福祉革命!

今、福祉業界は 崩壊危機に直面中。人は心で生きてます。皆さんに愛と勇気を…

来年の目標

2009-12-31 15:03:08 | Weblog
2009年も後わずか。クリスマスのイルミネーションから一気に新年に向けてお正月準備に街が衣替え。慌ただしい一週間。年々、節目や文化が軽視されつつある現代。年末年始は、一年間を振り返り来年への期待や目標を抱く心の切り替えとしてもの必要な時間だと思います。

先日、介護実習生の方が「認知症の方には嘘をついてもいいのですか」と質問がありました。「認知症の方には」という蔑んだ枠で十把一絡げに人をみる事は望ましくないと思います。
ベテラン介護職員が「相手は必ず聞いている介護職員の表情や言動を瞬時にサッチします。だから、感性の鋭い認知症の方や精神疾患の方等との会話には、常に自分自身の言動の一つ一つに緊張感があり、敬語が逆に崩せない」と、話されました。例えば、一日中「家に帰りたい」と訴えられる方にキッパリ「家には帰れません」と答える事がベストといえるのでしょうか。
つじつまが合わない話を一生懸命話される場面で介護者が相づちをうちながら話を合わせたりする事があります。正当な言葉ではなくても相手の思いを受けいれようとする姿勢が相手の心に届き安心感に繋がるのではないでしょうか。
相手の状況や温度等を敏感に感じとり、相手を尊重し、先(未来)に繋がる意味のある声かけは嘘ではないと思います。
逆に対人間職の必須アイテム「感性」を匠に使いこなせる高度な技だと思います。
クリスマスに「サンタさんと神様は友達なのかな」と、母親に小学5年生の女の子が話ているのを聞いて、母親は「サンタさんは綺麗な心の子の所にくるんだよ」と、サンタを信じている純粋な子供の気持ちを大切にした母心は嘘ではないと思います。
例えば、売れるお笑い芸人は瞬時のアドリブが上手い。周りの雰囲気や間の取り方や切り返しの柔軟な発想力は「感性の技」と言えると思います。自分の来年の目標の一つに、重ねる年と共に鈍っていく感性をよみがえらせる努力をしたいと思っています。
よいお年をお迎え下さい。来年も福祉革命を宜しくお願い致します。

老後は因果応報?

2009-12-24 18:58:18 | Weblog
人は誰もが年をとり老いていきます。

親は必死で愛情を持って子を育てます。子は感謝、深い思いの中で親を看取る決意をするのだと思います。
しかし、親が子に「育てたのだから看るのが当然」と、元気なうちから子に甘え依存し毎日テレビを見て酒を飲み、過ごしているとしたらどうでしょう。
その親を認め、過保護に守り過ぎたらどうなるでしょうか。嫁や孫、周りはどう思うでしょうか。いざ、介護が必要になった時、どうなるのでしょうか。
今年は100年に一度の大不況と言われ、不景気で失業者が5%という中で、子は所帯を持ち自分の家庭を必死で築き守ろうとしています。

自分の生活の今後の不安や経済的ゆとりのない現状。
親は自立していく我が子の生活に迷惑をかけないようにと、親として最大限の自立心を発揮される方も多いと思います。
常に受け身で誰かがお膳立てをしてくれるのを待っているのでは、周りは助けてはくれません。人間関係の問題もありますが、過度の依存は怠け者に感じてしまいます。怠け者に周りは暖かく看てはくれません。又、自分に甘く子供に縋って生きるのは人として悲しい。
老いていく中で、出来る限り周りに迷惑をかけない努力され自の力で生きようとされる自立心が、大切ではないでしょうか。例えは違うかもしれませんが、ホームレスと言われる方々も、ある意味自己責任をとって自立されているのかもしれません。

幼い頃に虐待し続けられた子供がいざ、親が老いて、素直に受け入れ看る事ができるでしょうか。

親子関係や深い思いは家族の数だけ違いますが、エンバワーメントは家族にも必要だと思います。親は子を思い時には厳く叱り教え、育てます。
子も親を思うからこそ、いずれ老いていく親を看る覚悟の中で、出来る限り自立心を維持できるように叱咤激励も必要ではないでしょうか。
子育てや周りの方々へと関わり方等「自分の人生」として、常に自己責任の果たし方を考えなくてはいけないのではないでしょうか。
老後は、まさに因果応報ではないでしょうか。

