ありふれた風景

ふだん見慣れた風景ものんびり眺めて観ると以外な発見があったりして・・・。

気仙沼 東北関東大震災 4

2011-03-31 20:57:28 | 東北関東大震災
ヘドロ交じりの泥と塩水に濡れた足でスベりながら
ホテル観洋脇の階段を上り湾の見える所へついて一息
付いた。ほっとしたのもつかの間。
「あれ!守さんは?」と気仙沼商会の女性が言い出した。
「いない!いない!」
「守さんは??守○長----!」と悲痛な声で探しだした
あれ、渡り切ったときは私が守君と言ったら「はい!」と
元気な声がしたのでいたはずだと言ってはみたものの。
本当にいない、これには私もあわてた。
早く探さないと津波が来る!そう思うとぐずぐずしては
居られない、懐中電灯を持った商会の方と二人で駆け足で
もと来た道を引き返した。
岡本製氷の前まで彼の名を呼び続けたがまったく返事が無い。
まさか? ふと不安が頭をよぎった。
 そんなことはない渡り切ったときの声は彼本人の声だった。
尚も付たりで彼の名を呼び続けた。3度。4度、五度すすると
暗闇の中でかすかに声が、・・・
もっと声のよく聞こえる3mほど登ったところに駆け上がり
再度読んだ・・・・「おおい!」
いた!無事だった。しかも誠ちゃんと一緒だ!
よかった。それまではマンホールに落ちたりしてないよな?
とかあらぬ考えが浮かんだだけに本当にうれしかった。
どうも彼はあのまま吉田商会の前を第一ボウルのほうに抜けた
らしい。
渡り切ったときは私の呼ぶ声をそこで聞いて返事をしたらしいのだ。

ともあれ、無事だった。

悲鳴に近い声で叫んでいた女性社員も安心したように落ち着きを
取り戻した。
さあ 行くぞ、目指すか市民会館、気仙沼小学校だ。

川原田に抜ける道を目指して急いでいたとき、途中の道で
女性のあばあさんにあった。
「どごさいぐのっさ!くらくてわがんねがら、人の声が聞こえたので」
「出てきてみだのっつさ」
坂道の脇の家の鉄の門から吠えを出てきたのだ。
話を聞くと一度坂道を下って川原田の道に出ようとしたのだが
もう出られなくなっていたとの事、仕方なく帰ってきたが
電気はつかないし、余震は来るし、避難所に行くなら一緒に
いくということでした。そういうことなら家の鍵を閉めて
一緒にいこう。と私と商会の方3名で連れていこうと決めた
歩調が合わないので、大部分の方はさきに避難所に行くように
お願いした。
残った4人で人の家の脇道(普段なら絶対に通らないと思う道)
登ったり下りたり歩き続けた。
途中 おばっあさんは
「前はもっとスイスイ歩けたのに!足悪具して、あるげねエ」
と何度も言った
そのたびにみんなで大丈夫ゆっくり歩いでいいがらね。
と歩調を合わせた。
最後の下り坂家の脇を通ると家の人が出てきて、ライトで
道をてらしてくれた。
やっと川原田のNTTまでだどり付いた。
この時
市場へと続く道を見るとNTT交差点から5件目のしたまで
水が来て家がダメージを受けていた。
やはり今度の津波はすごかったんだ。あらためてそう思った。

おばあさんこう少しだからね!
あるげなかったら3人で交代でおんぶすっから
と言うと
「なに言ってんの。68Kgあんだがらね!」
「無理、無理!」
3人で顔を見合わせながら 無理だよな・・・
市民会館のほうを見るとパトカーの回転が見えた。
2人で走っていって。足の悪い老人がいるので載せてほしいと
言ったら、すぐ行きますと快諾してくれた。
待つことしばし。おばあさんは無事市民会館にたどり着いた。
あれ?いままでおばあさんに付き添ってNTT前でまっていた人
は?・・・いたいた歩いて登ってきた。
「参ったな!俺はおいできぼり」
そりゃないよ?3人で笑った。でもホットした。
さてわが社に社長たちはどこに行ったのだろうか
AUの人ドコモの人にメールをだした。
返信がドコモの人からあった。小学校の消防車のいる教室にいます
なんとも大雑把な表現。
いそいでそこに向かうと教室はあったものの暗いので誰あだれか
わからない。私の燃えにきずいて美香ちゃんが呼びにきてようやく
皆と会えた。
教室のタイルに座るとヒンヤリとしている、側溝に落ちた女子社員
に隣の若い兄さんが自分のジャンパーを貸してくれた。
ここでは風を引くそう思った。
 そこで社長の交渉で近くにあるPL教会に止めてもらう事に
なった。多くの人が避難していたが、畳の上なのがありがたかった。
避難していた方を教会長と奥さんが献身的に世話をしている。
この夜はここで雑魚寝だ、布団があるのがうれしかった。
いくら布団をかけても水につかった足は朝まで温まらなかった。
夜の度重なる余震があり、鹿折の火事が赤く見えプロパンガス
だろうか幾度となくボン ボン という音が一晩中続いた。
朝になり、教会の方々にお礼を言って同じ方向の二人で泥棒坂、本町橋
追越し坂 田中 気仙沼バイパス を通り家路についた徒歩一時間だった。
次回からは被災した市内の状況写真を掲載します。






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