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Musik von Augustin Hadelich

ヴァイオリニスト、アウグスティン・ハーデリッヒの演奏活動Note

インタビュー (naxos.com 2009年7月)

2009-08-08 | Interviews
アウグスティン・ハーデリッヒ ― My Strad and Me
2009年7月30日
スティーブン・シェイファー記





2006年度インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールの優勝者、アウグスティン・ハーデリッヒは、同コンクールで『ロマン派ヴァイオリン協奏曲』、『古典派ヴァイオリン協奏曲』、『ベートーヴェン・ソナタ』、『ベートヴェン以外の作曲家によるソナタ』、『バッハ・独奏曲』、『課題曲』、『アンコール』、『パガニーニ・独奏曲』部門の各賞を受賞。新世代のヴァイオリニストの中で、強い感銘を呼び起こす独自の音を持った演奏家として地位を確立させているハーデリッヒが、スティーブン・シェイファーとのインタビューに応えた。

http://www.naxos.com/news/default.asp?op=621&displayMenu=Naxos_News&type=2


スティーブン: あなたにはずいぶん幅広いレパートリーがあります。Naxosとのレコーディングに当たり、ハイドンのヴァイオリン協奏曲とテレマンの幻想曲を選んだのはどうしてですか?


アウグスティン: 収録した作品もみな大好きな曲ですし、Naxosからはまだレコーディングがなかったんです。ハイドンの協奏曲は、こんなに美しくウィットに富んでいるのに、普段は見過ごされがちです。テレマンの幻想曲は本当に魅力的な小作品で、長年リサイタルでイザーイやパガニーニと一緒に演奏してきました。とても独創的で、無垢な響きがあります。でも、演奏はすごく難しいです!


スティーブン: ヴァイオリニストは皆、演奏する協奏曲にまだカデンツァがない場合は、自分で作曲することもあると思います。でも、あなたはWEBサイト内に(『About』中の『Cadenzas』をクリック)自作のカデンツァの楽譜をいくつも掲載していますね。


アウグスティン: 僕はカデンツァを作曲するのがとても好きなんです・・・実際、カデンツァを書くことで、曲をより深く理解することができるんです!モーツァルトの協奏曲のカデンツァを作曲するのはとっても難しいですが・・・演奏のたびに、大幅に書き直してます。理想的には、カデンツァは興味深くて楽しめるものであるとともに、曲全体のバランスを崩さないよう、作品の中に自然に溶け込むものであるべきです。


スティーブン: 確かに、あなたのレコーディングを聴くと、抑制(例えば、曲に対する敬意と理解)と自由な独創性(例えば、独自の芸術的表現)とのバランスが際立っています。このバランス加減は、演奏する曲によって当然変わってくるのでしょうね。


アウグスティン: 僕は、他のヴァイオリニストと違うように演奏するために意識的に弾き方を変えたりはしません。でも、楽譜を研究し、作曲家がどう感じていたか、どのように曲を聴きたかったか考えるのが大切だと強く信じています・・・また曲の中のどんなささいな事でも、考える価値のないものはありません。でも、誰にでも癖や好みや独特な音があるので、僕の演奏はいつも僕の演奏らしく聴こえるんだと思います。


スティーブン: ヴァイオリニストとして人々の心を掴み、成功を手にするのは非常に難しいことです・・・なにしろ大勢のヴァイオリニストがいて、競争の激しい世界です。いつ、またどうしてヴァイオリンを始めようと思ったのですか?


アウグスティン: 5才の時にヴァイオリンを始めました・・・僕には兄が2人いて、その頃すでにチェロとピアノを弾いてました。それで、僕も音楽をやってみたいと思ったんです。


スティーブン: 誰か、お手本にしていたヴァイオリニストはいましたか?


アウグスティン: 小さい頃からずっとオイストラフのレコーディングを聴いていたので、彼のようになりたいと思ってました。今でも彼の演奏は大好きです。


スティーブン: 競争の世界と言えば、コンクールの是非が論じられています。コンクールを毛嫌いする音楽家たちもいれば、すさまじいプレッシャーの中で実力を発揮する者もいます。あなたの考えはどうですか?


