gooブログ<大分北部~東部海岸をめぐるカヤッククルーズ>

古から南蛮貿易で海外文化を齎した大分の海(瀬戸内の豊前海~別府湾~豊後水道~日向灘)をカヤッククルーズで紹介します。

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ch 390972
梶寄から”先ノ瀬”・”舵掛瀬”、”鶴御崎”ショートクルーズ
 H29.4月、今年最初のクルーズは鶴見半島の”梶寄浦”から大島沖の”先ノ瀬”、”舵掛瀬”と半島先端部の”鶴御崎”とした。当日10時過ぎ、干潮の潮止まりが切れ掛かる頃、”元ノ間海峡”を通過(中央灯台の手前側と灯台の向こう側縦走の後)し、大島・”立花埼”に掛かる。”立花埼”から島沿い前方(”壇ノ鼻”)に形のいい風穴が目に飛び込んでくる。近づくとこの風穴、縦横巾、深度もかなりあって、景観を楽しみながら割と楽に通過できる。この風穴を過ぎて、右手沖(1㎞位か)に大きな瀬群が突き立っている。手前に横たわるのが”舵掛瀬”でその先の灯台が立つ瀬が”先ノ瀬”である。これ等の瀬の近くは潮流が複雑で速く漁船が多い。地元の漁師さんにとっては最高の猟場となるのであろう。 11:30前、両瀬群をひと廻りして帰路につく。往路通過した”壇の鼻”の風穴付近を目指して漕ぐが、(14:00満潮予定の)”元ノ間海峡”の潮の動きが気になる。12:00過ぎ、海峡に入り海峡中央の灯台の脇を通過して”梶寄浦”に帰着した。  大袈裟な記述と思われるかも知れないが、ここ”元の間海峡”は豊後水道有数の急流で有名なところであり、特に満、干潮の潮止まりの中間の時間帯は流れが激しく、中央灯台の礎石際は波が割れて流れている場所である。当日は稀な小潮で殆ど潮流が動かない日であったようだ。  港の岸辺で昼食を済ませ、13:00過ぎ”鶴御崎”へ向けて海峡の中央部へ漕ぎ出す。海峡の外れで多少の潮の流れに遭遇したが快調に灯台方面を目指して進む。周囲の岩礁にはグレ、石鯛狙いという釣り人が散在して上礁しているが、潮の動きが鈍いせいか釣果はあがっていないようだ。間もなく、”鶴御崎”を廻り込み米水津湾に浮かぶ”横島”を見る位置に到着した。この日豊海岸に聳え立つ”鶴御崎”南東壁の壮大な景観は素晴らしい。 この日穏やかな海を準備してくれた海神に感謝しながら、(15:00過ぎ)梶寄浦に無事帰着した。
更新日時2017-04-07 10:15:04
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ch 390560
門司城跡と城跡から望む景観
 H29.3月、門司城跡を訪ねる機会に恵まれた。夕方17:00過ぎで映像は多少暗いがお許し願いたい。此の門司城は戦国時代博多の貿易権限を狙う中国の毛利氏とそれを阻止したい豊後の大友氏が数次に亘る攻防を繰り返した場所である。城跡からは関門海峡はもちろん海峡を挟んで向う岸の下関から山口の沿岸は間近に見ることができ、東は国東半島も視界の範囲となる。  関門海峡は流れが速く、彼の壇ノ浦合戦では潮の動きに乗った源氏が平家を打ち破ったところである。城跡から遠目に見ても潮の流れが厳しい様が窺える。この城跡直下、和布刈神社のすぐ先も急流で波立ち、行き交う船舶が白波を上げる。一度漕いでみたい処に間違いはない。
更新日時2017-03-30 15:58:52
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ch 390555
鹿児島・磯庭園と桜島の景観
