誰も知らない認知症;脳のはたらき(知的機能)からみた老人性認知症の予防と介護

老人性認知症の確実な予防方法と認知症高齢者の適切な介護方法をシリーズで解説します。

17 認知症高齢者の介護(5)

2018-06-20 14:14:55 | 日記

 前回までの3回に亘る「認知症高齢者における障害と症状との関係」の小難しい介護理論にお付き合いしていただいた読者の方々の多くは、さぞかし辟易しておられることと思います。今回からは「どのように適切な介護を展開していけばよいのか」ということについて、もう少し具体的に解説していくように心掛けたいと思っています。

4-3 介護の具体的な展開 ― こうすれば上手く(適切に)介護できる

4-3-1 介護に「定番」はない(1)
 実際の介護に際しては「こうすればよい」「こう対応すべきです」という介護の「定番」はないと考えることが賢明です。研修会などで学ぶような創意工夫のある介護に「お見事」と頷けるような対応も確かにありますが、研修会で学ぶ介護はお手本(基本)であり、奏功した(上手く対応できた)事例が多いように思われます。また、研修会で有名な先生がそう言っていたから、教科書やマニュアルに書いてあるから、※※センター方式は評判が良いから、周囲の仲間がそうしているから、今まで自分もそうしてきたからという、ある意味では機械的な理由(根拠)に基づいた介護は、必ずしも認知症高齢者の全てに通用するとは限らないことを、誰もが経験し実感していると思います。そして、実際に自分が介護して「どうしたら良いのだろう」と悩んでいる時の解決策として役に立つことはそれほど多くはないように思われます。「耳学問」は「付け刃」になりがちです。大切なことは「何故そうしたのか」あるいは「何故上手くいったのか」という「定番」の背景(事情)や理由(介護の論理/介護理論)を考えることや実践で確認(検証)することです。現実の介護は「ケース・バイ・ケース」であることは誰もが納得する「介護の常識」です。

4-3-2 介護に「定番」はない(2)
 介護現場の創意工夫が評価されて国の制度(介護)の「定番」となった例として、全国の介護施設に設置基準として義務化されていた「回廊式廊下」が思い起こされます。延々と徘徊し続ける認知症のお年寄りに「自由に気が済むまで歩いていただこう」という「国を挙げての配慮」が「回廊式廊下」という介護の「定番」となって全国的に定着(流行)していた時期がありました。義務化されなくなった理由は様々ですが、「まるでハムスター(人間)の回し車(回廊式廊下)みたいですね」との指摘は、全ての介護関係者に「蜂の一刺し」のような強烈な印象(反省)を与えたようです。
 最近、現在の認知症医療を基本としたアルツハイマー型認知症の介護、レビー小体病の介護などが「定番」として流行しそうな気配がみられますが、介護する側の都合(論理や事情)のみに基づいた「定番」は避けるべきであり、特に病名や学説に囚われた机上の怪しげな介護理論に基づく「定番」は敬遠すべきです。どのような「定番」にも功罪があることは事実ですが、個々の認知症高齢者の障害と個性に応じた介護の現場の創意工夫や思考錯誤から産み出される「定番」は貴重であり、介護の現場はそのような「定番」や「介護理論」を産み出す「介護の宝石の玉手箱」であるように思われます。

4-3-3 介護の「実践」と介護の「理論」(1)
 延々と述べてきた小難しい介護の「理論」にわざわざお付き合いしなくても、自分自身の長年の介護経験で培った(体で覚えた)介護の「知恵」や「勘」で適切な介護を「実践」している「介護の鉄人」(介護の達人や介護の名人)が全国各地に多数おられることは承知しているつもりです。しかし、「介護」を「料理」に例えるならば、「理論;知識」は「食材」であり、「実践;知恵」は「調理」です。「より良い介護(料理)」を提供するための「より良い知恵(調理)」には「より良い知識(食材)」が必要です。「認知機能」の両輪が「左脳と右脳」であり、「知性」の両輪が「理性と感性」であるとすれば「介護の理論」と「介護の実践」は「介護という車の両輪」であると考えられます。つまり、「実践から得られる理論」と「理論から得られる実践」の両方が大切だと言うことです。「介護の鉄人」であっても「介護の初心者」や「介護の迷人」に「私の背中を見て理解しなさい」と突き放すばかりでは指導できません。「介護の鉄人」の指導ばかりではなく、日頃の職場で誰もが困り果てる処遇困難事例の対応に敢えて挑戦し、失敗する度に考え抜き、その理由(理論)の積み重ねによって成功した時の達成感や自信が、その人なりの「介護理論」を導き出すのです。

