311なので、何か書こうかと。
もうあれから11年もたつんですね。
その一年前に東京から地元東北に戻り家業を継ぎました。
12年前はと言いますと、リーマンショックの影響で5年勤めた派遣会社を退職。
激しく傾いた家業を継いで一年、やる気もなくなり若干引きこもりがちになりつつ翌年、3月11日。
仕事をする気も起きず午後までだらだらと寝ていると突然の大きな揺れ。
本棚が崩れ漫画本に埋もれた。
裸足で部屋を飛び出し庭で久しぶりに母と顔を合わせる。
比較的地震の多い地域だったのでこのときはそれほど深刻な事態だとは思わなかった。
電気もとまり、今晩の飯はどーしよーなんて気軽に考えていたが、夕方になり
「荒浜に数百から数千の遺体」
携帯のワンセグから聞こえてきた情報で大変なことになっているのを知った。
それからは、とりあえず状況確認と仕事の取引先をまわったり、たまたま経営していた精米所のメンテナンスをしたり、それまでの引きこもりの状況からは考えられない程動いた。
たまたま変電所の近くに精米所を置いていたのですぐに電気が復旧した精米所は昼夜問わず長蛇の列だったので米ぬかまみれで機械が止まらないように動かし続けた。
震災から数日、海沿いの取引先に向かった時に津波の甚大な被害を目の当たりにした。
それからは、大手企業からの復興支援の仕事をもらったり、地元で大きな組合を作って震災関連の仕事をしたりで傾いた家業をなんとか建て直した。
365日ろくに休みもなく働いて仮眠と仕事の繰り返しで子供も無事大学まで卒業させることができた。会社の借金も清算した。
そして去年。
家業を閉業した。
自営業の神のような父も亡くなった。
気がついたら11年。
もう今年46歳ですよ。
今、シニスは主に便所掃除してる。
パートの仕事で。
時給900円で。
会社経営者から一転便所掃除の人。
でも今の生活嫌いじゃない。
24時間仕事の心配ばかりだったこの10年間より、決まった時間にゆるい仕事で月の最低限の収入を得ながら、一応自分で通販の自営もしててそちらは自分のやりかた次第。
ただ思うのは忙がしく生きすぎてこの10年が早すぎた。
もっとなんとかならなかったのだろうかとか、気がついたらこの歳になってたとか。
父が亡くなり、親がいなくなることへの不安とか。親が築いた物を残していけるのかとか。
ま。足掻いても、考えてもどーにもならないと、ある程度前向きに諦めて生きるしかないのよね。
震災で気がついたのは、別に自分の未来が暗いなんて決まってないし、死ぬ瞬間まで何が起きるかわからないし、棚ぼただってフツーにあるし。
努力をしなくても得るものはあるし、努力しても得られないものはあるし。
死ぬまで生きればいいだけだよ、人生なんて。
人生の後悔なんて死の間際に
あ、失敗だった(笑)来世に期待
とかそんなんでいいんじゃねーかな。