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散策:谷中七福神めぐり(その2)

2015-04-26 17:03:26 | 日記
散策:谷中七福神めぐり(その2)

   散策:谷中七福神めぐり(その1)からの続きです。



地図3
    

線路沿いを天王寺に向かう。
      

14:00 「紅葉坂」の階段をを上り天王寺へ。
   坂道周辺の紅葉が美しかったので「紅葉坂」と命名されたのだろう。別名「幸庵坂」ともいったが、
   その命名由来は不詳。
           
                   最下段にモミジが・・・
     
    この花、人の顔に見えませんか?

14:05 天王寺(谷中七福神の毘沙門天)
   天王寺(天台宗)は、もと「感應寺尊重院」という日蓮宗寺院として、鎌倉時代に創建された本寺でしたが、
   不受不施派(他宗派から施しを受けず、施しもしない)だったことから、幕府から邪宗として弾圧を受けて
   天台宗に改宗させられ、 後に寺名も天王寺となった。
    享保年間には富くじ興行が許可されたことで賑い、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称さ
   れるほどに賑わっていましたが、上野戦争では、当寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残
   して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で幸田露伴の小説、「五重塔」で知られていた「五重塔」
   を焼失しました。
    谷中七福神の毘沙門天が祀られている毘沙門堂は焼失した五重塔の残材で建てられたケヤキ造りとのこと。
          

天王寺を出て、さくら通りを進み「五重塔跡」(こどものひろば)へ。
     
    さくら通り(桜の季節はきれいなんだろうな・・・)
     
     五重塔跡
        
   火災前      火災       消火後

さくら通りを交番の角で右折し、長安寺へ向かう。

14:20 長安寺(谷中七福神の寿老人)
   長安寺(臨済宗妙心寺派)は、老山和尚禅師(享保9年1724年寂)が開山、長安軒として安藤右京亮屋敷内に
   創建、正徳2年(1712)大道山長安寺の寺号が認められ、当地に移転したといいます。
   ○寿老人像は、徳川家康の寄贈と言われている。
           
                     板碑

14:25 長安寺を出て、観音寺の築地塀見ながら加納院へ。
   江戸時代に築造された土と瓦を交互に積み重ねて作った土塀に屋根瓦をふいた珍しい塀。
     

14:27 加納院(新義真言宗)
    

14:30 蛍坂
   この坂下は蛍沢といわれ、蛍の名所であった。そこからこの坂の名が付いたという。
     

六阿弥陀道に出て、右折。

14:35 岡倉天心宅跡(岡倉天心記念公園)
   岡倉 天心(おかくら てんしん)は、日本の思想家、近代美術の先駆者(1862~1913)。東京美術学校校長。
   のち,門弟横山大観・菱田春草らと日本美術院を創立。ボストン美術館の東洋部長となり,日本美術の紹介に
   尽くした。   主著「茶の本」「日本の目覚め」「東洋の理想」
    

六阿弥陀道を戻って立善寺へ
     
    六阿弥陀道の道標

14:45 立善寺(日蓮宗 )
     

都道452号線に出て、右折(三崎坂)。

14:50 大圓寺
   大円寺(日蓮宗)の創建年代等は不詳ながら、大円院日梗聖人が開基となり創建、上野清水門脇から当地へ
   移転したといいます。
   ○瘡守稲荷は、疱瘡、皮膚病を治す御利益で知られる。
   ○境内に文学博士笹川臨風の「錦絵開祖鈴木晴信碑」、永井荷風の「笠森阿仙之碑」がある。
     お仙は、笠森稲荷神社前の茶屋「鍵屋」の看板娘で、江戸の三美人の一人。絵師鈴木春信はお仙の姿を、
     当時全く新しい絵画様式である多色刷り版画「錦絵」に描いた。
              