アウグスティン: 僕はずっとコンクールでの演奏が苦手でした。普段のコンサートよりもプレッシャーがずっと大きいし、予選ではたった数分しか演奏できません。次々とコンクールに出場するのは、音楽作りにもけして良いとは言えません。もうコンクールに出なくていいのは、すごく嬉しいです。

でも、コンクールは開催地の人々にはとても楽しいものだと思うし、優勝者に様々なチャンスを与えてくれます。それに、今はたくさんのコンクールがあって、それぞれ課題曲などがずいぶん違うので、ユニークで一風変わったヴァイオリニストが優勝する可能性が増えたのは、いいことだと思います。たいてい、そういうヴァイオリニストが結局は一番おもしろい演奏家だったりするからです!


スティーブン: アルバムのレコーディングとコンサートでの演奏ではどちらの方が好きですか?


アウグスティン: 僕はコンサートでの演奏の方が好きです。会場にいる大勢の人々の存在が特別な雰囲気と興奮を生み出すからです…でも、アルバムの収録が終わり、自分の演奏に満足できた時は最高の気分です。


スティーブン: あなたのストラディヴァリウスとTouteの弓について話してくれますか?


アウグスティン: 今演奏しているヴァイオリンは、1683年に製作されたストラディヴァリウス“Ex-Gingold”で、インディアナポリス・コンクールから借り受けているものです・・・この楽器からたくさんのインスピレーションをもらってます。僕より300歳も年上なんです!


スティーブン: あなたは、コンサート・ソリストとしての活動のほか、室内楽にも参加していますね。多くの演奏家は、室内楽での演奏が一番大変だと言いますが、あなたはどう思いますか?室内楽でのチャレンジ、またそこから得るものは何ですか?


アウグスティン: 室内楽は普段のコンサートとは状況が違います。ふつうは協奏曲のパートの方が難しいですが、室内楽には膨大なレパートリーがある上、演奏の準備期間が短いんです。僕は、どちらの演奏も大好きです。室内楽では、共演する音楽家たちから学ぶことがいっぱいありますし、あんなに美しいレパートリーがありますから。


スティーブン: あなたは今25歳で、音楽を通しての人生の旅に出たばかりです。キャリアの中で達成したい“道標”や“道しるべ”といったものはありますか?


アウグスティン: 僕の夢は、今やっていることをずっと続けていくことです。すばらしい場所を訪れ、すばらしいオーケストラと共にすばらしいコンサート・ホールで、すばらしい観客のために大好きな曲を演奏することです。すごくエキサイティングで報いある人生ですし、とてもラッキーだと思います。でも、一番の願いは、ヴァイオリニストとしていつまでも成長していくことと、音楽を大切に思う気持ちをいつまでも失くさないことです。


スティーブン: 音楽以外には(果たしてプロの音楽家に音楽以外の世界があるのだろうか?)どんなことが好きですか?


アウグスティン: ネットサーフィンをよくしてます・・・僕はパズルがすごく好きで、以前はルービックキューブにハマってました!


スティーブン: ヴァイオリニストとして楽器を演奏する時、音楽は楽器の“内から”、それとも“外から”生まれてくると感じますか? 聞きたいのは、批評家があなたの演奏においても指摘している“演奏家と楽器の極めて親密な関係”についてなんですが、ストラディバリウスにも「気性」があって、注意深く対処しなければいけないのでしょうか?


アウグスティン: ヴァイオリンにも人のように性格や気分の波があると思いたくなるものです。僕もよく自分のヴァイオリンを友達だと思ってます。でも、もちろん実際はただ、木が湿度の変化に反応(伸びたり縮んだり)してるだけです。時折、ヴァイオリンが本当に悲しそうな音を出す時は、修理が必要なだけです!

