福祉革命!

今、福祉業界は 崩壊危機に直面中。人は心で生きてます。皆さんに愛と勇気を…

こだわりの薄れた現代への喪失感

2010-04-15 20:11:32 | Weblog
こだわりが薄れた現代に寂しさを感じるのは私だけなのだろうか。

大手スーパーやショッピングモールが次々と建ち、昔ながらの個人の八百屋や肉屋等が立ち並ぶ商店街が次々と店を閉めている。
高度成長と共に人と人とのふれあいが減少し、会話が出来ない人が増えている。客と店の個々の人とのふれあいを大切にし常連客も多かった個人店も大手会社の低価格での販売には太刀打ち出来なくなっている。飲食店等の大手チェーン店は多数の店舗が展開され誰が行っても同じに出来るようにマニュアルが徹底されており味も接客も同じようにサービスが提供されている。

福祉業界も同じでないだろうか。
介護保険導入後の民間の大手企業の参入でこだわりを持った個人経営の維持が難しくなり日増しに閉鎖している事業所は少なくないだろう。
会社にとって社員は一つの駒なのだろうか。対人間職は全て同じ駒はないと思う。
例えば、訪問介護事業所では、人材不足でお客様中心ではなくヘルパー中心になりつつある。誰でもいいから訪問できる人を穴埋めのように予定を組み込む。誰が訪問してもサービス内容は変わらない事は原則だが、お客様が求めているものは、プラスアルファ―の人と人との繋がりであると思う。もちろん過剰なサービスや専門職としてのあるまじき行為(頂き物や仕事外の付き合い等)ではなく「この人だと安心する」等といったような心の癒やしを求められているケースは少なくないと思う。
人間の欲求の一つの承認の欲求が満たされず、介護者側も自分自身の存在さえ否定されているような錯覚を感じる事があるのではないだろうか。介護者に対しては、専門性を求めているわけではなく、決められた業務をしっかり遂行してくれて、ご自分の生活が営めればよい程度の期待しか持たれないお客様も多いのではないだろうか。
心の繋がりで人は心のパワーが湧いて身体的にも元気になれる事もあると思う。肝心な心を置き忘れて、対人間職の専門家とは言えないのではないだろうか。

同じ人間はいないはず。雇用側も駒やコピーロボットを育成するような認識ではなく、職員一人一人を人として認め向き合う姿勢が対人間職の専門性を高めるのではないだろうか。