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Musik von Augustin Hadelich

ヴァイオリニスト、アウグスティン・ハーデリッヒの演奏活動Note

レビュー(Classical Voice of North Carolina 2008年3月)

2009-10-05 | Reviews
シャーロット交響楽団:ハーデリッヒとぺリック、深い音楽性と妙技を華やかに融合
2008年3月15日
ウィリアム・トーマス・ウォーカー
Classical Voice of North Carolina


その夜、ブルメンタル・パフォーミング・アートセンターのベルク劇場周辺では、ACCバスケットボールの決勝戦や聖パトリックズ・デーにまつわるお祭り騒ぎが繰り広げられていたが、劇場には多くの人々が集まり、シャーロット交響楽団のゲスト・ソリスト、指揮者、オーケストラによる最高の演技を楽しんだ。音楽監督のクリストフ・ぺリックによるドイツ人作曲家のレパートリー、とりわけリヒャルト・シュトラウスの作品には定評がある。しかし、この日のコンサートがことのほか待ち望まれていた理由は他にもある。人々は、グリーンズボロ交響楽団とのグラズノフの協奏曲の演奏にて稀にみる熟練度を披露したソリスト、アウグスティン・ハーデリッヒの演奏を、心待ちにしていたのだった。

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)のヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61は演奏機会が多いため、作品の根本的な要素が見落とされがちでもある。同曲の形態は、モーツァルトによって起用されたような典型的な協奏曲の形態とはまったく対照的である。華やかなオーケストラの序奏は控えられ、曲を始めるティンパニーの5つの柔らかい音は第一楽章の音調とリズムを設定するだけでなく、楽章全体のフレーズをつなぎ合わせる役割を果たす。幅広い音域に渡るヴァイオリンの装飾音および合いの手は、オーケストラのメロディーの発展と対比している。ヴァイオリンのカデンツァ(この場合はフリッツ・クライスラーによるカデンツァ)の後、ようやくソリストはオーケストラの旋律を本格的に取り入れる。第一楽章の結びであるこの箇所はまた、優美な第二楽章から意気揚々とした第三楽章への移行部において、鮮やかに反映される。

悲惨な事故で大火傷を負ったハーデリッヒは、幾度にも及ぶ手術とリハビリを克服し、2006年度インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールで優勝した。ハーデリッヒの演奏はあたかも、名手の矢筒に秘められた矢が、完璧な演奏の中に一つ一つ解き放たれていくかのようだった。完璧なイントネーション、音色とデュナーミクの洗練されたコントロール、クリスタルのように透明な弦の調音。ハーデリッヒの黄金のように輝く、驚くほど軽やかな音色は、深みある微妙な効果を帯びるフレージングと調和していた。ハーデリッヒは、パガニーニのカプリース第9番を苦もなく演奏し、アンコールを飾った。

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コンサート・レビュー (ニューヨーク・タイムズ 2008年1月)

2009-09-17 | Reviews
テキサス・アンサンブル、NYで旗揚げ
2008年1月28日
アンソニー・トマシーニ
ニューヨーク・タイムズ


・・・・・・・・・・・・・・・オープニングに演奏されたブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調においては、フォートワースのオーケストラの演奏に(チャイコフスキーの交響曲と)同様の確信は感じられなかった。同曲はとらえどころのない作品である。長い楽節に渡り、オーケストラのかすかな音をバックに、ヴァイオリンとチェロが瞑想的で親密なやり取りを交わすが、そのバランスを維持するのは難しい。

若きソリスト2人はどちらも卓越した新進音楽家で、両者共にすばらしい演奏を行った。才気溢れるヴァイオリニスト、アウグスティン・ハーデリッヒはイタリアで生まれ育ったが、ドイツ人の両親を持つ。また、ベルリン生まれのチェリスト、アルバン・ゲルハルトは豊かな音と俊敏な技巧を持ち合わせる。

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コンサート・レビュー (シャトークアン・ディリー 2007年7月)

2009-09-10 | Reviews
CSO、ゲスト・ソリスト、圧倒的かつ感動的な演奏を披露
2007年7月30日
チャック・クラウス
シャトークアン・ディリー