4-3-4 介護の「実践」と介護の「理論」(2)
 再び「介護」を「料理」に例えるならば、このブログで提供している「食材;介護理論」は「脳のはたらき(知的機能)」の視点(機能的診断)から認知症という病態を分析して得られた「食材」です。これに対して、既存の認知症医療が提供している「食材」は「脳のかたち(形態的、器質的変化)」の視点(形態的診断)あるいは「認知症の症状」の視点(症候学的診断)「既存の医学的概念(定説)」の視点(概念的診断)から認知症という病態を分析して得られた「食材」です。そして、既存の「食材」は大企業で大量生産され、専門店からコンビニまで幅広く流通し「農薬(脳薬)を使用している食材」も少なくありません。しかし、このブログで提供している「食材」は零細企業で個別生産された「農薬(脳薬)を使用しない食材」であり、現時点では入手できる機会も限られ、残念ながら世間にはほとんど知られていません。大切なことは、どちらの「食材」を選択して「調理」すべきなのかを判断して「料理」を提供するのは「介護の調理人」(介護職、看護職、ケアマネージャー、医師など)だと言うことです。
 既存の「食材」を使って「調理」する訓練を受けてきた「認知症ケア専門士」や「認知症認定看護師」「認知症専門医」の方々の多くは、このブログで提供している「食材」を味見した段階で食欲不振や消化不良、時には嘔吐や下痢を発症するかもしれません。しかし、「介護の鉄人」や「介護の初心者」「かかりつけ医」などの方々の多くには、このブログで提供している「食材;理論」を用いた「料理;実践」を通じて、その有効性や安全性を必ず実感していただけると確信しています。

4-3-5 介護の「実践」と介護の「理論」(3)
 このブログで小生が述べてきた「介護理論」は神経心理学や行動心理学、脳科学などの領域の知見を重視している理論であり、精神科や神経内科などの認知症の専門領域の定説や常識はあまり重視していません。また、小生は神経心理学や行動心理学、脳科学の専門家でもなく、精神科医や神経内科医でもありません。「門前の小僧、習わぬ経を読む」という諺に例えられるような一介の医師(小僧)で、「脳のはたらき」(知的機能)に関する見識も十分とは言えず、必ずしも認知症の「専門家」ではありません。しかし、小生がこのブログで展開している「介護理論」は、保健(滋賀県彦根保健所)、医療(博愛会病院もの忘れ外来)、福祉(介護老人保健施設あいかわ)の現場で得られた認知症に関する「学際的な知識」を踏まえた理論で、「こうすれば上手く(適切に)介護できる」という、確かな手応えを小生自身が何度も感じてきた理論です。したがって、「介護の鉄人」の「知恵」や「勘」を裏付ける理論でもあり、「介護の迷人」や「介護の初心者」(看護学生など)の指導や育成に適している「介護理論」でもあると確信しています。
 ただ、このブログで述べてきた「介護理論」は、小生の力量不足もあり、抽象的な表現や難解な内容(説明)も多いので「介護の鉄人」の方々に分かりやすい言葉や表現で通訳(解説)していただきたいというのが本音です。しかし、ここで弱音を吐かずに、自分なりの表現で小生の「介護理論」の具体的な展開について記述していきたいと思います。

※ 前回のブログ「16 認知症高齢者の介護(4)」の「図48」に誤りがありましたので訂正させていただきます。
   ( 誤;「悔悟」, 正;「悔護」)



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