みなさん、こんにちは(^O^)ノ゛
先月の26日に緊急強制送還されて以来、自宅で療養していたピヨ太郎でしたが、一昨日25日、無事に学校に戻る事が出来ました。
みなさんから、応援や励ましのコメント・メール・電話を頂き、大変勇気&元気付けられました。
本当に本当に…ありがとうございましたm(_ _)m
戻って来た当初は、湿疹が酷く、痒さと痛さを耐えるだけでも大変そうでした。
初めの一週間、ピヨ太郎は、夜中の2~4時頃になると『夜泣き』をしました。たった15~20程の短い間なのですが、そんな時間でも、ピヨ太郎の姿を見ると長く長く感じるのでした。
「いつになれば楽になれるのぉぉ~っ!」
火傷を負った様に皮膚の表面が爛れ、ジクジクと体液が流れ落ちている…そこがまた強烈に痒く、そして乾燥(当地の冬は、著しく湿度が低いのです)の為の痛みもあり、発作の様に起こる掻きむしりたい衝動との戦いは、泣き叫ばずにはいられない辛さだったのでしょう。
「ママ、私の手を握ってて!掻かないように、強くギューッと掴んでてっ!」
それは、とても17歳のお年頃な女性とは思えない姿。
それがあまりにも気の毒で、声を殺して泣いた日もありました。
お腹を痛めて生んだ子が、こんなに辛い状況にあるというのに、私に出来ることは、本当に限られた少しの事だけ…出来ることなら代わってやりたいのに、そうすることも出来ず、情けなさと辛さと悲しさとで身も心もいっぱいでした。
「絶対、きれいな肌に戻るから。」
主治医の先生やスタッフのみなさんは、ピヨ太郎や私達家族を一生懸命励まし、親身になって対応して下さいました。ピヨ太郎の様子を我が子の事の様に見守っていて下さり、私達家族と同じように、ピヨ太郎の小さな変化に一喜一憂していらっしゃいました。
この1ヶ月、私はピヨ太郎に『命の明日への欲望』を見せられました。
あんなに酷い状態なのに、身体は命を明日へと繋ごうとしていました。
ピヨ太郎本人が、どんなに絶望しても、どんなに泣いても、どんなに叫んでも、それとはまた別の、本人が全く意識しないところで、静かに静かに明日への準備を続けていたのです。
少しずつ再生しようとするピヨ太郎の身体は、本当に強かで逞しく、驚くほどパワフルでした。
一分一秒無駄にせず、着々と快方に向かう様子は、本当に凄かったです。
残念な事に、途中、花粉に負けて、ジクジクな状態に戻ったりもしましたが、それも3~4日もあれば落ち着き、とうとう主治医の先生から、
「ここまでになれば、もう学校に戻っても大丈夫!!」
と許可を頂けたのでした。
長い1ヶ月間でしたが、辛い事悲しい事ばかりではありません。
本来なら、この時期は学校にいて自宅にはいないはずのピヨ太郎がいたので、今年は豆まきも一緒に出来たし、雛人形も姉妹で飾り付けすることが出来ました♪
ピヨ助は、しばらくピヨ太郎とお雛様を飾り付けすることが出来ないと諦めていたので、一緒に出来た事が嬉しかった様でした。
そんなこんなで、今日。
この1ヶ月で溜め込んだ疲れと凝りを取りに、先月お世話になった鍼灸院へ行って来ました。
先生は私を見るなり、
「あらら…こんなになるまで疲れる事、何があったの?」
「身体は正直だからね。」
と…(笑)。
25日、ピヨ太郎が学校へと向かった家の中は、何だかシーンとしていました。
いつもの様に掃除機をかけながら、ピヨ太郎が毎日何度も塗っていたローション(急激な乾燥を防止する為に使用)を忘れて行ったのを見た途端、私の目は涙が込み上げてきて、ウルウルといっぱいになりました。
そして、ずっと出来なかった事をやってみたのです。

声をあげて泣くこと 

「ピヨ太郎が一番辛いんだから、絶対やっちゃダメ!」
……(^_^;)
私もいい歳の大人なので、子供の様に声をあげて泣くことは無いのですが、情けない事に、今回は何度も号泣したくなり、その都度自分にこう言い聞かせて止めていました(苦笑)。
満月携帯より


