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散策:錦糸町駅から両国駅

2018-01-06 10:25:28 | 日記

散策:錦糸町駅から両国駅

 2018年1月4日、今日は、正月の運動不足を解消しようと、錦糸町駅から両国駅まで歩くことにしました。

 地図1

10:40 JR錦糸町駅南口

駅前の伊藤左千夫の歌碑

   左千夫は明治半ばからこの地で牛を飼い、搾乳業を営んだ。

 江東橋2丁目交差点から

 大横川から

11:03 勝海舟旧居跡の案内板(墨田区江東橋保育園の横)


北斎通り(北斎ギャラリー)

 街路灯には北斎の絵の複製

11:11 山岡鉄舟旧居跡の案内板(堅川中学校の門の横)


 地図2

11:25 野見宿禰神社

  神社の東側に初代高砂親方の部屋があったとき、初代高砂親方の尽力により、明治17年に
    津軽屋敷の跡地に創建された。相撲の神様として野見宿禰(のみのすくね)が祀られた。
    野見宿禰は出雲の人、第十一代垂仁天皇(すいにん)に命じられ、相撲日本一を豪語していた
    当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲をとり、勝った人。
 歴代横綱の石碑

11:30 緑町公園
 江川太郎左衛門屋敷跡前(高札)

 南割下水(高札)

 津軽家上屋敷跡(高札) 陸奥弘前藩上屋敷跡地

 葛飾北斎誕生の地(高札)


11:55 ひがしん北斎ギャラリーの壁
        「ひがしん北斎ギャラリー」や「すみだ北斎美術館」によらなくてもこの壁の絵で
          満足します。

 富嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見

 風流隅田川八景 両国の夕照

 新板浮絵 両国橋夕涼花火見物之図

 両国夕涼

     

12:00 榛稲荷神社(はしばみ いなり)

  江戸時代当地周辺には榛馬場と呼ばれた武術練習場があり、練習場の土手に榛の木が植えてあり、
    この榛の木の傍に祀られて榛稲荷神社と呼ばれていたという。
 榛馬場跡(高札)

 葛飾北斎住居跡(案内板)


12:10 勝海舟誕生の地(両国公園内)
 

12:23 芥川龍之介文学碑(両国小学校の角)


 文学碑の横にあった古い錨。


12:28 吉良邸跡(本所松坂町公園) 
         吉良邸跡保存会の人達のおかげできれいに整備されていました。
   

 みしるし洗いの井戸

↓                          
12:35 回向院
 

 力塚

   鼠小僧次郎吉の墓

 猫塚


12:53 芥川龍之介生育の地の案内板(横綱横丁の入口)



12:55 横綱横丁  「安美」でちゃんこ定食

   「ちゃんこ」は苦手だと言っていた連れは、「両国に来たのだから挑戦だー」と
   「海鮮ちゃんこ」を注文。感想は「普通のお鍋だ。」だった。


13:45 JR両国駅(横綱横丁の突き当り)

  ここで今回の散策は終了だったが、時間も早いし、がんばって「旧安田庭園」に足を
   伸ばすことに。

 

両国駅



両国国技館前

 今日は、横綱審議会の貴乃花の理事解任決定の日、報道陣がたくさん集まっていました。
 相撲博物館の前の横綱像、日馬富士の物は撤去されていますね。


旧安田庭園

 もと常陸国笠間藩主本庄因幡守宗資により元禄年間(1688~1703)に築造されたと伝えられる。
  かつては隅田川の水を引いた汐入回遊式庭園として整備され、明治維新後は、旧備前岡山藩主
  池田侯の邸となり、次いで安田善次郎氏の所有となった。氏の没後大正11年東京市に寄附され、
  関東大震災後、太平洋戦争を経て東京都から墨田区に移管され、全面的改修を行い、復元、
  開園した。現在は、ポンプにて人工的に潮入が再現されている。


 水没箇所が発生したため、現在は「心字亭」や「潮入茶屋」方面の半周は
  封鎖されていていけません出した。

 

 

   駒止石

 駒止井戸

 


JR両国駅


 今回の散策は距離が短かったのだが、運動不足がたたり、1万歩超えた程度でしたが、
ちょっと限度を超えた散策でした。この散策コースは、本物の跡地等があるわけではなく、
案内板のみなので、面白みがありませんでした。旧安田庭園に足を伸ばして正解でした。

 

コメント
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