を止めてコントロールする方法です。考え事をしないということが大切なのだと気づきました。大好きなことに没頭したり、気分転換したりできること、もう皆さんなさっていますよね。

 私は、震災の起こる数日前に父を亡くし、葬儀をすませた後の実家で震災に遭いました。早く宮城に帰って何かしなければ、と当時は気持ちばかりが焦り無力感を感じていましたが、縁あってふんばろう東日本支援プロジェクトの活動に参加させていただくようになりました。とてもありがたく思っています。まだ回数は少ないですが、現地の人たちとの交流はかけがえのない体験です。
 ただ、ここまで夢中で過ごし自分の「悲嘆」と充分向き合うことができたかどうかわかりません。ですから今回の講座にはボランティアとしての学びと、自身のケアの助けにしたいという思いで参加しました。いつか学んだことが役立つように、と思います。(駒場利江子)

***
悲嘆(グリーフ)とは
 大切な誰かを失うことは、苦痛に満ちた出来事であり、人生最大の試練とも言われています。失って初めて、人は死別や喪失がこれほどつらく、悲しいものだと実感することが多いものです。
 重大な喪失のあとには、悲しみ以外にも、怒りや罪責感、落ち込みなど、あらゆる種類の思いもよらない感情に苦しめられます。また不眠や極度の疲労感など、身体にもさまざまな症状が出現します。これらの症状は悲嘆反応と呼ばれますが、時には永遠に続くのではないかと思うほど強く、その人の人生や生活そのものを圧倒することがあります。
 悲嘆反応は非常に個人差があるものですが、一方で、多くの人に共通して見られるものもあります。あらかじめご遺族自身がそれを知っておくことで、悲しみに対処する際に役立つことが多いと言われています。
 また支援者の人にとっても、大切な人を失った悲しみを理解しておくことで、ご遺族の置かれている状況やニーズ、抱えている問題を早く察知し、より適切に対応できるようになると言われています。(JDGSプロジェクトHPより引用)
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味噌がつないだ三重と宮城の仲間の『絆』

2012-12-23 12:47:32 | 活動報告

 遠く三重県から、心のこもった味噌を南三陸町の皆さんへお届けしてきました!

(左から、小関勝也さん、筆者の祖父毋、ゆうき農園の森友喜さん)

 今回の被災地視察は、ふんばろう宮城支部長の小関さんにガイド役をお願いして、三重県からいらした森さんに東京在住の筆者(久保久美)がお伴する形で、石巻、女川、南三陸町を訪問してきました。

 森さんは三重県いなべ市で有機農法を取り入れた「ゆうき農園」を営んでいます。震災後、被災地の方々のために何かしたいとの思いから、「宮城白目」という大豆を取り寄せ、ゆうき農園で定期的に開催される「農業体験教室」を通じて苗を育てるところから味噌作りまで行いました。教室に参加者された方々の気持ちを被災地の皆さんに伝えられないかと、出来上がった味噌を南三陸町の仮設住宅で過ごされている方へ届けようと企画されました。

 視察した12月9日は、前の晩に降った雪が残る悪路の移動でした。まず石巻市内をまわり門脇小学校へ。津波と火災、二重の被害の跡がそのまま残っていて、その惨状に心が痛みました。大川小学校へ着く頃には寒さも増していましたが、たくさんの方々が亡くなられた子どもたちを思いお参りをされていました。

 森さんは東北を訪れるのが初めてとのことで、牡蠣を楽しみにされていました。小関さんの案内で、石巻渡波の牡蠣小屋で昼食。

(地元、万石浦の牡蠣はふっくらジューシーで絶品でした)

 三陸の海沿いを通って南三陸町へ。7日に大きな地震があったばかりで心配していましたが、漁業などへの被害は無いようで安心しました。
 筆者の祖父毋は古くから南三陸町(志津川)で鉄工関係の会社を営んでいて、今回の震災で大きな被害を受けました。自宅はまだ水に浸かったままです。祖父母が避難しているベイサイドアリーナ隣りの仮設住宅には40世帯の方々が入居されており、三重からの味噌を子どもたちからのクリスマスカードと一緒に一軒ずつ手渡しをしてきました。皆さん「寒いのに遠くからありがとう!」と笑顔で受け取ってくださり、三重の皆さんの気持ちもきちんとお届けすることができました。味の評判も上々で、本当によかったです。

(1軒ずつ訪問して味噌とメッセージカードを手渡しする森さん)

 震災後、「絆」の大切さが注目されていますが、私もその大切さを実感しています。森さんとお会いするのは今回が二回目でしたが、私の高校時代の友人が三重へ嫁ぎ、森さんのゆうき農園で農業体験教室に参加したのがご縁で今回の支援が実現できました。筆者の母方の親戚が南三陸町に多いこともあり、震災後は支援の大切さ、ありがたみについても日々考えさせられます。大切なのは普段から多くの人とつながっていること。皆さんに助けられ、今年94歳、89歳になる祖父毋も元気でいます。

 南三陸町へ行かれた際は、「ここへ回っていがいん」と祖父母が言っていますので、ぜひどうぞ!(久保久美)

(外道荘から見た袖浜の景色)
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