                錦絵開祖鈴木晴信碑    笠森阿仙之碑

15:00 乱歩°
   猫のモチーフが印象的な古びた喫茶店。千駄木駅から地上に出た場所にある団子坂はミステリーの
   巨匠・江戸川乱歩の小説の舞台となった場所で、乱歩好きがこうじて店名にしているらしいが、店内
   には乱歩グッズはほとんど無く、代わりにネコグッズで溢れているそうです。今は、乱歩がどうこう
   というより、猫が好きで好きで仕方がないようです。店内は一種怪奇的な雰囲気だそうです。
   (残念ながら本日休業)
          

いせ辰
        

都道452号線を渡り、三崎(さんさき)坂を見て、谷中小学校の横の道を三浦坂に向かう。
   坂の名の由来:駒込、田端、谷中の3つの高台に由来すると言われている。
   この坂は、この付近に住む僧侶が首を振りながらこの坂を歩いたことから「首振り坂」の別名がある。
     

地図4
     

15:15 三浦坂
    三浦志摩守下屋敷の前で根津方面へ下る坂だったため「三浦坂」と呼ばれていた。
     
  ○ねんねこ家
    ねんねこ家は飼い猫のいる古民家の自宅を開放する【レストラン・カフェ】で、気まぐれな猫が接客をするらしい。
    「猫待ちカフェ」と自笑されている。
    (残念!休業日でした。営業日:木・金・土・日曜、祝日。午前11時から午後6時)
            

15:25 蓮華寺(日蓮宗)
   古来より赤門寺として、また谷中六十三除・虫封の寺としても有名である。
        

15:27 延寿寺日荷堂(日蓮宗)
  ○日荷堂の絵馬
     日荷は日蓮の高弟で自ら造立したニ躰の仁王像を背負い、一昼夜のうちに身延山久遠寺に運び上げ、
     山門に安置したと伝えられます。日荷堂の絵馬は、仁王像を背負い、六浦から身延山までの険しい道
     を歩いた日荷の健脚にちなんで、足病平癒の祈願のために奉納されたものです。
          

みかどパン
   店の横にある大きなヒマラヤ杉が絶景の撮影スポットになっている。
          

15:30 妙行寺(日蓮宗)
     

15:33 妙福寺(日蓮宗)
    

15:35 妙泉寺(法華宗本門流)
    

15:37 佛心寺(日蓮宗)
         

言問通りに出て、谷中六丁目の信号の角の一乗寺へ

15:39 一乗寺(日蓮宗)
    

言問通りを渡り、一乗寺の斜め左の道に入り、突き当りが護国院。

15:45 護国院(谷中七福神の大黒天)
   護国院(天台宗)は、天海の弟子生順が、釈迦堂の別当寺として開創した。延宝8年(1680)四代将軍家綱霊廟
   建立のため西方へ移転し、さらに、宝永6年(1709)現在地に五代将軍綱吉霊廟の建立のため移った。
   ○釈迦堂
     現存する本堂は釈迦堂とも呼ばれ、享保7年(1722)3月の再建。唐様の建築で中央奥の須弥壇に本尊釈迦
     三尊坐像を安置する。天海僧正が足利氏以来騒乱が続き、戦死者の多く、その菩提を弔うために建てたと
     いわれる。後に寛永寺建立に因り、護國院内に移した。
   ○大黒天画像
     大黒天画像は三代将軍家光から贈られたものと伝え、谷中七福神のひとつとして信仰をあつめている。
   ○庫裡
    庫裡の一階部分は、昭和2年の新築。東京美術学校(現、東京藝術大学美術学部)教授岡田信一郎の設計で、
    昭和初期の住宅建築の風潮を良く伝えており、平成13年国登録有形文化財に指定された。 岡田は、旧鳩山
    市郎邸・歌舞伎座等を手がけ、和風建築の設計に手腕を発揮した人物である。
                 
    本堂(釈迦堂)       庫裡?         楽堂

地図5
     

15:55 護国院を出て左方向に道なりに進み、清水坂へ
     坂近くに弘法大師にちなむ清泉が湧いていたことから名づけられたという。
     かっては樹木繁茂し昼でも暗く、「暗闇坂」ともいう。
    

