ドライブ:「北関東自動車道」と「ひたちなか市」
2015年6月10日、何にも面白いものはないと聞いてはいるが、近場なのに一度も走ったことがない北関東自動車道を高崎JCTからひたち海浜公園ICまでを全線走破した。
最終地ひたちなか市では、市の観光名所を訪ねた。
本当に北関東自動車道は見るべきものが・・・・・。でも、ひたちなか市では阿字ヶ浦の白い?海岸、酒列磯前神社(さかつらいそざきじんじゃ)の参道、中生代白亜紀層の海岸、波音に心が洗われた一日でした。
以下が行程です。
高崎JCT:北関東自動車道
↓13.6Km 8分
波志江PA
ミニストップがある。
群馬のお土産も揃えており、上毛三山のひとつ、名峰赤城山を眺められるPA。
赤城山?
↓35.2Km 21分
出流原PA
自動販売機のみのPA。
↓5.6Km 4分
岩舟JCT:東北自動車道
↓13.6Km 9分
栃木都賀JCT:北関東自動車道
↓8.6Km 6分
壬生PA
エリアは無人、自動販売機のみ。隣接して「道の駅みぶ」がある。
道の駅みぶ こんな展示も(こんにゃく作り)
↓48.9Km 29分
笠間PA
商業施設および沿線唯一のガソリンスタンドが設置されている。
「大地のたまご」
北関東自動車道の建設工事中、このままの形で埋まっていた花崗岩。
笠間稲荷の藤(分枝された。)
↓23.1Km 14分
水戸南IC:東水戸道路
↓10.2Km 7分
ひたちなかIC:常陸那珂有料道路
↓2.9Km 3分
ひたち海浜公園IC
↓
地図 1
↓
茨城百景碑 阿字ヶ浦海岸
さわやかトイレ 阿字ヶ浦海岸
黒沢忠次翁 銅像
湊鉄道を阿字ヶ浦まで延長に努力し、「浜渚」を「阿字ヶ浦」と命名することを進言し、阿字ヶ浦を世に広めた。
↓
地図 2
↓
酒列磯前神社(さかつら いそざき じんじゃ)
御祭神は 少彦名命 大名持命(大国主命)
参道の樹叢(じゅそう)) (木はタブの木と椿が主。)
タブの木(霊が宿る木と言われている。)
水戸藩第九代藩主 水戸斉昭公お腰かけの石
リスとブドウの彫刻(左甚五郎の作と伝わっている。)
↓
比観亭跡
水戸藩第六代藩主徳川治保公が酒列磯前神社を訪れ,その際、東方の高台より眼前に広がる大海原と白砂青松の海辺を景勝の地として賞賛し、その地に東屋を建てさせ「比観亭」と名づけた。
比観亭跡碑 比観亭跡からの阿字ヶ浦
↓
地図 3
↓
畜生岩
この岩にはもう一つ逆列(さかつら)石という別の呼び名がある。酒列磯前神社の名前のもとになったのが「逆列石」といわれている。逆列石がある磯の神社なので酒列磯前神社。
そしてこの逆列石の意味。このあたりの岩礁の岩は、南向きに傾いていますが、この列だけが北向きにかたむいている。つまり、逆さに列なった岩というわけです。
↓
中生代白亜紀層
南を向いている。
↓
観濤所 碑
茨城県栽培技術センターのカーブ付近に独立行政法人情報通信研究機構平磯太陽観測センターの看板の道に入り、登る途中に車を2・3台置ける駐車場がある。車を置いて階段をあがり林の中を抜けると観濤所がある。
彫金家の海野美盛が彫った鍔(つば)を見た徳川斉昭公が、その構図が本当に海を見て彫ったものと知り、この地を訪れ、その雄大な景観に感動し、水戸藩内随一の波浪の見どころとして「観濤所(かんとうじょ)」と命名し、水戸八景の番外景勝地として碑を建てさせたといわれている。
観濤所碑への道 観濤所から海を望む
↓
清浄石
清浄石は古くは阿字石・護摩壇石と呼ばれていた。
清浄石と名づけたのは徳川光圀公といわれている。昔からこの付近の岩礁は神聖なものとされてきたということが、酒列磯前神社御由緒記の碑文の中にも記されている。
清浄石碑
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平磯白亜紀層
平磯から磯崎にかけての海岸には、約40度に傾斜した岩礁が連なっている。
この地層から化石(アンモナイト・翼竜)が出土され、地層は中世代白亜紀のものということ。
平磯白亜紀層見学の駐車場の目印
↓
網のし場跡碑(網のし唄の碑)
平磯のマグロ漁は明治の頃は全国的に有名であった。海上では櫓漕ぎ唄として「船甚句」が、陸では目のし作業にあった「網のし唄」が唄われた。
↓
高磯
平磯一の景勝地「高磯海岸」。巨岩が列を成して海中へ続き、一際大きな岩の頂上に葦ずを以って東家を築き、その眺望を茶を嗜みながら愛でる事ができ、風景も天下一品と海水浴客に人気を博していた。その想像もできない現在の高磯。
↓
地図 4
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那珂湊お魚市場
人気店「海門」で遅い昼食を。遅かったので人気メニューの「まかない丼」は終了。残念だったが、他のメニューも大変おいしくいただきました。それから屋台?の生ガキを食しました。連れはうまいうまいと大満足。私は苦手なので一口口にしましたが、「うん、これならいけそう。」
↓
地図 5
↓
湊公園(い賓閣跡)
水戸藩第2代藩主徳川光圀公の命により元禄11年(1698)に建設された水戸藩別邸。建物は元治元年(1864)騒乱で焼失してしまったが、明治30年に湊公園として整備された。
与謝野晶子・小山いと子の文学碑