シャトークア交響楽団(CSO)の今シーズン第11回目のコンサートにおいて、極めて洗練されたバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番と、興味深いディテールの施されたベートヴェンの交響曲第6番が演奏された。木曜日の演奏では、シャトークアンの心を掴んだ若きヴァイオリニストの卓越した技能が再確認されるとともに、同楽団のゲスト指揮者で音楽監督候補であるステファン・サンダーリングへの芳しい印象が一層高められた。

才能あふれる若きヴァイオリニスト、アウグスティン・ハーデリッヒをソリストに迎え、ベラ・バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番が演奏された。同曲は、作曲された1938年という年ゆえに、しばしば言及される作品である。同年は、それまでの比較的短い協奏曲に変化が生じた年である。(時代にしては)斬新な作風や作品の長さ、難技巧が合わさって、ソリストとオーケストラ双方に多大な挑戦を強いる作品である。

バルトークの協奏曲は、ヴァイオリニストのゾルターン・セーケイによって委託された。今では、この委託によって最も知られるセーケイだが、最盛期にはハンガリアン四重奏団の首席ヴァイオリニストとして名声を博した。セーケイと、当時、最高の技巧を誇った(と考えられる)アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が、長年、同楽団で音楽監督を務めたウィレム・メンゲルベルクの指揮で、曲のプレミアを行った。

同曲は、弦を優しく爪弾くハープの音で始まる。シャトークアで、これ程静かな雰囲気とともに演奏が始まることも珍しい。サンダーリングとオーケストラは、一貫して的確で力強く明確な演奏を行い、ダイナミックの変化と意図のある表現において、新鮮なアプローチを示した。

ハーデリッヒは、曲全体のアーチを描くのに細かく神経を行き渡らせながら、ただちに威厳溢れる優れた技巧を示した。始まりから終わりにかけ、魅惑的な音色で輝きに満ちたパッセージワークを奏でた。ハーデリッヒはしかし、感情に流される派手な演奏家ではけしてない。名人的な妙技を持ち合わせながらも、卓越した演奏と組み合わさった深い音楽性が、ことのほか印象深い演奏家である。

第一楽章、いや実際のところ曲全体が切迫したテンポで演奏されたが、けして急ぎ過ぎるというわけではない。第一楽章中盤の金管楽による荘厳な音色には、豊かな表現力と激しさ、鋭さが含まれていた。ハーデリッヒは非の打ち所のない心揺さぶるカデンツァを演奏した。第二楽章では、ハーデリッヒが柔らかなデュナーミクで美しい音色を奏で、オーケストラが前半部では透明な音を、後半部ではおぼろげな音を響かせた。

第3楽章は、演奏スピード、正確さ、表現のバランスの難しさから、ソリストとオーケストラ双方にとって綱渡り的な楽章で、ソリストとアンサンブルのバランスが崩れる可能性が地雷のように潜んでいる。しかしながら、今宵の演奏には安定感と確信と手ごたえがあった。ハーデリッヒが再び非のうちどころのない素晴らしい演奏をみせ、サンダーリングとCSOもまたハーデリッヒに一歩も遅れを取らず、時にはほのかな透明な音を、時には情熱に溢れる音を奏で、また必要ならばアタック音を順に交換した。

バルトークの演奏が終わるや否や総立ちとなったシャトークアの聴衆に応え、ハーデリッヒはパガニーニのソロ・ヴァイオリンのためのカプリースをアンコールに演奏した。ハーデリッヒのダブルストップとスピッカートにおける弓使いは全く見事なものだった。そしてやはり、完璧なテクニックに裏打ちされた、熟成した意図のある音楽表現が、何よりも印象的な演奏だった。

コンサート・レビュー(クラシカルヴォイス・オブ・ノースキャロライナ 2008年1月)