16:00 「森鴎外居住の跡」を経由して不忍池へ
          
                      不忍池

16:15 不忍池辯天堂(谷中七福神の弁財天)
   弁天堂は、寛永寺の伽藍の一つで、天海僧正が寛永寺を創建したときに、竜泉弁天院を開基した備中松山城主
   の水谷伊勢守勝隆とはかり、比叡山の近江の竹生島になぞらえて、不忍池の中に中島を築いて、弁財天をまつっ
   たのが、このお堂だと伝えられている。
   ○八臂大弁財天
     弁天堂に祀られている弁財天は、長寿、福得の神として広く信仰を集め、音曲の神としても有名である。
   ○不忍池
     弁天堂を配した不忍池の風致は江戸の昔から万人の愛する所であり、大正末期には参道の中程に華麗な
     竜宮門ができ、池の中の竜宮城を思わせたが、昭和20年3月の空襲により焼失してしまった。昭和33年、
     本堂を再建した。池の四方八方から見られるようにと八角形のお堂にしたといわれる
         
             弁天堂
           
     八臂大弁財天       大黒天堂

上野恩賜公園の中を上野駅に向かう。

月の松
   寛永寺 清水観音堂の「月の松」は、江戸の名所を描いた歌川広重の連作浮世絵シリーズ「名所江戸百景」に
   「上野山内月のまつ」「上野清水堂不忍ノ池」の2枚に描かれている。
   明治初期の台風で「月の松」は消失したが、2012年12月に復活した。
                      
                 上野山内月のまつ   上野清水堂不忍ノ池

稲荷坂
    

花園稲荷神社(祭神:倉稲魂命)
     

16:45 上野駅(JR、京成)
  雲行きが怪しく、休憩もとらず歩きどうしだった。疲れたーーー。

散策:谷中七福神めぐり(その1)

2015-04-26 14:47:24 | 日記

散策:谷中七福神めぐり(その1)

  2015年4月22日、今日は歩く距離が長いので途中Give Upもありを覚悟して、谷中七福神巡りに挑戦しました。快晴の天気予報は、はずれ、曇り空がほとんどでしたが、気温的にはウォーキングに適していました。そしてGive Upすることなく終着点の上野駅に辿り着きました。非常に疲れたけど、下町情緒あふれる町並みを散策でき、七福神のご利益もきっとあると確信しています。

   恵比寿:正直な心と笑顔、愛嬌を授けてくれる神様
   大黒天:富や出世、繁栄をもたらしてくれる神様
   弁財天:愛嬌、福寿、芸能にご利益を授けてくれる神様
   毘沙門天:ご利益は威光。信者に10種の福を授けると言われる神様
   布袋尊:子育て、子宝の神様
   福禄寿:人望を授けてくれる神様
   寿老人:延命長寿の神様

   赤字:谷中七福神
   青字:荒川区・台東区の観光課のおすすめ散策スポット
   緑字:観光スポット

   寺院・神社の詳細説明については次のURLで参照してください。
     猫の足あと( http://www.tesshow.jp/index.html )

   参考:距離と所要時間
   

以下が行程です。

行程

地図1
   

10:25 田端駅北口(JR山手線)

北口を出て左方向に都道458号線を進む。

行く手右側にある「保険堂薬局」の手前の侵入禁止の道を右折。

10:30 東覚寺(谷中七福神の福禄寿)
  東覚寺(真言宗豊山派)は、延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に
  当地へ移転したと伝えられます。江戸時代、徳川歴代将軍の祈願所として栄えた。(本尊:不動明王像)
  ○石造金剛力士立像(通称「赤紙仁王」)
    石造金剛力士立像は、寛永18(1641)年、宗海という僧侶が願主となって江戸市中に流行していた疫病を
    鎮めるために造立されたと伝えられます。身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、
    病気が回復すると信じられ、全身に赤紙が貼られているので、通称赤紙仁王とも呼ばれている。
                 