 h29.2月、鹿児島の島津磯庭園を訪ねた。鹿児島のシンボルの一つ錦江湾に浮かぶ桜島を真正面に見る位置に島津磯庭園”仙厳園”がある。明治維新まで大名として存続し、維新前後にはいち早く西洋の文化、技術を導入しながらも西洋列強に屈することなく、この九州最遠の地から維新以降の国政に参画していった源となったところである。手入れの行き届いた松、梅等の庭園の植え込みの美しさは兎も角、維新前後の技術開発に取り組む姿勢などが隣接する”集成館”の収容物で見ることができる。当時、この錦江湾で西洋列強との貿易を行いつつも、海岸には大砲(フランキー砲)を並べて、列強を威圧していた様相も想像できる。歴史好きにはこの上ない場所である。  さて、錦江湾は波もなく穏やかで、天気さえ良ければ最高の漕艇対象となる処の一つと思われるが何分遠い。次にカヤックで訪れる機会が来ることを待つこととしよう。
更新日時2017-03-30 15:04:15
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ch 390550
苅田・松山城跡と豊前海の景観
 h29.2月苅田・松山城跡を訪ねた。戦国時代中国毛利氏は、制海権を駆使して、豊後大友氏と豊前国を巡る攻防を繰り返したが、毛利氏が門司城と並んで重宝した城がこの松山城であった。城跡から眺める景観は見事で陸側180度の範囲では西側に門司、小倉方面が展開し東側に苅田、行橋、国東半島が展開し、海側180度の西側から関門海峡、山口の沿岸、東側に行橋簑島から周防灘が広がる。現在、この松山城の西脇を空港道路が走り、海上の北九州空港へ繋がっている。空港道路に沿って長い砂州が浮かんでいるが、この砂州から門司方面にかけての海岸線も美しい景観である。これまで周防灘は単調な海岸線というイメージがあり漕艇の対象としていなかったが、この日を境として、機会を見つけて漕いでみたい対象の一つとなった。
更新日時2017-04-08 11:35:35
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ch 390508
”蕎麦打ち”と”すき焼き会”
H29正月明けから3月下旬まで集中して取り組んだ九州全県に亘る仕事(地中空洞等調査)も一段落し、H28秋に収穫しておいた蕎麦の加工(蕎麦粉つくり、蕎麦打ち等)を実施した。山の師匠であるS氏が蕎麦を作っているのを知っていたので加工について相談すると快く了解戴いた。当日(3/29)、収穫した蕎麦の一部(2kg程度)と麦酒等を持参、途中で”すき焼き”の材料を仕入れて湯布院のS氏別邸に到着。早速、作業場の薪ストーブに火入れし、暖を取りつつ石臼をセットして蕎麦粉つくりに掛かる。座っての作業だけにきついが物珍しさもあって力が入る。蕎麦粉ができ上がると次は”蕎麦打ち”に掛かる。蕎麦粉に適量の水を加えながら捏ね上げソフトボール大(2名分)の蕎麦団子をつくり、麺棒で延ばしていく。程よく(厚さは作りたい麺高さで切りやすい形が目安)延びたところで、折ってたたんで包丁で切って麺にしていく。このとき左手は添えるだけで、右手の包丁を返しながら・・・となるが、やってみると難しい。包丁使いも経験ですな・・・。麺ができ上がると沸騰した鍋で湯がいて、冷水で冷まして笊に取り上げて完成。 ”すき焼き”の下準備として、大根、ネギ、春菊等の土落としと水洗いを終え、先に露天風呂を使わせて戴く。地元の山石を積んで作った風呂に源泉直引き熱々の温泉である。熱々なので足先からジワーッと入浴するが外気は冷たく心地よい。雪を被る由布岳を眺めながらの入浴は最高。風呂から上がるとS氏の男の料理はほぼ完成の域にあり、氏の風呂上がりを待って、猪肉のすき焼き会開催となった。濃い猪肉の味に麦酒、日本酒が進む。最後の仕上げに笊蕎麦を賞味させて戴いたが、これまでに食した肉の脂分を帳消しにするような生蕎麦感で美味しく戴いた。 翌朝、早朝から朝風呂を戴き、山行きの話等しながら解散した。帰路、車窓から眺めた由布岳を含む景観は菜の花で溢れ、春の訪れを感じた。