自分の楽器の状態には、とても敏感でないといけません。楽器のことをよくわかっていると、(湿度や気温などから)その日ヴァイオリンがどんな音がするか、そしてどんなことが可能かわかるんです。前もってそれがわかれば、それに合わせて演奏を調節することができます。


スティーブン: パガニーニの音楽は妙技の代名詞です。でも、ハイドンには、パガニーニほど明らかではないですが、また並外れた技巧的チャンレンジがあります。バッハのソナタとパルティータを知らない者はいませんが、テレマンの幻想曲はそれほど知られていません。聴衆がこぞってブラームスやシベリウスやチャイコフスキーのロマン主義にどっぷり浸る反面、例えば、バルトークやジョン・アダムズやカンチェリにも独特な魅力があります・・・あなたの一番好きな作曲家は誰ですか?またその理由は?


アウグスティン: 一人だけを選ぶのは難しいです。その時によって、変わっていくんです。でも、明らかな面々(バッハ、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、etc.)に加え、バルトークはいつも大好きな作曲家でした。


スティーブン: Naxosから次のレコーディングが予定されているのですか?


アウグスティン: 今のところはありません。でも9月にAVIEレーベルからソロのヴァイオリン曲(バルトークのソロ・ソナタを含む)を納めたアルバムが発売される予定です。


スティーブン: アウグスティン、どうもありがとう。


アウグスティン: ありがとうございます。お話できてとても楽しかったです。



インタビュー(2006年 Violinist.com) 2/2

2009-04-28 | Interviews
インタビュー:アウグスティン・ハーデリッヒ
2006年10月8日
ダーシー・ルイス記





Q.: 大きなコンクールで優勝したことで、周りの態度は変りましたか?


A.: 前より感じが良くなった人もいますし、また逆の人もいます。時折、ジュリアード(ハーデリッヒはまだ正式にはジュリアードの大学院生である)の学生たちと気まずいことがあります。皆、僕が実際よりもずっと自惚れてると思ってるようです。人によっては、僕が何か自惚れたことを言うのを待ってるような気もします。


Q.: 友達とはどんな風に過ごすのですか?


A.: ニューヨークに住んでるので、たいてい一緒に食事に行きます。それと、チェスをするのが好きです。チェスはとても静かな社交法で、心をすっかり没頭させてくれます。気持ちがとても落ち着きます。


Q.: 今、読んでる本は何ですか?


A.: 今は読みかけの本はありませんが、この夏はジョン・アップダイクの「ウサギ」シリーズを読みました(4部作で「走れウサギ」から始まり、「帰ってきたウサギ」「金持ちになったウサギ」そして「さようならウサギ」で完結)。普段は、トーマス・マンやトークンなどフィクションが好きです。


Q.: 大きな大会での優勝後、普段の練習を続けるのは難しいですか?


A.: ええ、今は以前より気が散ることが多いです(笑)。コンクールの次の週はあまり練習できませんでした。でも今は普段どおりの練習に戻りつつあります。やっと違う曲を弾けるようになったのでそれが一番楽しいです。今はドボルザークとメンデルスゾーンの協奏曲を弾いていて、すごく楽しんでいます。

メンデルスゾーンはとりわけ美しい曲です。初心者向けの曲だと思われがちですが、実際はとても難しい曲です。僕はコンクールで弾こうとはけして思わないですが…。

気付いたのは、最近のコンクールでは皆チャイコフスキーとブラームスからしり込みするようになったことです。誰もがショスタコービチ、ショスタコービチ、ショスタコービチです。でも、チャイコフスキーの方がずっと、演奏の中に自分をさらけだすことができます。僕はバルトークの(協奏曲)第二番が大好きで何年も弾いてきましたが、インディアナポリスでバルトークを演奏するのは自分だけだと思っていました。でも(参加者の)リストを見たら、バルトークを演奏する人が大勢いたんです!バルトークの第二番は、ここ数年インディアナポリスでとても良い結果を出しているし、一般的に言って、今人気があるのかもしれません。


Q.: 毎日の練習はどんなものですか?


A.: 僕は朝練習するのが一番いいです。ランチの後は眠くなるんです。それで、ずっと一番効果的に練習する方法はないか考えてきました。今は朝食は部屋で済ませて、時間をセーブしてます。


Q.: そして、スケールか何かでウォームアップをするのですか?