2009-08-12 | Reviews
シトコヴェツキーとフレンズ

2008年1月11日
ウィリアム・トーマス・ウォーカー
クラシカルヴォイス・オブ・ノースキャロライナ


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フランツ・ジョセフ・ハイドン(1732-1809)のピアノ三重奏曲ト長調第25番(「ジプシー・ロンド」または「ハンガリー風」)は、カロライナの室内楽ファンには親しみのある曲である。ツアーで訪れるピアノ・トリオによってしばしば演奏されるほか、琴線に触れる最終章がアンコールでたびたび登場する。全楽章におけるクラシックの形式にあてはまらないハイドンの試みは、聴くものを驚かす。第1楽章のアンダンテは、早いテンポで演奏される通常のソナタ形式とは異なり、二つの対照的な主題が交互に変奏される。通常のゆるやかなテンポで演奏される第2楽章は、ハイドンの交響曲第102番アダージョからの転用である。かつて、ハイドンの後継者であるエステルハージ家の邸宅があったアイゼンシュタットは、現在のハンガリー国境付近に位置する。ジプシー調のスタイルが取り入れられた最終章のロンドでは、主題のメロディーが長調から短調へひっきりなしに変化する。

ノースキャロライナ大学グリーンズボローで教鞭を取るピアニストのイナラ・ Zandmaneが、ゲスト・ヴァイオリニストのアウグスティン・ハーデリッヒとグリーンズボロー交響楽団のチェリスト、ベス・ヴァンダーボルフ と共に演奏を行った。トライアド(グリーンズボロ、ハイポイントおよびウィンストン・セーラムで構成される都市圏)で最も多才な音楽家の一人に挙げられるZandmaneは、この日ピアノの蓋を大きく開けて演奏したが、デュナーミクを見事にコントロールし、けして弦楽奏者のメロディーを覆い隠すことはなかった。Zandmaneは、繊細で幅のある美しい透明感を帯びた音色を奏でた。弦楽奏者は共に、Zandmaneの音域にぴったりと寄り添って溶け込み、まろやかな暖かい音色を生み出しだ。ハーデリッヒは、共演者とのやり取りを楽しみながら、室内楽での卓越した才を示した。演奏家たちは独創性に富んだルバート奏法を適用し、ハイドンの主題が翻り変化していくのに応じ、鮮やかにテンポを変えて演奏した。

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ヨハネス・ブラームス(1833-1897)のヴァイオリンとピアノのためのソナタ第3番二短調Op.108は、ブラームスの初期のソナタに見られる一般的な3楽章形式ではなく、4つの楽章で構成されている。ブラームスの手がけたソナタ全3曲は、作曲家の黄金または“晩秋”の時代とされる後期の音楽世界を反映する作品群である。ソナタ第3番は、初めの2作品に比べ、より簡潔で熱情的であり、曲の流れやスケールに見られるドラマ性と、ヴァイオリンとピアノ奏者に課せられる技巧の難しさは前作品を遥かにしのぐ。ブラームスはソナタ全3曲において、自身による歌曲の主題を転用している。アウグスティン・ハーデリッヒが昨夜のコンサートで示した卓越した技巧と驚くべき音楽性の深さは、ブラームスの作品中でも顕著にうかがわれた。ハーデリッヒとピアニストのイナラ・ Zandmaneの演奏は確信と円熟に溢れ、短い準備期間を思わせないコラボレーションとなった。ハーデリッヒは豪華な音色と完璧なイントネーションをもって曲を演奏し、フレージングにおいて深い洞察力を現した。Zandmaneの伴奏は、ハーデリッヒのヴァイオリンの音色を圧倒することなく、ぴったりと寄り添った。ゆるやかな楽章における二人の演奏は、あたかも時を超えて、作曲家と心を通い合わせているかのようであった。

コンサート・レビュー (クラシカルヴォイス・オブ・ノースキャロライナ 2008年1月)