与謝野晶子が3代目の橋を短歌で詠む。
小山いと子は小説「海門橋」で4代目の橋を描いている。
碑の横からの海門橋
湊公園の松
湊公園の松は徳川光圀公が現在の兵庫県須磨明石より移植しものらしい。
湊八景史跡「日和山秋月」(ひよりやまのあきのつき)
い賓閣跡碑 天然記念物湊御殿の松碑
い賓閣とは水戸藩の迎賓館で大切なお客様をもてなすという意味がある。
湊の発展に努力した宮原庄介の像
イワレンゲ保護所 イワレンゲ
○通行止めで「眼鏡橋」「草薙神社」には行くことができませんでした。二番目に見たかったのに残念。
↓
地図 6
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海門橋
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大洗観光協会
アライッペ
大洗観光協会でしか購入できない「アライッペ」グッズを求めて観光協会へ。
体はシラス、顔にはハマグリ。なんかちょっと、不気味。
観光協会前の大洗海岸
大洗磯前神社
○大洗磯前神社に打ち寄せる大波を見ていると、心が洗われるようで、何時間でも見ていたい気分になりました。
↓
水戸大洗IC:東水戸道路
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北関東自動車道
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常磐自動車道
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自宅へ
○行程のほとんどは連れの運転。私は昼食にビールを飲み、ほろ酔い加減。でも、長い行程で疲れました。お疲れ様でしたーーー。
2015年6月10日、何にも面白いものはないと聞いてはいるが、近場なのに一度も走ったことがない北関東自動車道を高崎JCTからひたち海浜公園ICまでを全線走破した。
最終地ひたちなか市では、市の観光名所を訪ねた。
本当に北関東自動車道は見るべきものが・・・・・。でも、ひたちなか市では阿字ヶ浦の白い?海岸、酒列磯前神社(さかつらいそざきじんじゃ)の参道、中生代白亜紀層の海岸、波音に心が洗われた一日でした。
以下が行程です。
高崎JCT:北関東自動車道
↓13.6Km 8分
波志江PA
ミニストップがある。
群馬のお土産も揃えており、上毛三山のひとつ、名峰赤城山を眺められるPA。
赤城山?
↓35.2Km 21分
出流原PA
自動販売機のみのPA。
↓5.6Km 4分
岩舟JCT:東北自動車道
↓13.6Km 9分
栃木都賀JCT:北関東自動車道
↓8.6Km 6分
壬生PA
エリアは無人、自動販売機のみ。隣接して「道の駅みぶ」がある。
道の駅みぶ こんな展示も(こんにゃく作り)
↓48.9Km 29分
笠間PA
商業施設および沿線唯一のガソリンスタンドが設置されている。
「大地のたまご」
北関東自動車道の建設工事中、このままの形で埋まっていた花崗岩。
笠間稲荷の藤(分枝された。)
↓23.1Km 14分
水戸南IC:東水戸道路
↓10.2Km 7分
ひたちなかIC:常陸那珂有料道路
↓2.9Km 3分
ひたち海浜公園IC
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地図 1
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茨城百景碑 阿字ヶ浦海岸
さわやかトイレ 阿字ヶ浦海岸
黒沢忠次翁 銅像
湊鉄道を阿字ヶ浦まで延長に努力し、「浜渚」を「阿字ヶ浦」と命名することを進言し、阿字ヶ浦を世に広めた。
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地図 2
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酒列磯前神社(さかつら いそざき じんじゃ)
御祭神は 少彦名命 大名持命(大国主命)
参道の樹叢(じゅそう)) (木はタブの木と椿が主。)
タブの木(霊が宿る木と言われている。)
水戸藩第九代藩主 水戸斉昭公お腰かけの石
リスとブドウの彫刻(左甚五郎の作と伝わっている。)
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比観亭跡
水戸藩第六代藩主徳川治保公が酒列磯前神社を訪れ,その際、東方の高台より眼前に広がる大海原と白砂青松の海辺を景勝の地として賞賛し、その地に東屋を建てさせ「比観亭」と名づけた。
比観亭跡碑 比観亭跡からの阿字ヶ浦
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地図 3
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畜生岩
この岩にはもう一つ逆列(さかつら)石という別の呼び名がある。酒列磯前神社の名前のもとになったのが「逆列石」といわれている。逆列石がある磯の神社なので酒列磯前神社。