A.: 僕はスケールは特にしません。


Q.: そうなんですか! どうしてですか?


A.: 小さい頃からスケールをする習慣がなかったので、あまり得意ではないんです。楽曲の中にスケールが出てくるのは稀だし、たとえスケールが実際に曲の中にあったとしても、一般的なスケールの練習をしたからといって、曲の難題を解決できるわけではありません。例えば、変ニ長調のスケールを、ただスケールだからと言う理由で何時間も練習するとしても、実際、それが曲の中に出てきたの見たことがありません。スケールは多くの人にとって、とてもためになると思いますし、僕にはあまり効果がないというだけです。けっして、スケールが僕には簡単すぎるという訳ではありません。僕はウォームアップには最新の曲を何分か弾くのが好きです。大切なのは手を温めて、リラックスさせることです。


Q.: 1999年に負った大火傷について話してくれますか?


A.: 1999年、イタリアの両親の農場で火傷を負いました。数カ月間入院し、何度も手術を受けました。 最初の数週間は、身体を回復させるため、人工的な昏睡状態にされました。意識が戻った時は、指一本動かせませんでした。

こんな時、目標はまず生き残ることです。最初はそれ以外はどうでも良かったのですが、またヴァイオリンを弾けるようになるかは全くわかりませんでした。最初の4カ月間は楽器にさわることもできませんでした。実際に弾いてみた時、ただ身体が弱っているだけで、きっとまた弾けるようになるだろうとわかったんです。

幸いにも、僕の左手は無傷でした。ただ全体的な身体の回復が必要だったんです。火傷の治療は時間がかかるし、忍耐が要ります。僕には忍耐力がないし、今はもっとないくらいですが、治療中は耐えるしかありません。ただTVを見たり、よくビデオゲームをしたりしてました。ヴァイオリンを再び弾きだした後も、2年間ほどはあまり勢いはありませんでした。

2003年にラヴィニアのThe Steans Instituteで室内音楽を演奏し、2004年にジュリアードに来る決心をしました。少しずつ練習量を増やしていったんです。


Q.: 苦しかった体験について、よく聞かれますか?


A.: ええ…聞きたくなるのはごく自然なことだと思います。大火傷を負うなんて、人生での大きな出来事ではあります。でも、皆が思うほど、この事故は僕の演奏に影響していません。たいてい誰にでも困難な状況が起こるし、音楽活動を中止せざるを得ないこともあると思います。皆、僕の苦しみが演奏の糧になったと思うようですが、僕はそう思ってません。でも…あるいは、そうだったのかもしれませんが…。

インタビュー(2006年 Violinist.com) 1/2

2009-04-23 | Interviews
インタビュー:アウグスティン・ハーデリッヒ
2006年10月7日
ダーシー・ルイス記





Q: インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールでの優勝は、あなたにとってどのような意味がありますか?


A: 僕が思うには、ヴァイオリニストとって大切なのは、コンサートで美しい音楽を演奏し、観客とそれを分かち合うことで、コンクールで優勝することではありません。コンクールは、各地でクラシック音楽への興味を高めるのには良いですが、僕の知っているヴァイオリニストのほとんどはコンクールに参加するのを嫌っています。ストレスは大きく、物議は絶えないし、他にも様々な問題があるからです。それにコンクールの結果は、最終的には好みで決まります。音楽界において、演奏スタイルが大きく異なるヴァイオリニストが大勢活躍しているのはすばらしいことだと思います。

今回の優勝で、数々のコンサートやCDレコーディング、カーネギー・ホールでのデビューなどを通し、聴衆の心をつかむチャンスが与えられました。僕が本当に望んでいたのはそれなんです。多くの街で、いろんなオーケストラと大好きな音楽を演奏して、存在を知られることです。優勝したことで物事が簡単になるわけではないです。ソリストとしてどうしても認められたいなら、これらのコンサートで、少なくともインディアナポリスと同レベル、もしくはもっと良い演奏をしなければなりません。

でも、僕はとっても幸せだし、けっこう楽観的でいます。インディアナポリスでの優勝で自信ももらえたし、これからやってくる全てのチャレンジを楽しみに思っています。それに、今はすばらしいギンゴルードのストラディヴァリウスがあるので、コンサート・ホールの後方まで音が届くよう、きっと助けてくれるはずです。すでに弾き始めましたが、本当に素晴らしい音色です。


Q: コンクールに向けて、どのように準備を進めたのですが?