2009-08-04 | Reviews
グリーンズボロー交響楽団、レア曲と定番を巧みに演出

2008年1月10日
ウィリアム・トーマス・ウォーカー
クラシカルヴォイス・オブ・ノースキャロライナ


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コンクール受賞の新進ヴァイオリニストの演奏は、メンデルスゾーンかブルッフの協奏曲と決まっている中で、アレクサンダー・グラズノフ(1865-1936)のヴァイオリン協奏曲イ長調作品82は、喜ばしい変化であった。
同曲の全3楽章は小休止なしに演奏され、ほとばしる叙情的なメロディー、感性に富むハーモニー、華やかな妙技に彩られる。2006年度インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールの優勝者、24歳のアウグスティン・ハーデリッヒは、暖かい豊かな弦の音色を響かせ、揺ぎない自信を持って同曲を演奏した。その弓使いと、高音域の正確なピッチは並外れたものだった。これ程の音楽の才に恵まれた演奏家には、素晴らしい将来が約束されているだろう。
聴衆の熱狂的な拍手喝采に応え、ハーデリッヒは、落とし穴の潜むパガニーニのカプリース第9番ホ長調を生き生きと軽やかに演奏した。

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CDレビュー(STUTTGARTER NACHRICHTEN 2007年12月)

2009-07-31 | Reviews
CDレビュー:ハイドン ヴァイオリン協奏曲(NAXOS)

2007年12月
STUTTGARTER NACHRICHTEN


アウグスティン・ハーデリッヒ(23)が、ヘルムート・ミュラー=ブリュール指揮ケルン室内管弦楽団との共演でジョゼフ・ハイドンの美しいヴァイオリン協奏曲を演奏している。協奏曲第一番第二楽章の演奏は、聴くものを瞑想の世界へと誘う美しさである。パパ・ハイドンは疑いなく偉大な作曲家である。そしてハイドンのロマン派の構想を、天才ヴァイオリニスト、ハーデリッヒは明確に理解している。

コンサート・レビュー (グランドラピッド・プレス 2007年11月)

2009-07-28 | Reviews
一流ヴァイオリニスト、難技巧のソロを克服

2007年11月30日
ディビッド・ホーケマ
グランドラピッド・プレス


コンクール受賞者の多くは、目もくらむような華々しさと、息を呑む超絶技巧を引っさげて音楽界に一大旋風を巻き起こし、聴衆を驚嘆させるのが常だ。しかし、それは2006年度インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールの優勝者、アウグスティン・ハーデリッヒのスタイルではない。

この木曜日、グランドラピッド交響楽団のコンサートに出演したハーデリッヒの目的は、聴衆を感嘆させることでも、圧倒することでもなかった。彼は、ハイドンのヴァイオリン協奏曲第一番の歌うようなメロディーと豊かなハーモニーを優しく慈しむために演奏した。そして、古典派初期の巨匠が交響楽の作品中に達成した透明な清澄さを、人々の耳に再び届けるために演奏したのだった。

聖セシリア・ミュージック・センターで行われた同楽団の新進スター・シリーズにおいて、23歳のヴァイオリニストは自信と確信を持って演奏し、そのイントネーションは、最高音域においてさえレーザーのように鋭く正確だった。同曲のソロは難技巧の連続であるが、(ハイドンは高い技巧で知られたお抱えコンサート・マスターのために、このソロを書いた)ハーデリッヒは早い楽節や重音を、いともたやすく演奏した。

残念ながら、優れた音響を誇る聖セシリアのロイス音楽堂の半分以上が空席であったが、協奏曲が終わるや否や、演奏に感激した観客たちは総立ちとなった。

そのお返しに、我々はささやかなデザート、パガニーニのソロ・ヴァイオリンのためのカプリース第9番のもてなしを受けた。その演奏は、ハーデリッヒが目がくらむような華々しさと、息を呑む超絶技巧をも持ち合わせていることを示していた。

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コンサート・レビュー(2007年11月 コロンバス・ディスパッチ) 

2009-07-18 | Reviews
マエストロ、充実の旅へと聴衆をいざなう

2007年11月4日
バーバラ・ザック
コロンバス・ディスパッチ

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イタリアとNYで音楽を学んだドイツ人の若手ヴァイオリニスト、アウグスティン・ハーデリッヒが地元でのデビューを飾った。その演奏を聴くのは、まさに喜びであった。

1683年製作のストラディヴァリウスを手に、ハーデリッヒの音色はすばらしく、高音から低音に至るまで澄み切っていた。ハーデリッヒはこの名器を最大限に活用し、一つ一つの音を極限の音楽性で満たした。若さからは想像できない分別と驚くべき洗練を持って、モーツァルトの中に潜む小さな解釈への無限の可能性を追求した。そしてヨーゼフ・ヨアヒムによる長大で難度の高いカデンツァを歌うように演奏した。