医療と福祉の狭間

2009-12-15 14:31:42 | Weblog
医療と福祉の狭間で考えさせられる一つの事例を取り上げてみた。

70代後半のAさんは、ALSと診断されてから3年、入退院を繰り返しながら自宅で24時間対応の専属家政婦がついていたが、余命は2ヶ月と医師に告げられ病院を退院と同時に有料老人ホームにご本人の意向で入居を選択。入居には深い事情があるのかもしれないが、このタイミングの入居はリスクが高すぎる気がする。
Aさんは、全て意思決定はご自分でされ、意志疎通は文字盤の介助とアイコンタクトでの対応。思い通りにいかないと感情失禁で寿命を縮める可能性が高く、呼吸麻痺にいつなってもおかしくないと医師には宣告されている状態。人口呼吸器をつけずに、気丈に精一杯生きられているAさん。

そんな中で人材不足なのか?「勉強になるから」と、資格を取りたての新人ヘルパーがAさんに一人で食事介助をしているとの話を耳にした。
新人ヘルパーAさんも不安になるだろう。もし、新人ヘルパーの介助で死に繋がってしまったら、Aさんに対してもご親族様にもヘルパーも一生、後悔と苦しみから逃れられないだろう。貴重な最期の時間を、Aさんの望まれる意思の中で、介護の専門家としてどのように対応すべきなのか?真剣に考える事が必要ではないだろうか。
又、経営側は目先の利益以上に今後のリスクや危機管理は必須であるだろう。医療との連携も勿論考えなくてはならない。一番はAさんの思いや現状を受け入れる覚悟が職員に持てるのかは、重要ではないだろうか。
医療も介護もご本人の「思い」がもっとも大切であるという共通点の中で医療と介護の狭間のご利用者に介護のブロとしてどう臨むのか?課題が多い。

「女性が働く」ということは…

2009-12-10 08:15:12 | Weblog
どの職業でもいえる事ですが、仕事をするという事は賃金が発生し、責任があります。会社からは利益になる人材が求められる環境の中、「女性が働く」ということを考えてみたいと思います。

仕事と子育ての両立は大きな課題になります。
子育ては女性が行うと決まってはおりませんが、子育ては女性が中心に行っている事が統計的にも多いと思います。介護は7割以上が女性の職業。子育て真っ最中の30代、40代の女性は、働き盛りでもあります。
福祉の学校を卒業し福祉施設等に就職されてすぐ結婚、出産と寿退職され専業主婦になられる方も少なくないと思います。人材不足の現状で、ゆとりをもって職員確保されれるのは困難。
職員間の人間関係が確立されている場合は「お互い様」と協力しながら業務を遂行されているかもしれません。
責任感が強く配慮のある方ほど、子供の事とはいえ仕事を休む事に対し心苦しさを感じられ追い詰められてしまう事もあるでしょう。
長年福祉職に従事されていて出産と同時に産休にはいり仕事へ復帰しようと決意しても保育園に待機児童が多く入園を断られ仕事に復帰できない方も多いようです。核家族の現代、近所に預けられる知人がいない等、子育てをしながら安心して仕事が出来る環境の整備も人材不足の福祉業界のカギになるのではないでしょうか。

身なりは配慮

2009-12-01 14:37:22 | Weblog
最近、有料老人ホームが新聞に取りただされていますが、ある有料老人ホームに伺うと、50歳半の男性が「うちの施設長です」と、20代後半の茶髪のキャラクターのキーホルダーをぶら下げてサンダルを履いている女性が目の前に立たれ、「あっどうも」と一言。挨拶さえまともに出来ない。この方が施設長?と、不安と驚きを感じました。「これが現状かぁ」と、がっかりしてしまいました。
福祉職は他の多くの職業のように実績を目に見える形にしにくいため、各人の評価をしにくい職業。その為、以前は年功序列だったように思います。
20代後半の茶髪の女性に50代の男性が指示されてる姿を見て、周りの他の職員や入居者されている方の中には、不安や違和感を感じられる方も多数おられるのではないでしょうか。
第一印象はとても重要です。
身なりは相手への配慮でもあり敬意を表すマナーでもあると思います。年齢だけではなく相手への配慮としても施設を守る立場としての責任と自覚が施設の責任者として必須ではないでしょうか。身なりは心を映す鏡です。
現在は、施設が急増し施設のトップに値する人材確保も難しく福祉経験3年未満の方が管理者というのも珍しくないのかもしれません。時には、見た目の「ハッタリ」もアイテムとして必要だと思います。「ハッタリ」が相手の安心感として心理的にプラスに作用する事もあるでしょう。相手の気持ちを左右する対人間職の印象としての技術の一つだと思います。「ハッタリ」で終わることなく「本物」に変えていく努力の過程が信頼に繋がるのではないでしょうか。

建物等のハード面や書面上の体制が整っていてもご入居者の方々の生活に直接関わる中身のソフト面の職員育成が未完成で充実されていなけいれば、決して良い施設とは言えないと思います。
配慮や敬意を表せられない管理職の増加は、今後を危惧します。