前回の「信州ダービーの巻」において、
「信州ダービー」とはJ3・松本山雅FC(ホームタウン:長野県松本市他)とJ3・AC長野パルセイロ(ホームタウン:長野県長野市他)が対戦する試合の呼称。
両チームの対戦は2009年までは北信越フットボールリーグで開催されており、地域リーグの試合の中では異例の盛り上がり。特に山雅が北信越1部に昇格した2006年以降、両クラブがJリーグ加盟を目指していることで、2007年には地域リーグの試合ながら6000人を超える観客動員を記録し、2011年の第13回日本フットボールリーグ(JFL)でのダービーでは観客動員1万人超え。
この異様(?)な盛り上がりの背景には、Jリーグ理事の傍士銑太さんはJリーグウェブサイトのコラムのなかで、長きにわたる松本市と長野市の地域間対立がこの盛り上がりに一役買っていることを紹介しているくらいです。
と書きました。
「信州ダービー」とはJ3・松本山雅FC(ホームタウン:長野県松本市他)とJ3・AC長野パルセイロ(ホームタウン:長野県長野市他)が対戦する試合の呼称。
両チームの対戦は2009年までは北信越フットボールリーグで開催されており、地域リーグの試合の中では異例の盛り上がり。特に山雅が北信越1部に昇格した2006年以降、両クラブがJリーグ加盟を目指していることで、2007年には地域リーグの試合ながら6000人を超える観客動員を記録し、2011年の第13回日本フットボールリーグ(JFL)でのダービーでは観客動員1万人超え。
この異様(?)な盛り上がりの背景には、Jリーグ理事の傍士銑太さんはJリーグウェブサイトのコラムのなかで、長きにわたる松本市と長野市の地域間対立がこの盛り上がりに一役買っていることを紹介しているくらいです。
と書きました。
ここに登場する傍士銑太さんの、「長きにわたる松本市と長野市の地域間対立が・・・」という箇所。これこそが「リアル・信州ダービー」になると思います。
長野市(長野県の北部に位置)
面積:834.81km2
推計人口:361,824人(2024年4月1日)
人口密度:433人/km2
市の木:シナノキ
市の花:リンゴ
市の歌:長野市市歌(1967年3月29日制定)
市長:荻原健司(2024年5月時点)
松本市(長野県のほぼ中央に位置)
面積:978.47km2
推定人口:237,315人(2024年4月1日)
人口密度:243人/km2
市の木:あかまつ
市の花:れんげつつじ
市長:臥雲義尚(2024年5月)
そもそもは歴史的背景があるそうで。主なできごとを順に追ってみます。
約3万数千年以前:ナウマンゾウなど大型獣の狩人たちが野尻湖周辺などで狩猟生活を行う
約3万年前:最古の信州ブランドである和田峠~蓼科山産黒曜石資源の利用が開始。県外まで運ばれ石器として利用される
約1万3000年前:気候の温暖化により、現在の日本列島が形成。土器をつくり、狩猟採集生活をする人たちがあらわれる
約5000年前:八ヶ岳山麓を中心に大規模な集落があらわれる
約2500年前:稲作と金属器が伝わり、弥生文化がひろがる
665年:科野の国に律令制草創期における地方行政組織が存在
704年:信濃国の印がつくられ、これにより「信濃」の文字が公的に使用されはじめる
(あまりにも長くなるので途中は省略)
1868年:明治政府の府藩県三治制導入により、信濃国の旗本領・幕府領が伊那県となる
1870年10月11日:伊那県のうち北信および東信の旗本領・幕府領が中野県として分立。しかし、12月に中野県庁が中野騒動により全焼
1871年7月:廃藩となった龍岡藩の信濃国内の領地を中野県に編入
1871年8月:善光寺領を編入。県庁が中野から長野に移転し、長野県が発足
1871年8月:廃藩置県により、信濃国内の12藩が県になり、伊那県、長野県を併せ14県制になる
1871年12月:第1次府県統合により、飯山県、松代県、須坂県、上田県、小諸県、岩村田県、椎谷県の信濃国部分を長野県に編入。伊那県、松本県、高島県、高遠県、飯田県、名古屋県の信濃部分、高山県(旧飛騨国)が合併し、筑摩県となる
1876年:筑摩県庁が焼失し、筑摩県が分割。旧高山県は岐阜県に編入、信濃国部分(中信・南信・北アルプス地域)が長野県に編入され現在の長野県が発足
1900年:作詞・浅井洌さん、作曲・北村季晴さんによる「信濃の国」ができる
(あまりにも長くなるので途中は省略)
1948年:長野県庁庁舎一部焼失をきっかけに分県論が勃発。県議会で採決されるも議場を埋め尽くした県民の「信濃の国」大合唱により流会(とする説があるが、事実ではない)し、結局否決。これがのちの県歌制定の素地となる(という説あり)。仮に可決されても国は分県を認めない方針であったという
1958年:西筑摩郡神坂村が自治庁により分村。馬籠地区を山口村に編入し、湯舟沢地区を岐阜県中津川市に編入。世にいう島崎藤村騒動
1968年:信濃の国を県歌に制定
2005年:木曽郡山口村が越境合併により岐阜県中津川市に編入
現在に至る
ポイントは1871年12月、1876年、1948年。
早い話が、古代から奈良時代末まで「科野国」として国府は現上田市にあり、奈良時代末期に国府が松本に移る。以降、明治時代初頭まで「信濃国」として、一つであったが、廃藩置県によって旧長野県と筑摩県にわかれ、その後1876年に筑摩県庁が焼失し、筑摩県が旧長野県に編入され、筑摩県民に不満が発生。そして、1948年に長野県庁が焼失したことにより、長野県を2つにわける議会が開かれたが、決議は不成立となったということ。
まあ、無意識かどうかわかりませんが県外で出身地を聞かれた場合、長野市の人は「長野県」と言うが松本以南の人は「信州」、または「長野県の○○出身」と言うことがあるようです。
あまりにもリアル・信州ダービーの度が過ぎているとは思いませんが、長野県内大手交通会社のアルピコ交通が2023年3月末に高速バスの長野-松本線の運行を終了したのは、これらが原因ではないでしょう。
ちなみに、こんな長野市 vs. 松本市もあります(ライブドアニュースより)。
何はともあれ、ほかにもいろいろと比較材料はあるようですが、諏訪や飯田などの南信地域と上田や佐久などの東信地域の方は「どうでもいい」と思っているでしょうね。
私も、どうでもいいですけど。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。