A: バッハやバルトークのソロ・ソナタなどを長年弾いてきたので、ある意味では何年も準備してきたとも言えます。このコンクール自体に向けては、4月から準備を始めました。6月にマールボロ音楽祭に参加したのですが、その経験がコンクールのために大きな助けになりました。毎日、室内音楽を少なくとも4時間以上演奏し、それに加えコンクールでのレパートリーを練習していたので、音楽的に大変多くのことを学べたんです。そのおかげで、8月に音楽祭が終わった時点で、とても良いコンディションになっていました。

夏の間は、バルトークの協奏曲に多く時間をかけました。コンサートで演奏するのは初めてだったので。それと、モーツァルトの協奏曲のカデンツァを作曲していました。コンクールが始まった後は、ただ次の演奏のことだけを考えて、睡眠をたくさん取り、食事に気をつけるようにしていました。


Q: これまで他のコンクールに参加もしくは優勝したことはありますか?


A: 大人になってからは、インディアナポリスの前に2回だけコンクールに参加しました。2005年度のエリザベス王妃国際音楽コンクールと、シベリウス国際ヴァイオリン・コンクールです。振り返ってみると、僕の演奏は2005年の5月からとても上達したと思うし、またコンクールという設定での演奏にも慣れて来ていました。コンサートの時は今までひどく緊張することはなかったので、最初のコンクールの第一予選の時、プレッシャーのために極端に緊張してる自分にすごくショックでした。また、エリザベス王妃コンクールはとても威圧的で、参加者に対しても全くフレンドリーな雰囲気じゃありませんでした。あれはカフカ的経験でした。

それに比べ、インディアナポリスよりフレンドリーなコンクールは他にないと思います。聴衆も熱心に応援してくれるし、インディアナポリス交響楽団メンバーの多くも、高い関心を持ってくれていました。それには本当に助けられました。コンクール自体に意味があり、もしも本選に残れなかったとしても、ここに来たことは無駄ではないと感じられたからです。

もちろん、(ラジオでの)ライブ放送がある今、コンクールでの演奏全てを世界中どこからでも聴けるのは、すばらしいことだと思います。ライブ放送のクォリティは4年後にはもっと良くなってると思います。今は、ファイルを小さくするため音が圧縮され、演奏のディテールがずいぶん失われています。音色や音の美しさなどは、ビデオから判断するのは難しいと思いますが…。

シベリウス・コンクールでは、第二予選まで行ったところで運がつきました。この時学んだことは、レパートリー選びがどんなに大切かということでした。それと、コンクールでブラームスのソナタを弾くのは大変まずかったようでした。どんな風に弾いたとしても、審査員の半分は気分を害するからです。ある意味、ブラームスよりは、ラベルやプロコフィエフのソナタを演奏する方が、コンクールでは上手く行くように思います。

インディアナポリスでは、バルトークのソロ・ソナタを選ぶことができました。この曲は長年、得意としてきた曲の1つで、演奏機会も多く、少なくとも2回録音していました。(13歳と20歳の時に録音)


Q: 課題曲には、どれくらい自分の色を加えることができましたか。


A: 6月に初めてブライト・ション の曲(同作曲家に特別に委託された作品)を手にした時は、とても驚きました。ヴァイオリンのパートがとても易しく見え、代わりにピアノは難しい楽節だらけだったからです。僕は他のコンクールの課題曲のように、広範囲にわたる技巧だらけの曲を想像していました(例えば、2006年度のハノーバー・コンクールの曲のように)。でもすぐ、意味をなすようにこの曲を弾くのがどれだけ難しいかわかってきました。結局、第二予選の数日前まで、曲の解釈を考え直していました。

いったん、この曲はとてもユーモアがあって、あまり深刻ぶった曲ではないのだと判断してからは、どんどん曲が好きになりはじめて、今ではとても可愛らしい曲だと思ってます。曲を好きになれないと、何をしても良い演奏はできないと思います。


Q: 男性陣でたった一人後半戦に残った気分はいかがでしたか?