    東覚寺         石造金剛力士立像   赤紙が張られ何も見えません

10:40 田端八幡神社(祭神:品陀和気命)
  八幡神社は、伝承によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請
  (分霊を他の神社に移すこと)して創建されたものとされています。
              
   記念保存されている石橋   田端八幡神社
                
   稲荷社          富士浅間社       三峰社

「保険堂薬局」の信号まで戻り、都道458号線を渡って直進し、与楽寺に向かう。
与楽寺坂
     

10:55 与楽寺(本尊:地蔵菩薩像)
  与楽寺(真言宗豊山派)は、弘法大師が寺院をこの地に建立したのが始まり。
  ○地蔵菩薩像
    現在は秘仏になっている。(秘仏というのは、信仰上の理由から、通常は厨子の中に納めて一般に公開しない
    仏像、菩薩像をいう。)この地蔵菩薩像は、弘法大師作といわれ、次のような伝承があります。
     ある夜、盗賊が与楽寺に押し入ろうとしましたが、どこからともなく、多数の僧侶が出て来て盗賊を追い返し
     てしまいました。翌朝、本尊の地蔵菩薩の足に、泥のついているのが発見され、地蔵菩薩が僧侶となって盗賊
     を追い出したのだと信じられるようになりました。これより本尊の地蔵菩薩は、賊除地蔵と称されるようにな
     りました。
  ○巡拝塔
    巡拝塔は左側面に「右は六阿弥陀3番道、左は六阿弥陀4番道」との銘があり、この付近の分岐点にあったと
    推定されていますが、現在、門前は整地中で移動されているようで発見できませんでした。
    (六阿弥陀3番目:無量寺。六阿弥陀4番目:与楽寺)
  ○阿弥陀如来像
    阿弥陀如来像は、境内阿弥陀堂に安置されています。阿弥陀如来は女人成仏の本尊として広く信仰を集め、
    「与楽寺」は江戸六阿弥陀参詣の第四番札所ともなっています。
  ○四面石仏
    四面石仏は南北朝時代のもので、密教によって東西南北に配当された如来を、石塔の四面に彫ったものだ
    そうですが、盗難防止とかで建物内に移動されたらしく、発見できませんでした。
          
     与楽寺         空海像

与楽寺に沿って左折。道灌坂に向かう。

11:13 道灌坂を上り向陵稲荷神社に向かう。
   

向陵稲荷坂
   

11:20 向稜稲荷神社(祭神:宇迦之御魂神)
   

開成中学の横をとおり、道灌山通り(457号線)に出て左折。20mほど先の左側の脇道に入る。

11:25 突き当りの左側が「ひぐらし坂」。右側の横断歩道橋を渡る。
    

地図2
     

西日暮里公園
  この辺りの台地は眺めが良いことから、江戸時代から人々の憩いの場所として親しまれているそうだ。
    

公園の中を直進。公園を出て、そのまま直進。

11:35 諏方神社
  祭神:建御名方命
  諏方神社は、元久2年(1202)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建したといいます。江戸期には
  日暮の里<ひぐらしの里>として江戸有数の景勝地としても有名だったといいます。
  「諏訪」とせず、「諏方」と使っているのは古来の表記で、本社で所有する元禄時代の軸に、「諏方大明神」と
  記されている。よって、「諏方神社」の社名を続けている。
          
    諏方神社           御嶽山
    
   映画「俳優 亀山たかじ」の撮影中でした。出演の安田顕。スタッフの多さにびっくり。見物人より多かったかも。
   完成したら見る機会はあるかなーー?