そしてこの逆列石の意味。このあたりの岩礁の岩は、南向きに傾いていますが、この列だけが北向きにかたむいている。つまり、逆さに列なった岩というわけです。
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中生代白亜紀層
南を向いている。
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観濤所 碑
茨城県栽培技術センターのカーブ付近に独立行政法人情報通信研究機構平磯太陽観測センターの看板の道に入り、登る途中に車を2・3台置ける駐車場がある。車を置いて階段をあがり林の中を抜けると観濤所がある。
彫金家の海野美盛が彫った鍔(つば)を見た徳川斉昭公が、その構図が本当に海を見て彫ったものと知り、この地を訪れ、その雄大な景観に感動し、水戸藩内随一の波浪の見どころとして「観濤所(かんとうじょ)」と命名し、水戸八景の番外景勝地として碑を建てさせたといわれている。
観濤所碑への道 観濤所から海を望む
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清浄石
清浄石は古くは阿字石・護摩壇石と呼ばれていた。
清浄石と名づけたのは徳川光圀公といわれている。昔からこの付近の岩礁は神聖なものとされてきたということが、酒列磯前神社御由緒記の碑文の中にも記されている。
清浄石碑
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平磯白亜紀層
平磯から磯崎にかけての海岸には、約40度に傾斜した岩礁が連なっている。
この地層から化石(アンモナイト・翼竜)が出土され、地層は中世代白亜紀のものということ。
平磯白亜紀層見学の駐車場の目印
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網のし場跡碑(網のし唄の碑)
平磯のマグロ漁は明治の頃は全国的に有名であった。海上では櫓漕ぎ唄として「船甚句」が、陸では目のし作業にあった「網のし唄」が唄われた。
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高磯
平磯一の景勝地「高磯海岸」。巨岩が列を成して海中へ続き、一際大きな岩の頂上に葦ずを以って東家を築き、その眺望を茶を嗜みながら愛でる事ができ、風景も天下一品と海水浴客に人気を博していた。その想像もできない現在の高磯。
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地図 4
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那珂湊お魚市場
人気店「海門」で遅い昼食を。遅かったので人気メニューの「まかない丼」は終了。残念だったが、他のメニューも大変おいしくいただきました。それから屋台?の生ガキを食しました。連れはうまいうまいと大満足。私は苦手なので一口口にしましたが、「うん、これならいけそう。」
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地図 5
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湊公園(い賓閣跡)
水戸藩第2代藩主徳川光圀公の命により元禄11年(1698)に建設された水戸藩別邸。建物は元治元年(1864)騒乱で焼失してしまったが、明治30年に湊公園として整備された。
与謝野晶子・小山いと子の文学碑
与謝野晶子が3代目の橋を短歌で詠む。
小山いと子は小説「海門橋」で4代目の橋を描いている。
碑の横からの海門橋
湊公園の松
湊公園の松は徳川光圀公が現在の兵庫県須磨明石より移植しものらしい。
湊八景史跡「日和山秋月」(ひよりやまのあきのつき)
い賓閣跡碑 天然記念物湊御殿の松碑
い賓閣とは水戸藩の迎賓館で大切なお客様をもてなすという意味がある。
湊の発展に努力した宮原庄介の像
イワレンゲ保護所 イワレンゲ
○通行止めで「眼鏡橋」「草薙神社」には行くことができませんでした。二番目に見たかったのに残念。
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地図 6
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海門橋
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大洗観光協会
アライッペ
大洗観光協会でしか購入できない「アライッペ」グッズを求めて観光協会へ。
体はシラス、顔にはハマグリ。なんかちょっと、不気味。
観光協会前の大洗海岸
大洗磯前神社
○大洗磯前神社に打ち寄せる大波を見ていると、心が洗われるようで、何時間でも見ていたい気分になりました。
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水戸大洗IC:東水戸道路
↓
北関東自動車道
↓
常磐自動車道
↓
自宅へ
○行程のほとんどは連れの運転。私は昼食にビールを飲み、ほろ酔い加減。でも、長い行程で疲れました。お疲れ様でしたーーー。