
初恋の味はレモンのように甘酸っぱいとよく耳にします。
好きな人の顔がまともに見れない......その人を思い出しただけで胸がキュンと締め付けられる......のような感情って、少なからず一度は誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。
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「私、まだ亡くなった主人の顔がまともに見れないんですよ......」
以前ここでも何度か紹介したご婦人が、今日週遅れのお盆のお墓参りに来られました。
ご主人の3回忌を終え、だいぶ気持ちは落ち着いてきたみたいですが、まだご主人の遺影はまともに見れないと言います。
「おばちゃん、まるでご主人と2度目の初恋をしているようだね」
矛盾した日本語であることは承知しつつ、私は上のような言葉をこのご婦人に投げ掛けました。
そのご主人と一緒になる前、そのご婦人は淡い初恋のような感情をご主人に抱かれていたかもしれません。
恥じらいが先立ち、ご主人の顔をまともに見れなかった時期があったかもしれません。 ご主人のことを思い出すたび、胸がキュンと締め付けられご飯が喉を通らなかったこともあったかもしれません(勝手な想像でしかありませんが)。
亡き人を想う「追慕の念」と、「初恋の感情」とを結び付けること自体無理な話かもしれませんが、私はそのご婦人が未だに亡きご主人に対して恋焦がれる感情を抱かれているような気がしてなりませんでした。
であるならば、その想いをマイナスに捉えるのではなく、いっそのこと初恋をしたあの時と同じように、苦しいながらもプラスに捉えてみてはどうかと感じたのです。
遺影を未だにまともに見れないのであれば、それは決して「悲しさ」が先立つからではなく、これから始まる二度目の初恋のプロローグなのだと......半ば強引に結び付けてみました

「そうね、これから主人との二度目の初恋が始まるのかしらね」
そのご婦人は良い意味でこちらの予想を裏切り、私の提案を好意的に解釈していただきました。
これから始まるご主人との二度目の初恋...... そう


その人の「想い」次第で、亡き人との新しい関係を築いていくことは十分可能だと信じます。
そのご婦人のなかに、確実に亡くなったご主人は生きているのです。その「想い」がなければ、祥月命日に欠かさずお寺にお参りに来たり、いまだに亡きご主人のことを想い浮かべて涙することは決してないでしょう。
それらを、決してマイナスに捉えることなくプラスに捉えていただきたいのです。
もう、そのご婦人なくして亡きご主人は「生きていく」のが不可能な存在なのですから。



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やっぱり今でも、ばーちゃんの家で集まり、ばーちゃんの話で盛り上がり、ばーちゃんの話で泣き…
日々何も変わらず、ばーちゃんがいますよ(^^)
私にとってはばーちゃんだから初恋にはならないけど、時々92才のじーちゃんが、ばーちゃんとの思い出話を始めます。
普段は会話も上手くできないじーちゃんだけど、きっと思い出しているんですね☆
ご無沙汰しております
>時々92才のじーちゃんが、ばーちゃんとの思い出話を始めます。
やはり、いくつになっても初恋の甘酸っぱさは忘れたくないものですね
あの世に旅立った愛しい存在の人に恋する気持ちは素敵だなと思います。