A: 男性で第二予選に残ったのは僕だけだったことを、皆ちょっと騒ぎすぎてたと思います。あまり意味があることとは思わないし、新聞を読むまで男は僕一人だということも気づきませんでした。ある意味良かったのは、そのおかげで僕のことが皆の話題に上ったことです(たとえ、コンクールの結果が発表されるまで、いつも「コンクールに残った唯一の男性」と言われ続けたとしても)それ以外は、別にたいしたことではありませんでした。僕は、男性との競争と同じように、女性との競争も怖いですから。

本選に残ったメンバーとゆっくり話せたのは、結果を待ってた間の40分ほどでしたが、とても感じのいいグループだったのが嬉しかったです。他の参加者は、もっと一緒に時間を過ごそうとしていたみたいです。僕自身は、以前のコンクール経験から、他の参加者と時間を過ごしたら気持ちが乱れることがわかっていました。他の参加者のことは全く考えない方がいいんです。ユラ(・リー)(本選に残った参加者の一人)は夏一緒に過ごして知っていたので、電話で何度か話しました。


Q: 審査員の好き嫌いを気にしすぎないよう、心がけていたことはありますか?


A: 実は、審査員の好き嫌いを考えるのはとても助けになるんです。ただし、コンクールが始まる前に限ってですが。レパートリーを選ぶ時、審査員のリストをじっくり見て、一人一人について僕が知っていることを考えました。例えば、イゴー・オイストラックが(当初)リストに入っているのを見て、どう転んでもチャイコフスキーは演奏できないと思いました。でも、審査員について、すごく良い印象を受けました。コンクールによっては、教師がほとんどで演奏家がほんの一握りということがありますが、今回の審査員は皆、演奏家だったからです。コンクールですごく楽しかった思い出の一つは、審査員が演奏をした時のことです。演奏を聴くのはすごく楽しかったです。僕たちと同じように、彼らも緊張する場面があったんです。

一方で、審査員が自分の演奏をどう思うか気にしないでいるのは不可能です。参加者は、コンクールをコンサートだと思い、審査員のためではなく、聴衆のために弾くように、とアドバイスされます。でも第一予選では、皆揃って同じレパートリーを弾いているので、それは無理です。でも、それ以降は、だいぶ気分が楽になりました。


Q: ギンゴールドのストラディヴァリウスをすでに弾いているのですか?それともまだお役所的な手続きがあるのですか?

ストラディヴァリウスを持って帰りました。(コンクール優勝の副賞の一つがギンゴールド生前使用のストラディヴァリウスの貸与)。4年間、必要な調整なしに演奏されていたので、まずそれをしなくてはいけません。もちろん、音自体はすばらしいです。昨年はずっとグァルネリーを弾いていたのですが、なかなか思うような音が出ませんでした。ギンゴールドのストラディヴァリウスの音はそれに比べると細いですが、音が遠くへ響きやすいです。楽器から遠ければ遠いほど良い音がするので、コンサート・ホールの後方で良い音がすると思います。コンクールを優勝してから最初のコンサートまで一カ月あるので、調整には充分だと思います。

ストラディヴァリウスはあまり頻繁に弦を変えなくていいみたいです。コンクール中は、ベストの状態をキープするため、5日に一度は弦を変えていました。ストラディヴァリウスは弾き出して数週間たちますが、まだ弦を変えなくてもいいんです。弦は、今後変えるかもしれませんが、ドミナントを使っています。グァルネリーの時はウェストミンスターを使っていました。

ギンゴールドのストラディヴァリウスと過ごせる4年間は長いような気もしますが、返す時が来たら、きっととても淋しいと思います。

(後半に続く・・・)

インタビュー(ASTA*ジャーナル掲載 2006年)

2009-03-19 | Interviews
アウグスティン・ハーデリッヒ(優勝)とのインタビュー
2006年9月
イレイン・ファイン記





-最初のヴァイオリンの先生は、お父様だったそうですね?