11:40 浄光寺
   浄光寺(真言宗豊山派)の創建年代は不詳ですが、当寺は諏方神社の別当寺であったことから、諏方神社の
   創建年代と同時期の元久2年(1202)前後の創建と推定できます。別当寺とは、神社の境内に建てられた寺院
   で、神仏習合思想の現れである。
   ○「雪見寺」
     眺望のすぐれた諏訪台の上にあって、展望がすばらしく、特に冬の雪景色が美しく眺められることから、
     「雪見寺」と呼ばれている。
        
   ○「将軍腰かけの石」
     元文2年(一七三七)八代将軍童宗が鷹狩りに立ち寄り、それ以後禦膳所となった。
       
   ○地蔵菩薩像、地蔵菩薩立像
     境内左手には元禄4年(1691)に空無上人が勧請した地蔵菩薩像、文化6年(1809)に再建した地蔵菩薩立像
     (江戸六地蔵の一つ)があります。
               
      地蔵菩薩像          地蔵菩薩立像

11:45 浄光寺前の「富士見坂」に入る。
  最近まで地上から富士山が見える坂だったそうだ。「関東の富士見百景」
       

突き当りの「六阿弥陀道」を左折。
法光寺(法華宗陣門流)
   

11:50 南禅寺(臨済宗妙心寺派)
       
    南禅寺          正門横の六阿弥陀道の道標

引き返して「六阿弥陀道」を進む。

12:00 修性院(谷中七福神の布袋尊)
   修性院(日蓮宗)は、境内に仮山を造り多数の花樹を植えた景勝地として「花見寺」とも称され、歌川広重の
   名所江戸百景に描かれている。また谷中七福神の一つで、「日ぐらしの布袋」ともよばれる布袋尊が祀られて、
   寺の塀には四季をモチーフにした布袋尊が描かれている。
      
      
             

さらに進み

12:05 青雲寺(谷中七福神の恵比寿神)
   青雲寺(臨済宗妙心寺派)の地は、江戸時代の中頃より「日ぐらしの里」と呼ばれ、庶民に親しまれて、四季折々
   の花を楽しむ人々で賑わった。そのため青雲寺は修性院・妙隆寺(現、身延山関東別院玉川寺)などとともに、
   花見寺ともいわれていた。また谷中七福神一つの恵比寿神が祀られている。
          
   青雲寺         「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴の筆塚碑
   
   日暮里船繋松の碑

「六阿弥陀道」を引き返し、「島田商店」の手前の道に右折し、「よみせ通り」まで直進。
     
   かわいい猫発見

よみせ通り」を左折。
   由来:大正末、住人も多くなり、色々とお店が調い朝市が立ち、生活必需品が全て揃った便利な活気溢れる
    買い物通りとなり、特に午後からは両側500mにわたり、露店が軒を並べて客を呼び、夕暮れ頃から大道芸人
    の口上が面白く人垣をつくり、下町風情たっぷりの楽しい、商いが競い合う通りとなりました。
    賑やかさは夜の更ける迄続き、憩いの買物通りと評判になり、誰云うとなく露店(夜店)の並んだこの通りは
    「夜店通り」と呼ばれるようになった。
     
12:15 延命地蔵尊
   地蔵菩薩は、長野県南佐久の古刹黄蘗宗玉井山法城院に、今から370年前(寛永年間)より伝わる地元でも
   評判のお地蔵さまでしたが、地元出身の篤信家の方がお寺にお願いして、昭和8年(1933年)当地にお移し
   して安置お祀りした名高い延命地蔵尊菩薩です。
          

12:20 よみせ通りを進み、「谷中ぎんざ通り」に入る。
       
   ○七福猫
     東京芸術大学の院生3人が製作した木彫りの七匹の猫。(七匹探すと幸せが・・・)
                          
   天ぷら「初音家」の屋根(スミちゃん)   越後谷酒店の屋根(スミちゃん)
   
   武蔵屋豆腐店の店頭(阿にゃん&吽にゃん)
               
   茶問屋「金吉園」の店の中(クロ)   金吉園の店の中(タマ)
            
   満満堂の店頭(いす猫)
   ○おいてある場所は、変化するらしいが、すべて発見。たっぷりとひやかしながらブラブラしました。

「夕やけだんだん」に入る前の道(六阿弥陀道)を右に曲がり、右手に本授寺がある。

12:50 本授寺(顕本法華宗)
       

