Look at the Dawn Sky (^^)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

雨天番外編 無呼吸のシンゴジラ

2016-09-13 06:13:49 | 日記
 



※ストーリーに関するネタバレは含みませんのでご安心の程を。





 ダーウィンとウォーレスが共同で1859年に自然淘汰という概念を「種の起源」という論文にまとめてから私達はその概念を間違いのない常識として扱って来ました。

 そして私は昨今になりようやく自然淘汰から即進化に結びつける事に異を唱える最もな話を幾つか知りました。進化などという長いスパンの話がそんなに単純な訳がないとは私も考えるのですが、それはさて置いて。



 今回のシンゴジラは「息をしていないゴジラ」だとお見受けしました。



 遍く生命にとって普遍的な必要性がある呼吸を必要としないところまで進化論的な進化を遂げ、究極を突破した「生き物」というイメージが今回のゴジラに持つ私のイメージです。

 生物の進化の果てとは如何なる生物なのか?。

 まあ単純に考えるなら生物の枠を越える生物という矛盾を抱えた生物になります。

 作中でゴジラのアップ画が何度かスクリーンに広がりますが、アップになったゴジラには律動や鼓動と言った生物が本来必ず持つ小さな動きが全く描写されていませんでした。

 その画によってこのゴジラが本当に生きているのか死んでいるのか全く分からなくなり、恐ろしい超越者としてのゴジラが私の瞳には映りました。

 そして容赦ないリアリティで描かれる東京の破壊は、明らかに震災を意識していて、それを成している超越者に対して私の理解が全く及ばない理不尽な恐怖を味わいました。

 恐らく意図されたこの演出は、生物の進化の果てに生物では無くなった生物という矛盾した現象をホロニックに表現したかったのではないかと愚考します。

 ( ˆ ˆ )いやもうホントマジで面白かったでありますよ。

 昨日は仕事中に来店する馴染みの常連さん達を相手に散々シンゴジラの面白さを布教して、結構皆さんの食いつきもよく楽しい一日になりました。




 それにしても既存の常識的価値観における生死を超越するイメージとは、ちょっとだけゾンビに通じる所もあり、拙作「生ける屍達についての日記帖:Data of the living dead 」においても多大なる影響を受けてしまい、もう少し先の登場予定だった政治家キャラが前倒しの登場になってしまいました。

 おかげさまで日曜日に書貯めた約六千文字のデータが、今回のゴジラによって軽々と踏み潰されてしまいました、が。

 一切悔いは無い!(笑)。




生きとし生けるものが幸せでありますように。


230 拝


雨天番外編 ウヒヒ

2016-09-12 08:27:31 | 日記

 今日は午後からの出勤なので今から噂の「シン・ゴジラ」を観に行くの巻。

 ワタクシはこれから憂鬱なお顔で通勤、通学する人々を尻目に朝からお優雅なる映画鑑賞でありましてよ。(ウヒヒ)

 とりあえず昨日の内に書き上げた拙作「生ける屍達についての日記帖:Data of the living dead 」最新話もよろしければ通勤通学のお供に是非どうぞ。



230 拝


ツバメ去り、エナガ来たれり

2016-09-11 08:34:43 | 日記

佛歴2560年 9月11日





 蝉達も静まり、ツバメ達も去り、蜻蛉達もすっかり姿を消した川っぺりに……
























 (〃▽〃)およそ二十羽強のエナガ混群が顔を見せてくれました!(喜)。








 (〃▽〃)まだヒナヒナ気分が抜けないような「ヒ、ヒ、ヒ!」てな鳴き声に、脳が震える今朝の川っぺりであります。


































































( ˆ ˆ )みんなおはよ。












































たった一カ所の蜘蛛の巣に沢山のウスバカゲロウが捕らわれています。








 さて、ストック消滅から3日目の拙作「生ける屍達についての日記帖:Data of the living dead 」ですが、今日は休みがとれたのでこれからセッセと追い込まなければなりません。

 果たしてどこまで一日一話のペースが守れるものか、その為も今日一日でどこまで書貯めに気合いを入れねばなりませぬ。

 特に明日は話題の「シン・ゴジラ」を見に行く予定なので執筆は今日が勝負所の川っぺりはこれまでに御座います。




生きとし生けるものが幸せでありますように。




230 拝





勝手に動くもの

2016-09-10 08:15:02 | 日記

佛暦2560年 9月10日








 早朝はめっきりと涼しくなりました。

 日中もまた気温は上がるものの湿度がかなり下がり、時折吹き抜ける風に鳥肌がたつ程の気持ち良さを感じます。



































































( ˆ ˆ )みんなおはよ。































 依然、鳥枯れる淋しい川っぺりですが、低く流れる大きな雲の隙間から……








高い空に流れる雲が彩雲に滲んでいました。








 さて、「生ける屍達についての日記帖:Data of the living dead 」です。

 日本の漫画家さん達などがよく言われる「キャラが勝手に動く」という事ですが。あれって本当の事だったんですね。

 とは言っても作中のキャラクターはあくまでも自分の考えや願望、想像、幻想からなる、妄想の人格には違いありません。

 しかし、その妄想の産物が自分の思考よりも先に先にと勝手に動き、思わぬ行動に出ることもしばしばあります。

 ( ˆ ˆ )これは実際かなり面白い現象であり、とても楽しい現象でもあります。

 「我思う、故に我あり」とデカルト先生も申しておりますが、ならばその「思う」ことを認識する「思い」があるのか否か。そして「我」は「思い」を制御できるのか否か。

 多分そんなものは有りません。

 ( ̄  ̄)そしてブッダの教えるヴィッパサナー瞑想の入り口は、その思いを制御する為の訓練なのだと改めて意識した今朝の川っぺりはこれまでに御座います。




 生きとし生けるものが幸せでありますように。




230 拝



二万文字がボーン!

2016-09-09 07:50:46 | 日記

佛暦2560年 9月9日












 昨日の午前中まで降っていた大雨の影響は、いつもの川を少し増水させる程度で止まっていました。

 そんで今朝はちゃんと日の出にも間に合います。




































































































( ˆ ˆ )みんなおはよ。






































































































 さて拙作の「生ける屍達についての日記帖」ですが、とうとう書貯めていたストックが対消滅した模様です。約二万文字数分のデータがブラックホールの彼方に飲み込まれました(笑)。

 一度は書き上げたものの、どうしても気に入らないところを発見し、いろいろ修正を施したもののやはり没にしようと決断しました。

 やはり小説を書くと読むでは大きな違いを実感します。

 知識不足、勉強不足、真剣に「書く」ことそのものに対する決定的な経験の不足。とにかく不足に苦しみます。

 それでも何故こんな小説なんかを書いているのか?。

 楽しいからです。それでもやっぱり楽しいからです。

 いろいろ不足だらけで読む人によればつまらない駄文の羅列に過ぎなくとも、それでも書くことが今は楽しいからです。

 今後の更新ペースには不安しかありませんけれど、書き上げて最低限の推敲……(これがまた冷や汗もの)を、済ませたら即、投稿するつもりの今朝の川っぺりはこれまでに御座います。




生きとし生けるものが幸せでありますように。




230 拝