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応援ありがとうございますヾ(@⌒▽⌒@)ノ

先月の26日に緊急強制送還されて以来、自宅で療養していたピヨ太郎でしたが、一昨日25日、無事に学校に戻る事が出来ました。
みなさんから、応援や励ましのコメント・メール・電話を頂き、大変勇気&元気付けられました。
本当に本当に…ありがとうございましたm(_ _)m
戻って来た当初は、湿疹が酷く、痒さと痛さを耐えるだけでも大変そうでした。
初めの一週間、ピヨ太郎は、夜中の2~4時頃になると『夜泣き』をしました。たった15~20程の短い間なのですが、そんな時間でも、ピヨ太郎の姿を見ると長く長く感じるのでした。
「いつになれば楽になれるのぉぉ~っ!」
火傷を負った様に皮膚の表面が爛れ、ジクジクと体液が流れ落ちている…そこがまた強烈に痒く、そして乾燥(当地の冬は、著しく湿度が低いのです)の為の痛みもあり、発作の様に起こる掻きむしりたい衝動との戦いは、泣き叫ばずにはいられない辛さだったのでしょう。
「ママ、私の手を握ってて!掻かないように、強くギューッと掴んでてっ!」
それは、とても17歳のお年頃な女性とは思えない姿。
それがあまりにも気の毒で、声を殺して泣いた日もありました。
お腹を痛めて生んだ子が、こんなに辛い状況にあるというのに、私に出来ることは、本当に限られた少しの事だけ…出来ることなら代わってやりたいのに、そうすることも出来ず、情けなさと辛さと悲しさとで身も心もいっぱいでした。
「絶対、きれいな肌に戻るから。」
主治医の先生やスタッフのみなさんは、ピヨ太郎や私達家族を一生懸命励まし、親身になって対応して下さいました。ピヨ太郎の様子を我が子の事の様に見守っていて下さり、私達家族と同じように、ピヨ太郎の小さな変化に一喜一憂していらっしゃいました。
この1ヶ月、私はピヨ太郎に『命の明日への欲望』を見せられました。
あんなに酷い状態なのに、身体は命を明日へと繋ごうとしていました。
ピヨ太郎本人が、どんなに絶望しても、どんなに泣いても、どんなに叫んでも、それとはまた別の、本人が全く意識しないところで、静かに静かに明日への準備を続けていたのです。
少しずつ再生しようとするピヨ太郎の身体は、本当に強かで逞しく、驚くほどパワフルでした。
一分一秒無駄にせず、着々と快方に向かう様子は、本当に凄かったです。
残念な事に、途中、花粉に負けて、ジクジクな状態に戻ったりもしましたが、それも3~4日もあれば落ち着き、とうとう主治医の先生から、
「ここまでになれば、もう学校に戻っても大丈夫!!」
と許可を頂けたのでした。
長い1ヶ月間でしたが、辛い事悲しい事ばかりではありません。
本来なら、この時期は学校にいて自宅にはいないはずのピヨ太郎がいたので、今年は豆まきも一緒に出来たし、雛人形も姉妹で飾り付けすることが出来ました♪
ピヨ助は、しばらくピヨ太郎とお雛様を飾り付けすることが出来ないと諦めていたので、一緒に出来た事が嬉しかった様でした。
そんなこんなで、今日。
この1ヶ月で溜め込んだ疲れと凝りを取りに、先月お世話になった鍼灸院へ行って来ました。
先生は私を見るなり、
「あらら…こんなになるまで疲れる事、何があったの?」
「身体は正直だからね。」
と…(笑)。
25日、ピヨ太郎が学校へと向かった家の中は、何だかシーンとしていました。
いつもの様に掃除機をかけながら、ピヨ太郎が毎日何度も塗っていたローション(急激な乾燥を防止する為に使用)を忘れて行ったのを見た途端、私の目は涙が込み上げてきて、ウルウルといっぱいになりました。
そして、ずっと出来なかった事をやってみたのです。




「ピヨ太郎が一番辛いんだから、絶対やっちゃダメ!」
……(^_^;)
私もいい歳の大人なので、子供の様に声をあげて泣くことは無いのですが、情けない事に、今回は何度も号泣したくなり、その都度自分にこう言い聞かせて止めていました(苦笑)。
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