更新日時2017-03-30 16:19:29
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ch 362526
H28冬の収穫
 H28.3 畑で育った冬の実りを紹介しよう。  順番からすると、まずは黒豆(丹波種の黒大豆)、6月下旬に植え付け12月中旬に収穫したが10月末であったかぱんぱんに張ったまだ緑色の実の頃、野生の鹿に襲われ無残にも概ね半分(苗木の真ん中の一番実ったところ)をなくしてしまった。 落胆しつつも、苗木の刈り取り、乾燥、脱穀、選別と進める。選別まで至った豆から外皮の割れたもの等を除外するが、良品は4部余りか。薄い粉吹きで重量感のある黒豆が残った。 普通の大豆より、生産期間は2か月程長く掛かり、手間も掛かる。黒大豆が市場で評価されるのはその実の見事さからであるが、丹波の生産農家の皆さんの手間と情熱の一端に触れさせて戴いた気がする。 次は小豆(北海道種)で、黒豆と同じ期間を掛けたが、花は幾度となく咲き、結実の時期も幾度かに分散する。採取の時期は晩秋一発でないことに気づいた頃には、既に数回の収穫時期を失していた。 時期が来たものを都度収穫するから、不良品は少なく8~9部が良品 であった。 大根、人参は各畳1畳程のスペースに、”100均”で購入した種をすじまきで植えたが、よくできてます。特に大根は”おろし”は辛く、”味噌汁”に入れると最高のうまみ。 早速、春大根を仕込ん(種まき済)で楽しみにしています。 最後に、2~3年前にクヌギの原木に駒打ちしておいた椎茸が、程よい”冬(どんこ)”が出揃っています。”冬”は乾燥して厳しい寒さのなかで育つ肉厚・コリコリの椎茸で山の”アワビ”と呼ばれている。焼いてカボス醤油に浸して食べる、傘にマヨみそで焼いて食べる、天ぷら等食の楽しみ方も増えているようです。  自宅で消費する量のほんの一部にしかならない程度の野菜つくりですが、ついつい熱が入りつつある今日この頃。機会がありましたら、珍しい野菜等つくり方を含めて教えていただければと思います。
更新日時2016-04-12 14:54:17
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ch 360364
H28.2.11 冬の由布岳・お鉢巡り
 H28.2.11晴天の下、冬の由布岳・”お鉢巡り”登山を実施した。本当は、明後日(2/13)実施の予定であったが、天気が崩れる方向に動いていること、何より仕事の都合が取れたことでグループ登山の予定を前倒しにさせていただいた。予定を組んでいただいた”Sリーダ”には大変申し訳なく思っております。 今回は、東登山路から”東峰”、”お鉢巡り”して”西峰”へ登り、正面登山路により下山とした。8:30頃、正面登山路から入山し直ぐに”日向岳”向かいの東登山路方面へ向かった。当日このルートを使う登山者は少なく、ルートの終盤で下山者2組4名に出会っただけの静かな登山であった。この東登山路はそのルート終盤に岩場(鎖場)があり、下山してきたひと組は闊達な女性が先導し、もうひと組は70歳台と思える男性の二人組であったがいずれも軽快なフットワークであった。後者の2名には、「残雪で足元がわるいですね!」と声掛けしたが、「今年は雪が少ない。去年の1/3しかない・・・」と全く問題にしてない様子。お元気でした。 東峰手前の”お鉢巡り”分岐点に入り込むと峰の北側は残雪が10cm程度残っていたが、踏みしめる大岩の背には雪も少なく、無事”お鉢巡り”を終えた。ここでは3組4名の登山者とすれ違ったが、一人で入山している小柄な若い女性は一際元気よく、(下山中にも追い越されたが)大岩を乗り越して進まないといけないこのルートを残雪の残るなか3往復したとのこと・・・。