野尻湖定期船会社
長野県北部の黒姫山の近くにある野尻湖。
かまり小さな湖ですが、戦後はここにも遊覧船を運行する会社が
出来ました。
会社の始まりは昭和23年。
その後の詳細は存じません。
もう一社?と共に、運航してきたようです。
年代不詳 B型硬券 無地 遊覧船 一周券 野尻湖定期船会社
これしか資料がないので、すいません。
これ以上の詳しい検証は出来兼ねております。
野尻湖定期船会社
長野県北部の黒姫山の近くにある野尻湖。
かまり小さな湖ですが、戦後はここにも遊覧船を運行する会社が
出来ました。
会社の始まりは昭和23年。
その後の詳細は存じません。
もう一社?と共に、運航してきたようです。
年代不詳 B型硬券 無地 遊覧船 一周券 野尻湖定期船会社
これしか資料がないので、すいません。
これ以上の詳しい検証は出来兼ねております。
有鉄バス
有田鉄道のバス事業の通称でしょう。
大正初頭から鉄道の運行は開始されましたが、鉄道線は平成14年に廃止になりました。
バス事業は戦後から開始されたようで、現在もやっているようです。
会社自体は鉄道廃止後も続いているようであります。
鉄道硬券が話題にはよくあがりますが、古くは路線バス専用の硬券もありました。
昭和40年代? B型硬券 青TTD地紋 一般式
新子は、和歌山の高野山にも近い花園村にあり、かなり奥地の場所でした。
路線は高野山千手院まで結ばれていたと思います。
連綴の半硬券は多かったですが、しっかりとした硬券もみられました。
昭和40年代の日付の入った硬券を時折拝見することがありました。
新年おめでとうございます。
本年も細々の更新ながらになりますが、
宜しくお願い申し上げます。
中紀バス
昭和8年に由良自動車商会が開始され、戦時には南海バスに統合。
昭和29年に分離して、中紀バスになっています。
国鉄連絡のものを、まま見かけます。
昭和54年 A型硬券 青TTD地紋 一般式 国鉄連絡運輸 由良町
この様式では色違いで、昭和末期のものも拝見していますので、
JR時代にも、またがっていたかも知れません。
由良町は、紀勢本線の紀伊由良から由良町の中心街に入ったバス駅です。
昭和? A型硬券 青TTD地紋 一般式 国鉄?連絡運輸 由良町
これが、上と同じながら赤色の券でした。
昭和? A型硬券 赤TTD地紋 往復券 国鉄連絡運輸 白崎
白崎というバス駅もあり、ここも連絡の指定駅だったようです。
運賃からみて、最上段の券よりも時期は後のような感じです。
廃札だったのでしょうか。
昭和35年 A型硬券 赤TTD地紋 3等 一般式 国鉄連絡運輸 由良町
これは3等様式時代の券。
長距離のものや、都区内ゆきの常備の硬券も存在していたかも知れませんが、
あまり存じません。
また、ここの自社路線内だけのものやB型硬券をまだ当方は拝見しておりません。
太湖汽船
そろそろ沿革なども最低限に略します。
私の調べた(色んな企業体)時期も古く、信憑性も不透明だと
思われますので・・・
明治15年、初代の太湖汽船が設立されています。
昭和2年に合併により琵琶湖鉄道汽船となり、航路は湖南汽船へ渡されました。
後に太湖汽船になりますが、それは初代の会社とは別系統のものです。
大正3年 硬券 無地紋 一般式風 並等 右書き
A型硬券と比べると、横が短いものでした。
船種・種別で色が入るなどバリエーションがあるようです。
あと、これは古く、太湖汽船のものかどうかも不詳ですが、
明治?18年 準硬券 無地紋 汽船往復優待券
これは、全体的に大きめのもので、硬券とも半硬券ともいえる厚さです。
(私の中では半硬券の部類です)
エドモンソン型に沿っていないものは、どうも特段興味が湧いて来ないのであります。
鈴吉汽船
大正末年以降に、石巻山西運輸を継いで金華山への航路を開始したようです。
(参考文献:女川町誌 令和5年に確認)
会社のその後の経過は全く存知ません。
こちらも国鉄連絡運輸をしていた時期があったことは確認しています。
硬券資料は非常に乏しく
昭和42年 B型硬券 黄地紋 一般式 2等
これしかご紹介できません~。
色褪せて見にくいですが地紋はあります。
社名は裏に入っていました。
当時の航路は石巻~鮎川~金華山という経路であったようです。