幾度ものカーテン・コールを受け、ハーデリッヒはアンコールに、パガニーニのカプリース第21番を圧倒的なパワーと技巧を持って演奏した。まだ20代前半という若さで、ハーデリッヒは長年コロンバスでデビューを飾った若手演奏家の中で、疑いなく最も強い印象を残した演奏家である。

コンサート・レビュー (2007年10月 KOLNISCHE RUNDSCHAU)

2009-07-14 | Reviews
軽やかな天上の音

2007年10月31日
KÖLNISCHE RUNDSCHAU


・・・・・・・・澄み切った音と深い表現力、洗練された技巧を持ち合わせた23歳のアウグスティン・ハーデリッヒは、ケルン室内楽団による最新のマスターワーク・コンサートの静かなスターであった。

・・・・・・・・・・・・・・演奏は、彼が優れたヴァイオリンの名手であることを物語っていた。ハーデリッヒはストラディヴァリウスを完璧に操り、モーツァルトの協奏曲に新たな深みと透明感を見出した。第二楽章アンダンテのカデンツァで繰り広げられた洗練を帯びたドラマは目を見張るすばらしさであった。

・・・・・・・・ハーデリッヒはまた、超絶技巧に散りばめられたアンコール曲(パガニーニのカプリース第21番)を、天上のような軽やかさで演奏した。米国において、すでに大きなセンセーションを巻き起こしているハーデリッヒが、ドイツを征服するのも時間の問題であろう。聴衆の熱狂的な拍手喝采がすでにその前触れを示していた。

コンサート・レビュー (タイムズ・ピカユーン 2007年10月)

2009-07-10 | Reviews
シューベルトへの新しい試み

2007年10月27日
クリス・ワディングトン
タイムズ・ピカユーン、ルイジアナ


ベートーベンとシューベルトは、いわば音楽における感謝祭ディナーだと考える者もいる。堅実で、地味で、いつも同じ決まりきった形で食卓に出される料理だと。けれども、才能あるシェフと音楽家にはわかっている。彼らは、レシピ-そして楽譜-の中には、様々な解釈の余地があることを知っているのである。

地元の聴衆はこの程、2つのコンサートにおいて極上の風味を堪能した。一つは、ピアニスト、ジェフリー・シーゲルがシューベルトのみのプログラムを演奏した夜に。そして、ルイジアナ交響楽団がステファン・ダンクナーの新曲プレミアをはさみ、2曲のベートーヴェンを演奏したプログラムである。

ルイジアナ交響楽団の音楽監督クラウスピーター・セイベルは今宵、ラヨーラ大学のラッセル・ホールにおいて、同じプラグラムを再演する。チケットの入手は困難かもしれない。木曜のコンサートで歓声をとどろかせた聴衆が疑いなくニュースを広めていることだろう。この地で、大物新人スターがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏しデビューを飾った、と。

アウグスティン・ハーデリッヒのまるで歌うようなヴァイオリンの音色は、会場を隅から隅まで満たしていった。自由な弓使いで、楽譜上の一つ一つの音符を長い途切れのないフレーズへと変化させ、時にはスタッカートの連打でオーケストラをせき立てる。みじんの乱れも軋みもなく、ヴァイオリンの高音域へ上り詰め、伸びる高音を完璧かつドラマティックなタイミングで解き放つ。低音域の暗たんとした哀しげな音色はしばしば、オーケストラのヴィオラとチェロの豊かな音と溶け合った。

2006年、栄誉あるインディアナポリス国際ヴァイオリンコンクールで優勝したハーデリッヒは、しかし、単に超絶技巧をひけらかすタイプの演奏家ではない。カデンツァの長い独奏におけるハーデリッヒの演奏は、何かに取り付かれたような内省的な深さを感じさせた。同様に、音楽の真意への執拗な探求は、アンコールのパガニーニのカプリース第21番の演奏においても明白に現れていた。

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