・・・びっくりポン!でした。 (お鉢巡りの)西峰の掛かりは、残雪が割と深く(15cmくらい)、その残雪をすくってかじりながらの登峰であった。 西峰山頂には12:00到着。山頂からの眺めを楽しみつつ昼食のおにぎりをほうばる。この日、東登山路から”お鉢巡り”と経由して西峰に登ってきた二人目は(福岡からだったか)大分へ単身赴任中の男性で、子供を呼んで一緒に山登りをしたいということ、そのために下調べの登山であったこと等談笑した。西峰からの下山にあたっては、横走り、縦走りの”鎖場”を撮影したが、人の写っていない景色は(その状況の)説明が難しい・・・等と思っていると先程の男性が少し遅れて下りてきた。横、縦の”鎖場”をうまく伝っている。 (西峰岩場下山中の雄姿を記録していますので、連絡がとれれば差し上げますよ)・・・14:00正面登山口着。
更新日時2016-02-17 23:39:22
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ch 351265
h27.10 紅葉の久住山、稲星山
 H72.10.23 久住・赤川温泉から紅葉の久住山・稲星山の山歩きを堪能した。”紅葉の久住もいいよ”・・・”秋は赤川温泉から登ってみるか”・・・とのお誘いで久住山を目指した。案内役はいつもの生嶋氏で、氏はつい一週間前紅葉真っ盛りの大船山に登ったばかりであったが、海にかまけて連絡のない小生を気にしてお誘いを戴いたもの。昨冬は牧ノ戸から凍てつく御池、雪の中岳、星生山と踏破したが、久住連山はまだまだ多く、踏破といっても連山のほんの一部を垣間見たに過ぎない。8:30赤川温泉脇から登山路に入ると、いきなりきれいな小川に出くわすが丸太橋と遠景の山の景観美に驚かされる。丸太橋のすぐ下流2m程に温泉が湧き小川の底石を硫黄色に染めている。以後暫くは落葉広葉樹(クヌギ、モミジ等)の林を進むが登山道は整備され登り易く、一面に散らばる紅葉に目を見張らす。一時間も経過すると周囲の樹木も低層樹木となり見晴らしが利くようになる。登ってきた経路を振り返ると結構な高低差があり、緑、銀、紅、黄のコントラストが美しい。(登山道の)左手”肥前ヶ城”(1698m)の急な壁面に、正面を見上げると”久住山”(1787m)の岩場に群生するどうざんつつじが鮮やかな紅葉を見せつける。右手の”稲星山”(1774m)のなだらかな斜面はススキの絨毯に覆われて目に優しい・・・。後ろから(登って来る見えない登山者)の声に押されて岩場を登り切ると、11:30視界が一気に開け、久住山の(ガレ場の)頂上に到着。頂上は別のルート(牧ノ戸からか?)から来たのか多くの老若男女の登山者で溢れ賑わいを見せていた。あいにくの薄曇りであったが、近くに久住連山の各峰と遠くに雲上に浮かぶ”阿蘇山”、”祖母山”のパノラマ展望を満喫した。山頂で持参のおにぎりをほおばりひと息入れると、12:30には次の目標”稲星山”に向かってミヤマキリシマで埋まる登山路を下る。途中までご一緒した若い女性のグループ(約10名)を御池、中岳方面に見送り、”稲星山”の登りにかかる。休憩後の登りで息が上がるが、時折垣間見る中岳側の軽いフットワークに刺激を受けて概ね30分程で山頂到着。黒い溶岩で覆われた山頂部、周囲100m程は硫黄分が多いのかキリシマもドウダンツツジも他植物も生えていない。それだけに100m際の”ハイマツ”の緑、”ツツジ”の紅のコントラストが一際映えていた。
更新日時2015-12-13 22:00:27
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ch 328887
H27冬の(久住)中岳
