マンガは五官をだめにする! (東海戯言)

気ままに読んだマンガのことを。タイトルは『チョコレート工場の秘密』の「テレビは五官をダメにする」から

岩明均 『寄生獣』

2006年06月26日 | かんがえてしまう
絵にぞくっときた漫画


『寄生獣』はいろいろな意味で議論できた漫画でした。

未知の生物が人間の体内に侵入し、頭部を食いつくして首から下全部を支配。乗っ取った個人として社会に紛れ込み、そして他の人間をボリボリ食べつくしてしまうという設定。


人類が食物連鎖の頂点から転がり落ちて、狩られる、食われるという設定は今までもあったし、現在でもあります(この漫画が完結したのがもう10年前。講談社漫画賞や星雲賞を取った傑作です)。

作中では人間側だけでなく寄生生物の個性も描かれているので、読者は人間側の視点を保つことができない。というよりパラサイト(寄生生物)の視点に立って感想を述べていた人もたくさんいました。

単なる侵略もの、ホラーとして片付けられない面があります。とはいえ、作者は己のメッセージを押し付けているわけではない。
小野不由美さん『屍鬼』もその点似ていますね。
この『屍鬼』はスティーbン・キング『呪われた町』へのオマージュとして書かれたそうですが、文庫版の解説で宮部みゆきさんがその『呪われた町』と比較をして、キングの人間万歳的な元気のよさに対して善悪の境界が非常に曖昧になってしまっている本作を高く評価していらっしゃいます。

善悪の対立が明確なキングがアメリカ的・キリスト教的で、曖昧な小野さん、岩明さんが日本的であるともいえそうですが、それはどうでしょう。
国民性・宗教性よりももっと個人差によるものだと思いますし、その作品作品の狙いの差だと思います。

『寄生獣』では終盤である登場人物(パラサイトでなく人間)が
人間こそが地球を食い荒らす寄生獣なのだ
という発言をしておりますが、この自分を食い尽くそうという側、敵役を正義とする発想の方が現代の日本人的ではないでしょうか。事実こういう意見は読者からたくさん寄せられていましたし、この漫画の冒頭でもそれを思わせるト書きがありました。
やはりどちらかが「正義」(あるいは「摂理にかなった」)としなければ落ち着かないんですね。これはアメリカ、日本関係なくそうした人がいる。

一方で善悪が定まってないこの状況を不安定とはせずに安定とする人たちもいる。これも国や文化を超えて、その人の個性なんでしょうね。

現実の社会でも善悪が非常にぼやけています。
ネットでも見かけるのですがと討論をしていく中で、己は正しく他は正しくないという論調は時に議論を停滞させ、周囲を疲れさせてしまいます。
まあ、これもボクがそう思うだけですけどね。。。。


「見たらやらなきゃいけないバトン」でも申しましたが、この作品で印象的なのは(ハードな設定もモチロンそうですけど)、登場人物の表情です。
手とか目がクローズアップされて単体で描かれることもあるのですが、それらを含めて表情、とくに怒りやおびえ、絶望の表情がリアルに描かれています。
これは一方でパラサイト側の無表情、パラサイト化したある種の人間達のしれっとした表情と対照的でもありました。




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1 コメント

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ミギーに感情移入 (goldius)
2006-07-22 22:27:09
ミギーが獣から哲学者に成長していく過程が感動的でしたね。
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