17世紀の哲学者、数学者、物理学者であるパスカルの著書「パンセ」にある言葉です。
「人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。しかし、それは考える葦である」
つまり、人間とは孤独で弱い生き物だが、考えることができることは偉大であり、尊厳があるというものです。はい、まさしく哲学です。
ところで、なぜ、人は悩むのでしょうか?
「目の前に起こっている出来事」と「自分が考えている(いた)こと」にギャップがあるときでしょう。そこに「未来に起こるであろう出来事」が積み重なっていき、不安、怒り、悲しみ、不満などを感じて、しかもネガティブな気持ちになって悩むのでしょうね。
野球小僧に判りやすくしますと
「目の前に起こっている出来事」 ・・・ 最近、ヒットが出ない
「自分が考えていること」 ・・・ ヒットは打てるはず
「未来に起こるであろう出来事」 ・・・ このままヒットが出ないまま
なんてことで判りますでしょうか?
以前、「人は将来のことを考えるときにはネガティブな方向に考えやすい」ということを書いたかどうかは記憶に定かではありませんが、「本当はこうありたい」「本当はこうあるべき」というような考えがあるからネガティブに考えてしまうのかも知れません。
ただ、「目の前で起こっている出来事」なんてものはネガティブでもポジティブでもないはず。事実なんですよね。その事実に意味付けをしてしまいます。その意味付け、特に気持ちがネガティブなのか、ポジティブなのかを決めるのです。
じゃあ、どうやってポジティブな考え方に持って行けばいいかでしょうね。
ここでポイントとなることは「未来に起こるであろう出来事」だと考えます。
「ありたい姿」 ・・・ 自分にとって本当に大切なもの
「あるべき姿」 ・・・ 自分の行動を律するもの、相手に行動の変化を要求するもの
ちなみに「ありたい姿」は自発的で理想的、温かさがあり、愛情あふれる母性的な印象、「あるべき姿」は社会的で知性的で感情をコントロールするような、やや強制力を持った父性的な印象なんだそうです。
結局、ネガティブな状況を作り出してしまうのは、目の前に起こっている状況について、自分の考えとかい離してしまっていること。さらに過去を引きずってしまっていることだと考えます。
だからと言って無理やりポジティブに持っていくのは、莫大なエネルギーを必要とします。
何しろ、一度ネガティブに思った気持ちをなかったことにし、ポジティブに変えて行くことですから。
こんな例えがあります。
スポーツの世界では、既に審判が下した判定を覆すのは難しい。自分の信念、価値観とは見聞きした出来事に対して、感情をネガティブとするか、ポジティブとするかを判定するルールブックであり審判なのだと。
プラス思考とはルールブックに基づいて下された審判の判定に「ちょっと待ってください。審判はネガティブと判定しましたが、本当はポジティブなんじゃないですか?」と、判定を覆そうとしている状態。
またプラス思考では「ネガティブな気持ちを考えないようにしよう」としますが、これは、審判に「すみません、この判定、無かったことにできませんか?」とお願いしている状態です。
既に判定は下されているので、結果を覆すこともなかったことにするのも難しい……。
プラス思考のときに起こる「もっとポジティブに考えたい。でも……」という、心の葛藤は審判と言い争っている状態だと。
だから ・・・ ?
だから、「未来に起こるであろう出来事」に考え方をシフトしていけばいいのではないでしょうか?
でも、目の前に迫ってきているテストは未来のことでもあるのですが、現実的なことでもあるのです。
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まっくろくろすけ

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