戻って「夕やけだんだん」に入る。
   夕焼けが美しい階段ということと、下町情緒が感じられる名前として、作家の「森まゆみ」が命名した。
              

12:55 延命院(日蓮宗)
     

12:56 経王寺
   経王寺(日蓮宗)の本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られている。
          

13:00→13:35 食事休憩

13:40 本行寺
   本行寺(日蓮宗)は、景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれていた。小林一茶はしばしば当寺を
   訪れ、「青い田の、露をさかなや、ひとり酒」などの句を詠んでいるとのこと。
                

御殿坂を下って、下御隠殿橋へ
   坂の名の由来:御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠所)がこの先にあったからと言われているが根拠はない。
     

13:50 「下御隠殿橋」(トレインミュージアム)
   「しもごいんでんばし」の中ほどにトレインミュージアムと呼ばれるバルコニーがあり、新幹線、特急列車、
   山手線、京成線の列車を見ることができる。
              

散策::谷中七福神めぐり(その2)に続く。

府中の名木巡り(武蔵野台周辺散策)

2015-04-03 14:56:47 | 日記
府中の名木巡り(武蔵野台周辺散策)

 2015年4月2日、東郷寺の枝垂桜を見るのが主目的で、武蔵野台周辺の府中の名木100選に選ばれている木を見に出かけた。近辺の桜の開花に合わせたのが敗因、残念ながら東郷寺の枝垂桜は見どころ時期を過ぎていました。名木も廻った時期が悪く、葉がまだ出ていない状態の木が多数ありました。しかし、多摩川べりの桜などは見事に満開でした。(赤字は府中名木100選)

[行程]
       
   地図1           地図2
      
   地図3           地図4

武蔵野台駅(京王線)
↓160m 徒歩2分
小勝家のカキ(ゼンジマル)(白糸台4-21-7)
 個人宅敷地内なので一声かける必要あり。立派な玄関からも見える
    
↓250m 徒歩4分
いききの道のヤブツバキ(府中30景)
   これが府中30景?はずかしいなーー。
     
↓270m 徒歩4分
本願寺のケヤキ、サイカチ(門前)、サルスベリ
             
     ケヤキ         サイカチ
   
   サルスベリ
   ○本願寺は、源頼朝が奥州合戦の際に持ち帰った藤原秀衡の守本尊の薬師如来を祭ったのに始まるとされる。
    
   ○車返の名の由来碑
    現在の地名である車返は薬師如来を運んできた車を返したことにちなんでいるといわれる。
     
   ○いききの道
    「いききの道」とは「行き来の道」ということ。行ったり来たり往来が多かったということであり、古い街道の名残です。そもそもは、
    品川方面から武蔵国府(府中)を通って甲斐の国府(甲府)へと向う道だったようで、多摩川上流で伐採された木を筏にして下流へ
    運んだ人々が、帰路に辿ったことから、「筏道」の別名もあります。ヤブツバキが美しいことから、「府中30景」にも選ばれています。
↓150m 徒歩2分
車返八幡神社のスダジイ
    
   
   車返八幡神社  祭神:品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけのみこと)
              品陀和氣命:第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神)
              天正年間(1573-93)に本願寺守護神として本願寺境内に建てられた。
↓190m 徒歩3分
おっぽり坂
 「おっぽり坂」の名は、大雨の折に水の流れにより自然に掘られた大堀に由来すると言われている。
      
↓250m 徒歩4分
諏訪神社のシラカシ
        
    
   諏訪神社 祭神:建御名方神(たけみなかたのかみ)
          諏訪因幡守なる者が屋敷を構えその鬼門除けに当社を祀ったという。
  ○はけた坂
   「はけた」は府中崖線を俗に「ハケ」と呼ぶことに由来し、この辺りを「はけた」と呼んでおり、坂名もその呼び名をとっている。
   