父はプロの音楽家ではないのですが、チェロとピアノが弾けて、僕ら子どもたちに楽器を教えてくれました。僕が8歳になるまでは父が唯一の先生でした。最初は、特に真剣なレッスンではなかったんですが、僕の上達が早かったので、父が他でもレッスンを受けるようにしました。それで、たいていは夏休みにウトー・ウギからレッスンを受け、その後も大勢の先生からレッスンを受けました。いつも先生たちはちょっとしたアドバイスをくれて、父がそれを僕のレッスンに取り入れていました。そのため、小さい頃は多くの先生からいろんな影響を受けました。


-先生はみなイタリア人だったのですか?


いえ、ウギ教授にクリストファー・ポッペン、イゴー・オジム、アマデウス・カルテットのノーバート・ブライニングの他、いろんな先生がいました。でも、たいていしばらくすると、先生たちは一種の独占欲を見せ始め、ドイツに来て集中的にレッスンを受けるように薦めたり、僕が他の先生からレッスンを受けるのを嫌がったりするようになりました。それに、スミルノフ先生(ジュリアード)の所へ来る前の13歳から20歳までの間はどの先生にもついていませんでした。


-演奏へのアプローチが他の人と違っているのは、そういった経緯があるからかもしれませんね。


ジュリアードに来る前の年は、すごく熱心に練習していました。そして、僕の演奏の一面はかなり完成されていったんですが、あくまでも自己流にすぎませんでした。僕のテクニックと運指法はすごく変っていて、他にこんな運指法で演奏する人に会ったことがありません。みんな、僕はおかしいんじゃないかと思っていました。普通の運指法では、うまく演奏できないところがあるんです。それに、演奏から遠ざかった時期もありました。


-そうでしたね。事故について話してもらえますか。


15歳の時、実家の農場で火災事故に遭い、演奏を中断しなければいけませんでした。ヴァイオリンを弾かなかったのは4ヶ月くらいでしたが、もちろんコンサートに復帰するまでは1年以上かかりました。ヴァイオリンを再び弾き始めた時は、まだ身体が衰弱していたからです。また、それ以外にも壁がありました。事故が起こったのは、どちらにしろ身体が大人へ変化する時期でした。事故がなかったとしても、その変化に対応しなければいけなかった。もう子どもの頃のように演奏してるだけでは通用しなかったんです。


-ただ可愛らしく演奏しているわけにはいかなくなってきたんですね・・・


14歳から19歳くらいにかけては、あまり熱心に練習したとは言えません。事故のこともありましたが、その後はまた真剣に練習しようと決心しました。ティーンエイジャーの頃は、練習が退屈だった時期がありました。今思えば、どうやって演奏を上達させたらいいのかわからなかったんだと思います。そんなある日、このままでは自分の演奏は充分じゃないとはっきりわかったんです。演奏に満足していない自分に気付いたんです。それからは、もっと熱心に練習するようになりました。


-あなたは作曲家でもありますね。演奏活動と作曲を両立させるのは難しくはありませんか?


そうですね。それもあって、ヴァイオリンの演奏に集中しようと決めてからここ2~3年、あまり曲を書いてないです。時々、短い曲を書くことはありますが、僕は自分の作品や演奏にとても自己批判的な所がある。問題は、作曲家として成長したいなら、常に曲作りに取り組み、それを何よりも最優先にしなければいけないし、そして何年もかけた結果、もしかすると”何か”はできるかもしれない、ということです。僕は自分が一番向いていることに集中することにしました。ピアノも弾きますが、同じように、あまり練習する時間はありません。今はただ楽しんで弾いているだけです。二つの楽器を同時に練習するのは、とても難しいことだとわかったんです。


-練習を休むことはあるのですか?