 H27.2 一泊二日で予定した冬の久住登山を地域の行事で潰して、この冬は無理か?・・・との思いを抱きかけたとき、”ショートコースで行くか”とのお声掛けを戴いた。(当日のガイド役は”大分●●山岳会の生嶋氏で、四季の(大分の)山々を熟知する山の名人の一人。)・・・”天候の具合も曇で夕方から雨が降り始める”との予報であったが、冬山の入口だけでもとの思いから”牧ノ戸から星生山の縦走”の計画で入山した。 予定より早く”牧ノ戸”から”沓掛山”経由で”星生山”のすぐ麓に到着した。ここまで来たらやはり”御池”と”中岳”を見るところまでは行きたい・・・。冬場にしては多い入山者の流れに合わせて上っていくと間もなく”御池”、”中岳”を望むポイントに到着。 冬の”御池”は凍り付き、この景色を楽しむ登山客は歓声を上げる。 その”御池”から”中岳”までは遠くない。久住連山最高峰の”中岳(1791m)”から望む周囲の山々(三俣山(1745m)、平治岳(1643m)、大船山(1766m)、稲星山(1774m)、久住山(1767m)・・・)のパノラマは圧巻。  先を急いだ冬の久住(登山)もこれから折返しになる。(御池まで下って、昼食のおにぎりをむさぼる) 稜線伝いに”天狗ヶ鼻(1780m)”、”星生山(1762m)”を縦断する。たらたらと登った”天狗ヶ鼻”から見下ろす凍り付いた御池、硫黄山の噴煙が印象に残る。”天狗ヶ鼻”から”久住分かれ”に下り、ガスで霞む”星生山”へ向かう。”肥後ヶ城”方面から吹き込む横風がきつい。登りの急角度と積雪と流れ込むガスで本日一番の難所となった。先を行く生嶋氏は慣れたもので、ぐいぐいと引っ張るが後を追う小生はヒイーヒイー言いながらついていく・・・。遥かに望んでいた山頂にようやく到着。先程登って行った”星生山”沿いの登山路はガスで霞んで見えない。吹き上げる風に妨げられて最短ルートでの下山は諦めざるを得ず、稜線伝いに馬酔木の低木林を下る・・・。間もなく(けっこうな距離でしたが)下の登山路に下りつき、久住山方面からの下山者群に合流して牧ノ戸へ無事帰着。  帰り道では”久住ヒュッテ”さんに立ち寄り、諤々の膝と腰を温泉に浸し、すっかりと体中の疲れを回復させて戴いた。いやー・・・今回も満足のいく一日でした。
更新日時2015-11-14 16:39:52
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ch 324837
h27別府湾の「初日の出」と「初積雪」
 h27の新年は、窓一杯に別府湾を一望できるホテル「ソラージュ」で迎えた。h26最後の夕食は大分の海、山の幸で飾られ、最後のご飯は地元で獲れた”ちりめん”を湯気のでるご飯にお好み掛けという趣向の凝らされたもの。しばらく間をおいて(21:30から)、別会場で年越しそばとドリンク付きで・・・宿泊者全員参加のビンゴゲームを楽しませてもらった。朝食は正月らしく、ブリと焼餅の雑煮を中心に和・洋バイキングで大賑わい・・・。 忘れていたが、風呂は内風呂こそ無いが海に面した大浴場と外には寒風に湯気をたなびかせる露天風呂があり、大浴場で火照った体と少しアルコールの入った頭をスッキリさせるのにはこの露天風呂が効いた。 ”窓一面が別府湾”という宿の環境に期待して、朝一番(7:00)から、カメラを構えたが7:20過ぎには佐賀関半島の上空に念願の”初日の出”を拝むことができた。海に上る清々しい”初日の出”を拝むのはもう50年振りのことだろうか。 7:30過ぎ、朝食の頃降出した雪は少しの間に降り積もり、瞬く間に周囲は一面銀世界(10cm強の積雪)となった。元旦から清々しい”初日の出”と”初雪”に恵まれたが、h27年今年も佳き年であるようお祈りすることにしよう。
更新日時2015-07-20 12:27:47
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