袋田病院ブログ

茨城県大子町にある精神科・直志会袋田病院のブログです。

見るということ~アーユルヴェーダ~

2019年04月08日 17時00分04秒 | アーユルヴェーダの取り組み
4月になりました。春ですね。
こちら大子は、梅や水仙、菜の花が真っ盛り(^^♪
桜は、3分咲きといったところです。
先日東京に行っていた夫によると、桜が見ごろとのこと。
そんな中、通勤途中にある廃校になった小学校のしだれ桜は見ごろ。
校舎の入り口に大きく1本、それは見事に毎年咲いています。
毎年毎年子どもたちを迎え、地域の人たちを喜ばせていたんだろうな。
今、子どもたちはいないけれど、桜は変わらず花を咲かせている。
ちょっと寂しい・・・。
と、車の中から横目で通り過ぎ・・・。
あっ、少し早めに家を出て、私が桜を見に行けばいいんだと気が付きました。



アーユルヴェーダの理論の基になっているインド哲学。
このインド哲学に、「見る・プルシャ」という存在(行為)について解説があります。
解説については、難しいので1つ好きな話を紹介します。
宇宙についての例えばなしですが、みなさんは宇宙は存在すると思いますか?
アジア人で初めてノーベル文学賞を受賞したタゴールという詩人がいます。
タゴールは、
「宇宙を認識する人間が存在して、宇宙が存在する。」
と言いました。
その逆に、誰もが知っている世界的な物理学者アインシュタインは、
「人間がいなくても宇宙は存在する。」
と言いました。
ここで、どっちの意見がいいかと議論はしません。
ただ、私は、“見る”行為によって“存在”が生まれるという考え方にとても感銘を受けました。

私は、閉鎖病棟で働いています。
患者さんの、なんとも言い表しにくいのですが問題行動やトラブルなど色々起こります。
でも患者さんだけに問題があるのではなく、多くの部分は環境から引き起こされていると感じます。
社会からの差別や無理解、抑圧・・・。
精神科病院という中で、病気故に環境故に難しい患者さんに何が出来るのだろう・・・。
病室を静かにスーッと見て歩く。患者さんの背中や横顔をただただ「見る」。
見るだけ?と無力に思えるけれど、そこに存在が生まれる。
うーむ、抽象的ですかね。
桜の話しに戻しましょうか。
少し早起きをして、通勤途中に桜を見てきました。



桜の木の中に鶯がとまっています。            



そして、ボールも。

見ることによって、桜が存在する。
この日1日、桜の気配をとても感じました。
目に桜の残像が残っていたからと、物質的な側面から言えますが、暗くなった帰宅時にあの桜がある小学校を通った瞬間、あっ、友だちがいる、という感覚になりました。