福祉革命!

今、福祉業界は 崩壊危機に直面中。人は心で生きてます。皆さんに愛と勇気を…

現場責任者と介護職に必要な要素

2010-04-29 23:21:55 | Weblog
ある福祉施設の現場責任者に「施設の問題点は?」と、その施設のトップの施設長が質問した。

責任者は、「職員の介護レベルがあまりに低い。つかえない人材ばかり。新人ばかりで何もできない」と、答えた。

「現場にも問題点として話すのか?」と、施設長は確認すると「勿論伝えます。」と、責任者は答えた。

この話を聞いて、みなさんはどう思われただろうか。

自分は無性に腹が立った。何を持って責任者が現場の介護レベルが低いと言っているのだろうか。
現場をまとめ指導し教育するのも責任者の責務ではないだろうか。

自分の責務の至らなさをまずは恥じるべきである。
部下を批判し認めず、人のせいにしているようような発言を施設のトップに話せるような責任者を現場の職員は責任者として認めてられるのだろうか。
現場の職員が逆に気の毒になる。又、直接ご利用者の生活に密着している現場が統一されなければ、ご利用者が一番の被害者になる事を雇い側は再度認識して欲しい。
雇い側に対してもこのような責任者をいつまでも野放しにしているとしたら疑問になる。

新人職員でもオムツ交換やシーツ交換、トランス等、1ヶ月毎日行えば技術的には上手くなるだろう。

それでは、「介護が出来る人」とは、どのような人をいうだろうか。

介護現場の責任者は、「これが絶対正しい」と、言い切れない事の多い介護現場をまとめるのは、至難の業であるかもしれない。又、真面目な責任者程、初めは、不安や戸惑い等で精神的に追い詰められる事があるかもしれない。

「ご利用者、職員、会社を守る」意識と、その大事な三本柱が先に繋がるような事(エンパワーメント)を常に考える事によって見える景色も変わるだろう。
例えは、語弊があるかもしれないが、子育てのように守るものが明確であれば、人は必ず覚悟を持ちどんな試練にも挑めるはずだと自分は信じたい。

出来る責任者程、業務等の具体的な項目を誉めるのではなく、例えば「今の声かけはお客様に届くと思いますよ」等、「何が良かったのだろう」と、誉められた職員自身が考え、イメージするような指導方法(スーパービジョン)が実践されていると思う。

排泄介助は「こうして…こうやって…」と、1か10まで細かく教える事に執着した指導は素晴らしい教科書かもしれないが、現場ではあまり意味を持たない気がする。

指導側は、まず、職員には介護の方向性や日々の細かい観察の目を養う必要性等、ご利用者像をイメージできるようなスーパービジョン指導が必要不可欠かもしれない。

ご利用者一人一人の日々の些細な状態を察知する感性のアンテナと、ご利用者の立場に立った細かい配慮や声かけを自然に出来る事は介護職として望まれる要素の一つではないだろうか。

途轍もない課題

2010-04-23 00:23:13 | Weblog
先日、余命を宣告されながら気丈に限られた命と覚悟を持ち精一杯向き合っていらっしゃる方が涙を流し「死が近づいているのを感じる」と、つぶやかれた時、自分は返答が出来なかった。
深く大事な事程、心を伝える適切な言葉が見当たらない気がする。

例えば、葬儀等で微笑を浮かべながら丁寧に喪主に「ご愁傷様です」と、伝えたら、喪主はどう思うのだろうか。どんなに美辞麗句を並べてもその人の思いは顔の表情や無意識の行動等に現れるものだと思う。

どんなに福祉現場の経験を重ねても、福祉の現場に限らず、人の死に直面する仕事に「慣れ」は自分はないと思う。

介護職の現場でも割り切れない心の葛藤を抱く事は多々あるかもしれない。
例えば、昨日まで笑顔で話をしていたご利用者が翌日亡くなられ驚く事がある。

介護職は「命」という途轍もない課題と背中合わせの職業であると思う。対人間職のプロとして、後悔の念にかられないように、「今」を大切に向き合う事は使命ではないだろうか。
また、人として「今、この瞬間」の積み重ねが貴重な人生の一ページである事を再認識したいと思う。
「人の生死」をどう受け止めていくかは、個々に違うだろう。言葉では伝えきれない程、奥深いものだから、介護職としての経験に多大な影響を及ぼす分岐点なのかもしれない。

こだわりの薄れた現代への喪失感

2010-04-15 20:11:32 | Weblog
こだわりが薄れた現代に寂しさを感じるのは私だけなのだろうか。

大手スーパーやショッピングモールが次々と建ち、昔ながらの個人の八百屋や肉屋等が立ち並ぶ商店街が次々と店を閉めている。
高度成長と共に人と人とのふれあいが減少し、会話が出来ない人が増えている。客と店の個々の人とのふれあいを大切にし常連客も多かった個人店も大手会社の低価格での販売には太刀打ち出来なくなっている。飲食店等の大手チェーン店は多数の店舗が展開され誰が行っても同じに出来るようにマニュアルが徹底されており味も接客も同じようにサービスが提供されている。

