そりゃおかしいゼ第二章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界の政治を問う

原子力平和利用博覧会なるものあったげな

2014年10月25日 | 原子力発電
それが東西冷戦時代の始まりであったとしても、体よく手なずけた被爆国日本で原子力の平和利用を打ち上げることを思いついたアメリカは、上々の結果を生み出したことになる。
私は小学生の科学少年であった。原子力が平和的に利用されるという博覧会を、日本で5カ所も開催した。先日のNHKのETVで特集「ヒロシマ 爆心地での原子力平和利用博覧会」である。1956年(昭和31年)8月のことである。それは、原爆の記憶が生々しく残るお遺品を排除した、原爆資料館で行われた。
原爆は平和的に利用される時代だと実家させるための博覧会である。原資の力で飛ぶ、鉄腕アトムもこの時代に誕生している。後に手塚治虫も悔悛している。
自らも被爆した、森瀧市郎は原水爆禁止運動のさなかにありながら、この平和利用委員会に反対しなかったことを悔いている。後に森瀧市郎は、各絶対否定の道へと歩み、「核エネルギーと人類は共存できない」と断言するに至る。
アメリカは被爆地ヒロシマで、世界初の原子力発電所建設計画まで打ち出した。さすがそれは実現には至らなかったが、正力松太郎や中曽根康弘を取り込んで、東海村に初めての実験施設を作るに至った。
アメリカはその2年前に起きた、第五福竜丸事件を金で封じ込めている。事件の検証も追跡も補償も行わなかった。一陣一発で口止めさせ、政府もそれを容認した。世には、原爆マグロが大量に廃棄され、被爆漁師が日本中で原爆症に苦しんでいた。
多くの物理学者や識者御反対を抑えて、アメリカに従順になったた政治主導で日本には次々と原発が建設されて、54基も稼働する原発大国になった。それを主導した政治家も問題であるが、多くも物理学者や官僚や企業が一体となって、反論を許さなかった。
日本を共産国からの防波堤にする意味と、核抑止力として内在する意味を、アメリカは平和利用という疑似目的のために、原発建設を十分機能させることに成功したと言える。
原爆遺品と並列して展示されていた和利用の疑似製品が、原爆資料館から撤去されるまで、10年の歳月がかかったのである。
原発に経済的に依存する団体や企業や地域が、長い年月の間に沢山できたことは仕方ないことである。しかし、森瀧市郎の言葉通り、「核エネルギーと人類は共存できない」ことを、だ絵rもが福島原発事故で知ったはずである。核の平和利用は、長い時間かけて政治が生み出した虚構である。
原発再稼働など断じてあってはならない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