残月録

残月がやがて消えていく間にも、私の日常生活の中に何か一瞬の輝きを求めて写真を撮っています.

倭は真秀

2021-09-26 14:12:21 | 日記
「倭(やまと)は国の真秀(まほろば) たなずく青垣 
 山籠(やまごも)れる  倭し麗し
     倭建命:古事記

大和の国は最もすばらしいところ
幾重にも重っている青い垣根のような山々
このように山に籠っている大和はうるわし
      (私的解釈)













倭建命(やまとたけるのみこと)は父の帝に
嫌われてとうざけられ、西方へ、また東方へ遠征、遠征で都へ
帰ることなく帰路、現在の三重あたりで亡くなった。
冒頭の句は倭建命の望郷の句で、現代の我々に
記憶のない記憶を呼び起こす。
この神話は卑弥呼が誕生する以前の噺であり、
日本人が奈良に対して憧れを抱くのは
かくのごとく、二千年の時を超えて
日本人のDNAに引き継がれているのだろうか? 

河野太郎、こりゃだめだ!追報

2021-09-20 17:01:33 | 日記

  河野洋平



河野太郎が脱原発、自然エネルギーを
唱えるのはなぜなんだろう?
CO₂削減が世界の潮流になっている今、
原子力発電に変わる代替エネルギーがなくてCO₂削減は達成できないし。
それに反して彼は脱原発、自然エネルギーを主張している。
そんな疑問を感じている時ユーチューブで
次のような記事を見つけて納得した。
それは彼の一族が中国製の太陽光パネルを
取引しているからであった。
しかも中国製の太陽光パネルはウイグルで
生産されているためアメリカでは輸入禁止
になっているにもかかわらずである。
河野太郎の実弟の会社。

日本端子株式会社
(平塚市)
大株主 河野洋平(父)
代表取締役 河野二郎(次男)

3社ある海外子会社は全て中国のみ
北京日端電子有限公司
昆山日端電子有限公司
香港日端電子有限公司

ブログに政治的な事を書くのは
好ましい事ではないと思ったが、
彼の実態を知って、黙っておれなくて。
それに戦後、日本で最初に湯川秀樹がノーベル物理学賞を
受賞した歴史がある。原子力発電を廃止することにより
日本の原子物理学を衰退させていいものだろうか?
尤も、「電子計算機は世界2位ではダメなんですか?」の
発言元は河野太郎と言われているからな。
むべなるかなである。




鷹野隆太写真展

2021-09-15 12:43:29 | 日記
「光の欠損が地面に届くとき距離が奪われ距離が生まれる」
と表現する写真家、鷹野隆太の写真ってどんなの?と
興味があるので、大阪の中之島にある国立美術館に行ってきた。
地下鉄中之島駅を降りたら、早速文楽の看板が目について。
なんと、あの有名な義理と人情のつまった、
近松門左衛門作「心中天網島」。
許されぬ恋のため天網島へ心中に向かう、治兵衛と遊女小春の道行。


こんなことを考えながら国立美術館へ。



・鷹野隆太写真展
 今回主題の「カスババ」、木村伊兵衛賞をとったジェンダー、自分の裸像、
「東京タワー」の定点写真があって、最後に
「光の欠損が地面に届くとき距離が奪われ距離が生まれる」が展示されていた。
写真撮影可能で興味ある作品を掲載しておきます。












この作品は和紙にプリントされています




河野太郎、こりゃだめだ!

2021-09-12 11:37:29 | 日記






1.女系天皇の容認
2.脱原発
3.憲法9条改正を容認せず
4.夫婦別姓
5.父、河野洋平の韓国に対する河野談話を否定せず
6.日本の靖国神社へは参拝しないが、韓国の神社には参拝する

上記より河野太郎の政治理念の根底には
河野家3代にわたる反日親韓思想が見て取れるので、
彼が日本の総理大臣には絶対ふさわしくないと
考えています。

コロナ渦で不要不急の外出が禁じられているために
つい、見たくもないテレビを観てしまうと、
テレビのMCやコメンテイターが露骨に河野が
石破がとツバキを飛ばしているものですから。
テレビに向かって文句を言う事も出来ず、
ここで呟いています。



都会を歩く

2021-09-08 12:58:22 | 日記






都会を歩く  詩:金井雄二

都会の街中をあるいているとき
ふいに 自分の幼かったときのことを
思い出しませんか
そんなこと 想い出しませんよね
だって 都会には言葉があふれていますから
話し相手がいなくても不自由はしないのです
光だってどこに行ってもあふれていますから
闇の中をとぼとぼ歩いた記憶なんか
とっくにどこかに消えていますね
高層ビルの
窓ガラス
午後三時の陽ざしが
反射して
目が痛い
あのビルの向こう側に駅があるのです
さて、こちら側にいる僕は
あのビルの向こう側にどうやって
行けばいいのですか
ぼくにティッシュペーパーを
手渡して下さる方がいました
でも他には何もくださいませんでした
都会の街中を駅に向かって歩いています
幼かったときのことは
想い出さなかったのですが
自分が独りなのだということは想い出したのです