かつての神童、ストラディヴァリウスと共に旋風を巻き起こす
2008年9月27日
マイケル・ヒューブナー
バーミングハム・ニュース
精力的に活動する24歳のヴァイオリニスト、アウグスティン・ハーデリッヒが来週末、1863年製作のストラディヴァリウスを手に、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏する。
ブラームスの演奏に使用するこのストラディヴァリウスは、かつての所有者だったヴァイオリニスト、故ジョーゼフ・ギンゴールドにちなんで“ギンゴールド”と呼ばれる。ハーデリッヒは2006年度インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールの優勝によって、同楽器を演奏することになった。
しかし、それには条件がある。同コンクールは4年毎に開催され、優勝者がこのストラディヴァリウスを演奏できるのは4年間だけである。
「残念ながらそうなんです」とハーデリッヒは話す。「2年後にはこのヴァイオリンを返さなくてはなりません」
ハーデリッヒはまた、200年前にフランソワ・トゥールテによって作られた弓を日ごろ使用しているが、ブラームスの演奏には別の弓を使うのだという。
「トゥールテの弓はとても軽いので、ロマン派協奏曲の演奏に要求される音量が出せません。ヴァイオリン自体も初期に作られたものなので、音量はけして大きくはありません。だから、楽器から出来る限りの音を引き出せる弓を使う必要があります」
イタリアでドイツ人の両親の元に生まれたハーデリッヒは、幼年時代を神童と呼ばれ過ごした。
「ある年齢に達し、神童と呼ばれる時期が過ぎると、それまで“神童”ということで関心を持っていた人びとは興味を失います。突然、“若さ”は何の意味も持たなくなります」
青少年期を迎えたハーデリッヒは、ヨーロッパ以外の大陸でより大きな成功を見い出す。ジュリアード学院でのアーティスト・ディプローマ取得、カーネギーホールでのリサイタル、フォートワース、東京、ケープタウン、メキシコ・シティなど、各地オーケストラとの共演、またハイドンの協奏曲を納めたCDがNAXOSから発売される。これらの躍進は、ハーデリッヒがかつてヨーロッパで得た名声をしのぐ勢いである。8月28日には、急病で出演をキャンセルしたジュリアン・ラクリンに代わり、ロサンゼルス交響楽団とハリウッドボウルでのデビューを果たした。コンサートの4日前に出演が決まったハーデリッヒに課せられた曲は、難曲で知られるかのプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第二番である。
「とても難しい曲です。でも僕の中に曲が甦ってきました。演奏はとても上手く行きました」とハーデリッヒは話す。
ロサンゼルス・タイムズのリチャード・S.ジネルがハーデリッヒの演奏を次のように評している。「・・・ハーデリッヒは会場の巨大なビデオスクリーンを意識してこれみよがしに大げさな演奏をするタイプの演奏家でもない。けれども、その演奏は聴衆を熱狂に包んだ。」
ジャスティン・ブラウンが前回ブラームスのヴァイオリン協奏曲を指揮した際、ソリストを務めたのは48歳のヴィクトリア・ムローヴァだった。ムローヴァはその堅苦しいとも取れる解釈によって「アイス・クィーン」と呼ばれたこともある。
「ムローヴァの演奏はとても抑制されたものでした」とブラウンは思い起こす。「ハーデリッヒの演奏は、ムローヴァとはずいぶん違ったものになると思います」
2008年9月27日
マイケル・ヒューブナー
バーミングハム・ニュース
精力的に活動する24歳のヴァイオリニスト、アウグスティン・ハーデリッヒが来週末、1863年製作のストラディヴァリウスを手に、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏する。
ブラームスの演奏に使用するこのストラディヴァリウスは、かつての所有者だったヴァイオリニスト、故ジョーゼフ・ギンゴールドにちなんで“ギンゴールド”と呼ばれる。ハーデリッヒは2006年度インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールの優勝によって、同楽器を演奏することになった。
しかし、それには条件がある。同コンクールは4年毎に開催され、優勝者がこのストラディヴァリウスを演奏できるのは4年間だけである。
「残念ながらそうなんです」とハーデリッヒは話す。「2年後にはこのヴァイオリンを返さなくてはなりません」
ハーデリッヒはまた、200年前にフランソワ・トゥールテによって作られた弓を日ごろ使用しているが、ブラームスの演奏には別の弓を使うのだという。
「トゥールテの弓はとても軽いので、ロマン派協奏曲の演奏に要求される音量が出せません。ヴァイオリン自体も初期に作られたものなので、音量はけして大きくはありません。だから、楽器から出来る限りの音を引き出せる弓を使う必要があります」
イタリアでドイツ人の両親の元に生まれたハーデリッヒは、幼年時代を神童と呼ばれ過ごした。
「ある年齢に達し、神童と呼ばれる時期が過ぎると、それまで“神童”ということで関心を持っていた人びとは興味を失います。突然、“若さ”は何の意味も持たなくなります」
青少年期を迎えたハーデリッヒは、ヨーロッパ以外の大陸でより大きな成功を見い出す。ジュリアード学院でのアーティスト・ディプローマ取得、カーネギーホールでのリサイタル、フォートワース、東京、ケープタウン、メキシコ・シティなど、各地オーケストラとの共演、またハイドンの協奏曲を納めたCDがNAXOSから発売される。これらの躍進は、ハーデリッヒがかつてヨーロッパで得た名声をしのぐ勢いである。8月28日には、急病で出演をキャンセルしたジュリアン・ラクリンに代わり、ロサンゼルス交響楽団とハリウッドボウルでのデビューを果たした。コンサートの4日前に出演が決まったハーデリッヒに課せられた曲は、難曲で知られるかのプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第二番である。
「とても難しい曲です。でも僕の中に曲が甦ってきました。演奏はとても上手く行きました」とハーデリッヒは話す。
ロサンゼルス・タイムズのリチャード・S.ジネルがハーデリッヒの演奏を次のように評している。「・・・ハーデリッヒは会場の巨大なビデオスクリーンを意識してこれみよがしに大げさな演奏をするタイプの演奏家でもない。けれども、その演奏は聴衆を熱狂に包んだ。」
ジャスティン・ブラウンが前回ブラームスのヴァイオリン協奏曲を指揮した際、ソリストを務めたのは48歳のヴィクトリア・ムローヴァだった。ムローヴァはその堅苦しいとも取れる解釈によって「アイス・クィーン」と呼ばれたこともある。
「ムローヴァの演奏はとても抑制されたものでした」とブラウンは思い起こす。「ハーデリッヒの演奏は、ムローヴァとはずいぶん違ったものになると思います」