そりゃおかしいゼ第二章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界の政治を問う

川内原発再稼働という愚かな判断

2014年11月08日 | 原子力発電
日本のあらゆる世論調査で、原子力発電に賛成する人はせいぜい10%程度である。日本国民のほとんどが原発に反対している。誰もが危険を感じ、不安をいだいている。安倍政権が懸命に、あの手この手で再稼働を模索しても、不安が払拭されたわけではない。
原子力規制委員会は新規制下で国内初となる、鹿児島川内原発再稼働を認めた。あとは地元を動かせば、再稼働となる。立地自治体の動きを待って、九電と親密な関係がうわさされる伊藤鹿児島知事が再稼働に同意した。政府の意向に沿っていれば、お金がやってくるからである。
原発が日本のエネルギーに欠かせないというのは嘘である。原発が安価だというのも嘘である。安全だというのも嘘である。プルサーマルも嘘である。
地元の賛成派の人々の意見は、どの地域でも同じである。巨大な資金が動く原発に関係系する業者は、長年培ってきた業務がなくなることに抵抗を持つのは当然であろう。停滞する地方経済にとっては深刻な問題かもしれない。とりあえず事故はないものとして考えたい願望も、理解はできなくはない。
しかし原発はそうしたレベルでとらえるような代物ではない。地方経済の隆盛問題の中に、原発の可否を封じ込める論議には与しない。
安倍政権の目玉の小渕が辞めた後に急遽据えられた、宮沢洋一経産大臣は「事故が起きたら国が責任を持つ」と発言したが、原発事故はいったん起きれば責任というような言葉では始末は取れない。被ばくは環境にも人や生物にも、取り返しがつかない事態になることを、ピンチヒッターの大臣には理解できないのだろう。タイムマシーンで時間を戻すしかない。
この代替えの宮沢大臣は、川内原発を『カワウチ』原発と言ったそうである。理科もレベルも低いが、地理にも疎い大臣である。この大臣は、震災地には一度も行ったことのない、極めて珍しい国会議員の一人でもある。こんな低レベルの男しかいないのかね。
安倍政権は、国民の原発への不安をしり目に、再稼働への道を急いでいる。原子力行政が擁護してきた、電力会社はそれにまつわる利権構造に縛られた、政権の判断である。原発はそうしたレベルで論じる代物ではないことを、安倍晋三は理解できないのである

原子力平和利用博覧会なるものあったげな

2014年10月25日 | 原子力発電
それが東西冷戦時代の始まりであったとしても、体よく手なずけた被爆国日本で原子力の平和利用を打ち上げることを思いついたアメリカは、上々の結果を生み出したことになる。
私は小学生の科学少年であった。原子力が平和的に利用されるという博覧会を、日本で5カ所も開催した。先日のNHKのETVで特集「ヒロシマ 爆心地での原子力平和利用博覧会」である。1956年(昭和31年)8月のことである。それは、原爆の記憶が生々しく残るお遺品を排除した、原爆資料館で行われた。
原爆は平和的に利用される時代だと実家させるための博覧会である。原資の力で飛ぶ、鉄腕アトムもこの時代に誕生している。後に手塚治虫も悔悛している。
自らも被爆した、森瀧市郎は原水爆禁止運動のさなかにありながら、この平和利用委員会に反対しなかったことを悔いている。後に森瀧市郎は、各絶対否定の道へと歩み、「核エネルギーと人類は共存できない」と断言するに至る。
アメリカは被爆地ヒロシマで、世界初の原子力発電所建設計画まで打ち出した。さすがそれは実現には至らなかったが、正力松太郎や中曽根康弘を取り込んで、東海村に初めての実験施設を作るに至った。
アメリカはその2年前に起きた、第五福竜丸事件を金で封じ込めている。事件の検証も追跡も補償も行わなかった。一陣一発で口止めさせ、政府もそれを容認した。世には、原爆マグロが大量に廃棄され、被爆漁師が日本中で原爆症に苦しんでいた。
多くの物理学者や識者御反対を抑えて、アメリカに従順になったた政治主導で日本には次々と原発が建設されて、54基も稼働する原発大国になった。それを主導した政治家も問題であるが、多くも物理学者や官僚や企業が一体となって、反論を許さなかった。
日本を共産国からの防波堤にする意味と、核抑止力として内在する意味を、アメリカは平和利用という疑似目的のために、原発建設を十分機能させることに成功したと言える。
原爆遺品と並列して展示されていた和利用の疑似製品が、原爆資料館から撤去されるまで、10年の歳月がかかったのである。
原発に経済的に依存する団体や企業や地域が、長い年月の間に沢山できたことは仕方ないことである。しかし、森瀧市郎の言葉通り、「核エネルギーと人類は共存できない」ことを、だ絵rもが福島原発事故で知ったはずである。核の平和利用は、長い時間かけて政治が生み出した虚構である。
原発再稼働など断じてあってはならない。