そぞろ日記

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義経公の美醜について

2006-03-22 01:16:26 | 義経

今日は感情のままに書きなぐります。

『週刊 日本の100人』を買ってきました。今回は義経公です。

内容は一般的なものでしたが、どうにも気に入らなかったのが義経公の美醜についてのコメントです。私は公は美形であったと信じているのですが、この本では「義経は醜かった」とほぼ言い切っているのです。実際「平家物語」にもそういう記述があるし ― でも敵の将の事を良く書くなんてのはあまり無い ― 、誰かがタイムマシンでも発明して過去を見てこないかぎり真実は分かりませんが、断言するのはどうかと思います。名前のことで近江源氏の山本義経の事を書いているのなら、醜いと伝えられている義経像は山本義経の可能性もあるということを一言書いてもいいのでは?

大体男前と言われている父・義朝と絶世の美女・常盤からそんな醜い顔の子が生まれるんだろうか。絶世の美男子でなくとも並より下という事はないだろう。牛若は常盤の3人目の子供だから義朝の遺伝子も常盤の中でより優秀な血を残そうと選別されているはずなんだ。だからこそ同じ常盤腹の今若、乙若よりも牛若は優れていた。そもそも醜い子供に「遮那王」なんて付けるだろうか?源氏全盛の世の中だったとしたら、たとえ醜くてもおべっか使いでそんな名も与えられたかもしれないが、その時は平家全盛の時代。忌むべき源氏の末子に「光り輝く者」の名を与えたからにはやはりそれなりの美しさを持っていたはず。それにただ武勇に優れただけの武者を後白河法皇が寵愛するだろうか?京から平家を追い出した義仲は法皇に直答さえ許されていない。義経公は法皇が特別扱いするだけの美しさを持つ人物であったと思いたい。「玉葉」にだって義経公が醜いとは書かれていないだろう。原文を見る事はできないし、 ― 仮に見たところで読めもしないが ― 今まで読んだ義経関連の本にそんな表記は無かった。兄・頼朝に追われて都を去るときに、略奪も行わず都を戦場にすることもなく朝早くに静かに去った義経を美しいと、本当に美しいのは義経と書き残した九条兼実が義経が醜いとは一言も書いていない。もし本当に醜いなら「姿は醜いが心栄えは美しい」くらいの表記があってもいいはずだ。

小柄で色白で強弓を引けないほど非力であったかもしれない。しかし一癖も二癖もある郎党たちを心酔させたのは腕力ではない。その真っ直ぐな気性と生まれ持った輝きによって魅了したのだ。力のない主を裏切る事が日常茶飯事の武士の中で、義経の郎党は恩賞が無くてもただ主である義経の為なら命も惜しくは無いと。その純粋で高貴な魂の為に尽くすことが幸せなのだと身をもって示している。

私は義経公は醜かったとは思わない。絶対に思わない。

姿も心も美しかったはずだと、だからこそ今のこの時代にも人の心を引き付けるのだと、そう信じている。