ここ6ヵ月間ほどは一日も休みがありません。それ以前はもう少し休めていたんですが、この夏はマールボロ音楽祭に行く予定だったので、ジュリアードでの学期終了後は、コンクールのための練習に励んでいました。マールボロではコンクールのための練習時間は全くないと思っていたんですが、行ってみると練習にさける自由時間がたくさんあることがわかりました。でも、マールボロから帰ってきた時は、室内音楽漬けでかなり疲れてもいました。


-作曲家として、またヴァイオリニストとして、特に好きなのはどの曲ですか?


どの曲の演奏も楽しいです。バルトークのヴァイオリン協奏曲はずいぶん練習してきたのでとても好きですが、偉大なヴァイオリン協奏曲はどれも大好きです。一番好きな曲というのはないし、好きじゃない作曲家もほとんどいません。


-ヴァイオリン以外の曲はどうですか?


ふだんはヴァイオリンの曲は聴きません。どうしても必要な時は聴きますが、聴いているとイライラしちゃうんです。他のクラシック音楽を聴く方が好きで、交響曲とチェロの曲が好きです。チェロは実際、一番すてきな楽器だと思います。ピアノ曲も好きで、スカルラッティをピアノで弾くのが好きです。


-作曲家としてはどうですか? どの作曲家が興味深いですか。


とても平凡な答えなんですが・・・バッハやベートーヴェン、シューベルト、バルトークなどは、とりわけすばらしくて興味深いと思う作曲家です。でも、だからといって他の作曲家が嫌いなわけではありません。


-ブライト・ションの『A Night at the Chinese Opera』の演奏はずいぶん楽しそうでしたね。


あの演奏は楽しかったです。習うのは難しかったですが、たくさん時間をかけると、最終的にはとても面白くて可愛らしい曲だと思うようになりました。重々しく演奏すべき曲なのかはわかりませんが、なんとなくユーモアを感じさせます。そんな風に曲を解釈するようになってからは、弾くのがとても楽しくなりました。この曲では、大胆に演奏したり、面白い音を出したりする絶好のチャンスでした。最後のスローな部分はとても悲しい感じがして、好きなところです。効果的なエンディングです。ピアノの独奏がありますが、すごく速い。それまでよりずっと速いテンポです。その後に、始まりのゆっくりした部分が戻ってくる。委託作品は、好きになれなかったら、何をしても良い演奏にはならないと思います。


-普段はどんな練習をしていますか? ウォームアップはどうするのですか? どのように技巧を磨くのですか?


スケールをする習慣はありませんが、ウォームアップではただ一群の音を弾いて、あちこち変化させ、手が勝手に動くのにまかせます。たまに最近耳にしたヴァイオリン以外の旋律を弾いたりもします。小さかった頃は、ウォームアップには初見で何か弾くようにしていました。別に上手に弾けなくてもかまわなかったからです。曲が終わった頃にはウォームアップもできていました。


-小さい頃、技巧的な練習曲を習っていましたか?


ある意味では、技巧的な練習はしていました。協奏曲などには難しい楽節があり、演奏会でちゃんと弾くには毎日練習しなくてはいけない。だから、技巧的な練習はしていましたが、取り組んでいる曲の中から練習していました。また、技巧的な部分をうまく弾くためにはまずウォームアップが必要です。僕の場合、技巧の練習から一日を始めても、あまり効果がないと思います。


-自分は今でも成長していると思いますか? 今でもまだ、新しいことを学び続けていますか?


ここ数年間、自分はこれ以上は上達しないだろうと思っていました。これからは下り坂に向かうだろうと感じていたんです。でも振り返ってみると、特に昨年はずいぶん上達できたような気がします。ジュリアードでの最初の夏休みは、特に何の練習にも参加しなかったのですが、それでもいろんな面で演奏が上達したと思います。また、この夏参加したマールボロ音楽祭でも、たくさんのことを学べましたし、きっとこれからも成長していけると思っています。


*ASTA-全米弦楽指導者協会