福祉業界も同じでないだろうか。
介護保険導入後の民間の大手企業の参入でこだわりを持った個人経営の維持が難しくなり日増しに閉鎖している事業所は少なくないだろう。
会社にとって社員は一つの駒なのだろうか。対人間職は全て同じ駒はないと思う。
例えば、訪問介護事業所では、人材不足でお客様中心ではなくヘルパー中心になりつつある。誰でもいいから訪問できる人を穴埋めのように予定を組み込む。誰が訪問してもサービス内容は変わらない事は原則だが、お客様が求めているものは、プラスアルファ―の人と人との繋がりであると思う。もちろん過剰なサービスや専門職としてのあるまじき行為(頂き物や仕事外の付き合い等)ではなく「この人だと安心する」等といったような心の癒やしを求められているケースは少なくないと思う。
人間の欲求の一つの承認の欲求が満たされず、介護者側も自分自身の存在さえ否定されているような錯覚を感じる事があるのではないだろうか。介護者に対しては、専門性を求めているわけではなく、決められた業務をしっかり遂行してくれて、ご自分の生活が営めればよい程度の期待しか持たれないお客様も多いのではないだろうか。
心の繋がりで人は心のパワーが湧いて身体的にも元気になれる事もあると思う。肝心な心を置き忘れて、対人間職の専門家とは言えないのではないだろうか。

同じ人間はいないはず。雇用側も駒やコピーロボットを育成するような認識ではなく、職員一人一人を人として認め向き合う姿勢が対人間職の専門性を高めるのではないだろうか。

心無き非道な介護者は犯罪者!

2010-04-08 21:17:10 | Weblog
某高級有料老人ホームに勤務する知人が「何が高級有料老人ホームだ。建物は立派でも中身は追いついていない。職員の質が悪すぎる」と、憤慨しながら話始めた。よくよく話を聞くと、転倒の事故が多発しており、職員による過失による転落事故についてだった。

入居者されているA様は認知症があり別料金でモニターが設置されている居室に入居されているが、トランス介助は全介助。
A様から痛みの訴えが聞かれ「おかしい」と他の職員がA様の異変に気づきモニターを確認したところ、男性職員Bが片マヒで自力では座位保持困難なA様を座位にしたまま目を離し転落。その後、隠蔽しようと慌ててA様を無理やり車椅子に移乗している様子がモニターに映っていた。オムツ交換後でベッドの高さも高い状態で柵も外してあった。
明らかにモニターに映っているのは職員B。しかしBは「知らない」と白を切りA様への謝罪もなかったようだ。日頃から職員Bはお客様からのクレームが絶えず上司からは毎日のように再三指導を受けていたようだが全く改善されず反省の色もなく。

転落事故後も上司から「犯罪と同じだ」と怒鳴りつけたようだか、何事もなかったかのようにA様を心配する事もなくニヤニヤ笑いながら仕事をしていたらしい。A様は大腿部頚部骨折との診断。診断を聞いても「あ~大変だな」と、人事のような発言。自己保身の為だけに嘘をつき相手の痛みも何もかも感じられない職員Bは介護者以前に人間失格だ。非道なダメ人間にもほどがある。
謝罪して済む問題ではない。いつかBは殺人犯になるかもしれない。人を傷つけ笑ってられる人間は人間とは言えないと思う。
人の命を預かってる事への責任の重さを感じていないのは職員Bだけではなく雇い側の責任も大きいのではないだろうか。犯罪者を雇えざる負えない程人材不足なのか?
どんなに人材不足であったとしても理由がなんであろうとBのような奇人変人を雇い続けているのであれば雇い側もBと同罪ではないだろうか。あまりにもご利用者が気の毒だ。

もし自分がA様のご家族でBの態度を目にしたら絶対に許す事はできないだろう。
Bだけではない。相手の心や痛みを感じられない人は犯罪者になる可能性が高い

サクラサク…希望の季節

2010-04-04 21:02:36 | Weblog
4月は入学、就職、転勤等の新しい生活をスタートされる方の多い季節。桜の道を初々しい制服やスーツに身を纏う若者の姿。
自分は桜咲くこの季節に毎年ドキドキ、ワクワク等心の揺れ動くスピードの速さに驚き、不安と緊張の連続だった懐かしい日々を思い出します。まさに「初心忘れべからず」です。
不景気で先が見えないと言わている御時世。
特に新社会人の方々には、現状を否定せずに希望や目標は常に持ち続けて頂きたいと願います。

社会を戦場に例えると、初めて戦いに挑む時は、知識、技術等の目に見える武器は備えきれていない新社会人。唯一の力は目には見えない「心」だと思います。
「覚悟」が無ければ戦場に挑む以前に恐怖で腰を抜かしてしまう事もあるでしょう。
緊張や不安は「覚悟」の現れだと思います。
新しい生活や環境の変化に不安や困惑しない人は少ないと思います。繊細な方ほど不安や緊張感も強く、周りの方々に配慮し順応しようと多大な精神的な負担を感じられる事もあるかもしれません。
しかし、それは決してマイナスではないと思います。
対人間職にとって繊細で周りの方々に自然に配慮できる人は求められる人材になり、人と人の心の繋がりの仕事です。
誰でも変わりができる単なる会社の穴埋めの「駒」として業務を「こなす」事だけに執着されると、ごお客様の心は癒やされるのではなく、逆に自己の存在や悲観的に感じられ事もあるのではないでしょうか。
初めから出来る人間はいません。
新人の方々は今は周りを見るゆとりもなく日々猛スピードで走ってる真最中だと思います。時間と共に心にゆとりがうまれ徐々にスピードダウンし見える景色も一年後は違ってみえるでしょう。
「人」として対人間職のプロである認識の中でお客様の貴重な時間を共有され真剣に向き合う事で「駒」ではなく意識次第で「人」に進化するのではないでしょうか。
更に時間と共に安心感や信頼感が積み重なっていくのだと思います。いつかお客様が心から「あなたでよかった」と優しく声を掛けて下さるでしょう。
社会という荒波に焦らず、慌てず、強い心で戦いに挑んで頂きたいと一人の社会人の先輩として新社会人の皆様を心から応援したいと思います。