↓205m 徒歩3分 馬場家のカキ(白糸台6-45-1)は住宅が建ち撤去された。
田んぼ道
  「田んぼ道」の名は、この道が田んぼの中を通っていたことに由来する。
      
↓805m 徒歩11分
押立神社のイチョウ、クロマツ
                                      
    イチョウ(これが名木と呼べる?)      クロマツ
      
    押立神社 祭神:稲倉魂命
           慶長年間に山城国の伏見稲荷大社の分霊を鎮祭したのが創建。
           万葉の昔より「てつくりの里」と歌われた土地柄故に「手津久里稲荷」と称していた。
↓110m 徒歩2分
押立の名の由来碑(押立文化センター入り口前)トイレ利用可。
 村内の水田が多摩川の洪水により押し切られたことによるとか、人名によるとかの説がある。
         
                  押立歩道橋
↓1320m 徒歩17分
勘左橋(かんざばし)の碑
     
  橋の名は、橋が関田勘左衛門という江戸時代の商人が造った舟着場(勘左河岸)の上流に架かっていたことに由来する。
  ○小柳遊歩道
↓120m 徒歩2分
小柳庭球場
     
     89 YASUKO
  ○お助け松(5丁目33の案内だが撤去されたようだ。) 
    幕末に洪水があり、逃げ場を失った村人がこの松にすがりつき、命をとりとめたものだそうです。
↓270m 徒歩4分
小柳公園
     
↓260 徒歩4分
多摩川べり
                 
    多摩川かぜのみち          多摩川緑地3/6
                    
    鷹を飛ばしている人がいました。    多摩川通り
↓780m 徒歩10分
競馬場前駅
↓365m 徒歩5分
松山橋の碑
   橋の名は、この辺り一帯が松山だったことに由来する。
              
                   小柳遊歩道
↓180m 徒歩3分
柳原神社
    
   祭神:寒川大明神(さむかわだいみょうじん)、寒川比古命(さむかわひこ)、寒川比女命(さむかわひめ)
      昭和34年(1959年)4月10日に、今上天皇と美智子皇后のご成婚の儀を記念して、建立されたとし、相模國の寒川神社よりご分霊
      を勧請したとしている。
↓100m 2分
二ケ村緑道
     二ケ村緑道は昔、府中用水の1つ、二ケ村用水でした。旧常久村・押立村、2つの村のかんがい用水なので、二ケ村用水と
     呼ばれた。
     
↓360m 徒歩5分
石井神社のクヌギ
          
            石井神社 祭神:石筒之男命・品陀和気命・倉稲魂命
                   由緒:創建年代等不詳。
↓375m 徒歩5分
小田分道(おだぶんみち)の碑
   道の名は、小田分村を通る道であったことに由来する。
     
↓200m 徒歩3分
東郷時のシダレザクラ、イロハモミジ 
            
     シダレザクラ         イラハモミジ
    
    東郷寺山門
   ○日蓮宗の寺院。東郷平八郎の別荘跡に建立された。
   ○境内東側にある山門は荘厳かつ巨大なもので、2010年度の東京都選定歴史的建造物に指定されている。黒澤明監督の映画
    『羅生門』に登場する門のモデルになったといわれる。
   ○門前の枝垂桜
    門前に枝垂桜(しだれざくら)の大木が数本ある。日蓮宗の総本山である身延山久遠寺から苗を移植したもので、満開の
    花を咲かせ代表的な桜の名所となっている。
   ○東郷寺のシダレヤナギ(台風で折れてしまい撤去された。)
↓70m 徒歩1分
かなしい坂の碑
   承応三年(1654)に完成した玉川上水の工事で、導水がこの辺りの坂で地中に浸透してしまい、工事は失敗に終わったと
   言われている。工事の責任を問われ処刑された役人が「かなしい」と嘆いたことからこの名がついたと言われる。
          
↓160m 徒歩3分
府中段丘(ハケ)のアカシデ。  未発見(撤去されたようだ。)
      
↓340m 徒歩5分
多磨霊園駅(京王線)